2023年1月18日水曜日

YMOの思い出

 


 高橋幸宏さんが亡くなられました。翌朝一番に訃報を目にして、心に穴があいたような寂しさを感じました。

ファンと言えるほどユキヒロさんのことを知っているわけではないけれど、イエロー・マジック・オーケストラのアルバム「ソリッド・ステート・サバイバー」、その中でも特に「Rydeen」が私の人生を大きく変えたことは間違いありません。

YMOのことを初めて知ったのは、彼らが日本で一般的に知られるようになる前のことでした。私が小学6年生だったか中学1年生だったかの年末に、NHKでYMOの海外でのライブが放送されていたのです。たまたま点いていたテレビにそれが映って、私は「わー、なんだ、この音楽は…」と見入ってしまったことを覚えています。夕方の居間の様子や自分がテレビの前に座りこんで見ていたこと、台所(昭和の家だからキッチンという感じではないのです)で母が何か料理をしていたこと、居間には私しかいなかったことなども鮮明に思い出せます。それほどインパクトのある音楽だったのです。

 
 
これじゃなかったかと思うのだけれど…

もちろん後で知ったことですが、YMOは最初に海外で評価を受けて日本に逆輸入された形のバンドです。だからこのNHKの放送があった頃もおそらく一部の洋楽通の人たちしかYMOを知らなかったのではないかと思いますが、私は子供だったから知らなかっただけなのかもしれません。ただ、「Rydeen」が日本で爆発的にヒットするのはまだ先のことでした。

その頃に日本ですでに「ソリッド・ステート・サバイバー」が発売されていたのかどうかはわかりませんが、当時はLP盤が3000円以上もした時代で、小学生の私が買えるはずもなく、YMOに限らず聴きたい音楽はラジオでかかるのをじっと待つしかなかったのです。それをラジカセでテープに録音して、繰り返し聴いていました。その光景を的確に表現した文章が島田雅彦の「君が異端だった頃」の中にあったので、少し長いけれど引用します。

その頃、音楽に触れるもっとも手頃な手段はFM放送の聴取だった。青少年は親にラジカセを買ってもらい、ほとんどそれと添い寝するような日々を送っていた。二週間分の番組表と聞きどころを紹介したFM雑誌も三誌あった。新譜は君の小遣いではなかなか手を出せないので、話題の演奏のオンエアを心待ちにし、カセットテープをセットし、録音ボタンに指をかけ、解説者の能書きが終わるのを待つ。」

今では音楽配信サービスで無料で聴ける音楽に、私たちはこれほどの労力を費やしていたのです。うまく録音ボタンが押せなくて、イントロの途中からになってしまうこともたびたび。

こうして私は「ソリッド・ステート・サバイバー」全曲をテープに収め、毎日毎日聴いていました。その頃はやはりユキヒロさん作曲の「Rydeen」が一番好きでした。「テクノポリス」や「アブソルート・エゴ・ダンス」も俗にいうノリのいい曲で好きだったけれど、アルバム全体のよさが分かるようになったのはもう少し大人になってからでした。YMOの曲は当時はまだ巨大だったシンセサイザーを使った音が新しかったのだけれど、私は「Rydeen」のドラムのパートが特に好きで、本気でドラムセットが欲しいと思っていました。だからメンバーの中でもユキヒロさんに憧れていました。

その後、中学生、高校生になって、YMOの流れからクラフトワークを知り、ジョイ・ディビジョンやニューオーダーを知り、私の人生に最も影響を及ぼしたデペッシュ・モードを知り、と私は洋楽一辺倒になっていくのですが、YMOはポップ路線に向かってしまった感じで、私の関心は薄れていきました。けれど、「ソリッド・ステート・サバイバー」だけはいつの時代も私のプレイリストに必ず入っています。今もSpotifyでお気に入りの曲をシャッフルして聴いていると、よくRydeenやテクノポリスがかかります。

あの冬の日の夕方に偶然YMOに出会わなかったら、その後ずっと聞き続けることになる数々のバンドや音楽を知ることはなかったかもしれず、私の人生は味気ないものになっていたに違いありません。

ご冥福をお祈りいたします。

 
 
 2:10のところが好き
 

2023年1月13日金曜日

昭和レトロな風景

今年はいろいろと始めたいことがあるのだけれど、のほほんと過ごしているうちにもう半月近くが過ぎてしまいました。年々、時間が過ぎるのが早くなっていくように感じます。

最近読んだ記事によるとそれには理由があって、毎日同じことの繰り返しをしていると、脳が目新しいことがない日々をひとまとめにしてしまうため、例えば1週間同じ日課で過ごしていると、脳はそれを1日と解釈してしまうのだそうです。そうならないためには、知らないことを学習したり、新しい体験をして、脳が一日一日を識別できるようにすることが大切なんだとか。なるほどー、なにか目新しいことをしないと、あっという間に人生が終わってしまいそうですね。

一方、人生を謳歌しているのはわが娘とH君です。昨日から日本に2週間の旅行に出かけています。 毎年娘は1月の自分の誕生日のあたりに旅行に出かけるのが恒例となっていて、過去にはカリブ海の島やシンガポールやメキシコや日本などに旅行に行っていました。さすがに近年はコロナ禍もあって旅行どころではなかったのだけれど、ようやく日本も海外からの旅行者を受け入れるようになったので、さっそく出かけることにしたようです。JRのレイルパスも購入して、京都・奈良・大阪にも行くそうで、なんだか修学旅行みたいだな、と思ったのでした。あー、私も日本に行きたいなー。

それはさて置き、先日、急に思い立って、切り干し大根を作りました。

日本にいた頃は大根の皮があまりにもキレイで、捨ててしまうのがもったいなかったから、細く刻んで切り干し大根にしていたのだけれど、アメリカで手に入る大根の皮はあまりキレイじゃないのでいつも捨てていたのです。ところが珍しくキレイな皮の大根が手に入ったので、これはこれは、とさっそく切り干し大根にしました。読んで字のごとく、切って干すだけです。それもお皿にペーパータオルを敷いた上に刻んだ大根の皮をバラバラに広げて、その辺に放置するだけ。ただし、夏は湿度が高く乾きにくい上にカビが生える危険もあるので、空気が乾燥した冬にしかできません。何日かそのまま置いて干からびて怪しげな見た目になったら完成です。(手前は皮ですが、奥は大根の細切りです)


ダイニングテーブルの端の方は陽が当たるので乾燥しやすいし、ビタミンDも増えるんじゃないか(わかりませんが)と思って置いておいたら、夫が「それは何だ、なんで冷蔵庫に入れないでそんなところに置いているのか、カバーはしないのか」と厭そうに言います。カバーしたら乾燥しないでしょう、と私が言うと、虫が来たらどうするのか(クモぐらいしかいませんよ)、ホコリが付くんじゃないか、そんなものは絶対に食べないぞ、と不安がっています。こんな貴重なものをアナタにあげるつもりなど、最初からありません、と心の中で思いながら、「はい、はい」と聞き流したのでした。

すると、数日後の朝、私が起きてくると、テーブルの上がこんなことになっていました。


おやおやー、なんでしょう、この昭和レトロな風景は!

さては夫がどこかで見つけてきたのかと思いきや、息子がアジア系のお店で買ってきたのだとか。息子も実は何もカバーされていないのが厭だったのだそうです。

我が家の男衆は意外と繊細ですな。

水で戻してジャブジャブ洗ってから調理するんですけどね。

2023年1月5日木曜日

走り初めとホノルルマラソン

今年のお正月三が日は異様に暖かく、気温が20℃近くまで上がりました。そこで元日からさっそく走り初めに出かけました。とは言うものの、実はホノルルマラソン以来、一度も走っていなかったのでした。

新しいシューズを履いていつものスタート地点から走り始めたのだけれど、なんだか体が重くて思うように進みません。それもそのはず、20日間も走らなかっただけじゃなく、ハワイから戻ってきたら3㎏も体重が増えていたのです。フルマラソンを走ったのに…ですよ。いったいどんな食生活をしていたのでしょうか。

走り初めは息も絶え絶えに5kmでギブアップ。まるでフルマラソンの終盤コースを再現しているようでした。2-3週間走らなかっただけで、こんなに苦しくなってしまうんですねぇ。

と、ホノルルマラソンのことを思い出したので、回顧録を書いておきましょう。

今回のホノルルマラソンは娘の彼氏のH君と息子の彼女のSちゃんと一緒に参加しました。H君は前年ほとんどトレーニングもしないで挑戦したフルマラソンのリベンジと称して、今回はしっかりトレーニングを積んで、3時間15分切りを目指していました。私とSちゃんは初めてのフルマラソンなので、目標は完走です。

朝5時のスタート時間に間に合うように娘の家を出て、まだ暗い道を15分ほど歩いてスタート地点のアラモアナ公園に着きました。すでにスタート前の道は参加ランナーで埋め尽くされています。まだスタートまで30分以上あり、Sちゃんがトイレに行くというので私も付いていくと、ずらりと並ぶ簡易トイレの前にはいくつもの長蛇の列ができています。なるべく短い列に並んだものの、なかなか進まずに時間が心配になってきました。スタート地点に戻ろうとしたときには4時50分を過ぎていて、スタート地点ははるか遠くにあります。5時になって花火が上がり、先頭グループがスタートした時点でも、私たちはまだスタートの列に合流できていなくて、本当は自己申告タイムに従って色分けされた待機場所が決まっているのだけれど、それがどこなのかももう分からず、とにかく入れる場所に入って、流されるままに動いてスタートを切りました。先頭から13分ぐらい遅れて。

フルマラソンだから最初から飛ばすようなことはせず、ゆーっくりSちゃんと走っていたのだけれど、5kmぐらいのところでSちゃんがまたトイレに行くというので、私は先にゆっくり走って、途中でSちゃんが追い付かなかったら10kmのところで待っていることにしました。10km地点で一旦止まって待っていると、1分もしないうちにSちゃんが来たので、また一緒に走りだしました。10kmを過ぎるとダイヤモンド・ヘッドの上り坂が待っています。ここで無理をすると後が続かないと思って、かなりスピードを落として坂を上がると、海が目の前に広がり、水平線の彼方から太陽が昇ってきました。日の出の写真を撮っている人もたくさんいました。

しばらくは平らな道やゆるい上り坂が続いたのだけれど、Sちゃんがここでダウン。さっきの坂で消耗してしまったようで、もう走れないと言います。「Jさん、先にいってください」と言うので、ゆっくり走るから追いつけたら来てね、と言い残して先に進みましたが、最後まで会えず仕舞いでした。このあたりでトップのエリート招待選手がすでに戻ってきていました。

それから幹線道路に入ると、折り返してきたランナーが対向車線を走っています。どこかでH君に会うかもと探しながら走りましたが、見つからず。でもそうしていたおかげで苦しさも退屈さも感じずにあっという間に20kmを過ぎました。そのあたりに日本のテレビ局(TBS)のカメラマンの車が伴走していて、日本の芸能人が走っていたと後で知りました。折り返した後に日本人の女性アナウンサーと思しき人が日本人のランナーの人たちと写真を撮っていたのを見かけました。

と、まぁ、30kmぐらいまではそんな感じで楽しく走っていたのだけれど、30kmを過ぎたら途端に足が上がらなくなってきて、給水所で止まっては水やスポーツドリンクを飲んで、また走り出すものの、もう走っているのか歩いているのかよく分からないような速度になってきて、ここは本当につらかった。そこに追い打ちをかけるように最後の3kmぐらいのところに上り坂があって、もう何も考えられませんでした。その後は下り坂をおりるとすぐにゴールの公園が待っています。ところが、公園に入ってもフィニッシュラインがなかなか見えないのです。普段だったらなんとも思わない距離が長いのなんの。最終ストレッチに入って、沿道の声援が聞こえてきたので、きっとどこかにうちの娘がいて、写真を撮っているにちがいないと、無理に笑顔を作って、最後は両手を上げてゴールしたのに、なんと、娘も、すでにゴールしたH君もそこにはいなかったという(駐車場の関係で車を移動しなければならなかったんだとか。↓は買った写真)

 


ゴールしたあとはメダルを受け取ってからしばらく一人で芝生の上に座り込んでいました。娘から電話があって合流したあと、ブースでTシャツとココナッツウォーターとバナナとマラサダ(ハワイ風ドーナツ)をいただきました(今回はビールはなし、笑)。

私がゴールしてから1時間半ほどしてSちゃんがゴールしました。スマホで追跡していたので、Sちゃんが最終ストレッチに入ってきた時に沿道から声をかけると、半泣き状態でフィニッシュラインを越えていました。辛さと嬉しさの両方の涙です。

H君は目標タイムの3時間15分には届かなかったものの、3時間21分でゴールしました。本人は満足だと言っています。今年の目標はサブ・スリーかな。

こうして私の初フルマラソンは幕を閉じました。最後の10kmほどは本当に苦しかったけれど、終わったらあの苦しさの半分ぐらいは忘れてしまって、また今年も走ろうと思っているから困ったものです。42kmって想像もできない距離だったけれど、やればできるものですねー。

さぁ、早く余分な体重を落として、今年も走るぞー!


2023年1月1日日曜日

謹賀新年

明けましておめでとうございます。

今年も拙ブログをよろしくお願いいたします。

 年末に友人Mさんの家族と鍋パーティをしました。毎年、クリスマスから年末にかけてMさんの息子のK君がMさんの家に来るので、例年はクリスマスを一緒に祝っていたのだけれど、今年は大寒波があってクリスマスには来られなかったため、後日、うちの息子やSちゃんも一緒にランチに出かけたのです。内陸の州に住んでいるK君はシーフード、それもカニを食べたいというので、数あるシーフードレストランの中からよさそうなお店を選んで出かけました。生牡蠣に続いて、かなりの量の蒸しシーフード(カニやエビや牡蠣、ムール貝、蛤などの貝類)の盛り合わせをみんなでシェアして、K君だけは特別に追加で1ポンド(450gぐらい)の蒸しカニを注文しました。食べ終えたK君は幸せそうに「カニは毎日食べても絶対に飽きない」と言い、ご満悦の様子。

そこでうちの息子が冷凍じゃないカニを仕入れてきて、後日、海鮮鍋と鶏鍋を作りました。鶏鍋はシーフードを食べないK君のガールフレンド用に。

カニやエビや牡蠣や鶏からいい出汁がでて、美味しいお鍋になりました。K君はカニの半分以上を一人で食べてまたご満悦。K君も最初は遠慮していたのだけれど、K君にとってはなかなか食べられないカニだから、たくさん食べてほしかったのです。

そして、残った鍋の汁は大晦日の年越しそばになり、元旦のお雑煮になりました。お雑煮の頃には野菜がくったくたで、かすかに原形をとどめる程度でしたが、お味は最高でした。見た目はちょっと残念。


さて、新しい年の幕開けです。

今年一年の出来事をきちんと綴っていくことを目標のひとつにしたいと思います。あとは、健康で、シンプルなことに喜びを見出せる一年になりますように。

2022年12月29日木曜日

よいお年を♪

 ハワイから帰ってきて、あれよあれよという間に年末になってしまいました。ハワイでの出来事を書こうと思っていたのに、クリスマスだなんだと時間が過ぎてゆくばかりで、来年に持ち越しということになりそうです。早くしないと楽しかったことも忘れてしまいそう。

例年はその年にあった出来事を自分が書いたブログ記事で確認していたのだけれど、今年は8月以前に使っていたブログサービスが終了して記事が削除されてしまったので、前半は何をしていたのかあまり思い出せません。今年はランニングと野菜作りしかしていなかったような…。

ランニングはホノルルマラソンを目標によく走りました。1月の段階では最長10kmぐらいしか走れず、とにかく前月の走行距離を超えることを目標にして、11月にようやくハーフマラソンを完走しました。12月のフルマラソン42kmはぶっつけ本番でしたが、30km以降にかなり失速したもののなんとか完走できました。公表できるようなタイムじゃなかったけれど。来年もホノルルマラソンに参加するんでしょうかね~。

 
 
毎年なんとなく年末にはその年に読んだ本の数を書いているので、今年も書いておきましょう。今年は47冊(洋書13冊、和書32冊、漫画2シリーズ)読みました。今年中に読み終えそうな和書1冊を加えると48冊です。記録しているタイトルを見返してみると、内容をほとんど覚えていない本もいくつかあります。本を読み終えたらほんの少しでもきちんと感想を書かないといけないのかもしれません。…と毎年言っているような。来年の課題です。

今年読んだ本で特によかったのは:

和書:コンビニ人間(村田沙耶香著)

芥川賞を受賞した時にずいぶん話題になった小説ですが、著者本人がコンビニで働いていた時の経験談だと私は勝手に勘違いしていてなかなか手がでませんでした。ところがいざ読んでみると、想像をはるかに超えたスゴイ小説でした。驚きの感性というか、こういう感じ方もあるのか、「普通」って何だろう、と考えてしまう秀作です。

洋書はいろいろありすぎてひとつに絞れません:

The Things They Carried(by Tim O'Brien)

「本当の戦争の話をしよう」というタイトルで村上春樹が翻訳していると後で知りました。フィクションと断ってはいるものの、著者のベトナム戦争の経験をもとに書かれた小説です。英雄ものの戦争小説とは違った、普通の兵士たちのきれいごとじゃない、けれどいろいろと考えさせられる話を集めた短編小説集です。

Born a Crime(by Trevor Noah)

コメディアンでアメリカのテレビ番組「The Daily Show」の司会者として有名なトレバー・ノアの自伝。タイトルの「Born a Crime」は、生まれたことが犯罪という意味で、アパルトヘイト下の南アフリカで、黒人と白人の結婚が禁止されていた時代に黒人の母親と白人の父親の間に生まれた著者自身のことです。自身の南アフリカでの生い立ちは時代を考えるとおそらく大変なものだったはずですが、それをおもしろおかしく語っていて、聡明な人なのだろうという印象を受けます。お母さんへの多大な愛情が伺えます。

The Storyteller: Tales of Life and Music(by Dave Grohl)

かつてはニルヴァーナのドラマー、現在はフー・ファイターズのフロントマンとして活躍するデイヴ・グロールの自伝。コロナ禍で音楽活動ができなかった期間に書いた本だといいます。DC郊外のバージニア州での少年時代、パンクとの出会い、高校を中退して参加したバンドでの経験、ニルヴァーナのこと、カート・コベインの死、フー・ファイターズのこと、偉大な先達ミュージシャンとの出会いやコラボレーションのことなどが語られています。私も同じ時代に音楽好きとして生きてきて、とても親近感を覚える内容でした。私が18歳で初めてアメリカに留学した時、デイヴ・グロールはまだ高校生で、意外と近いところにいたんだな、と思ったりして。

来年は本を買うのを控えて、今年買ってまだ読んでいない積読本を制覇しようと思います。 

さて、大掃除ならぬ小掃除を始めることにします。

みなさま、よいお年をお迎えください。

2022年12月22日木曜日

復路バタバタ騒動

 

月曜日に常夏のハワイから寒ーい我が家に帰ってきました。いやー、疲れました。

近年は年をとったせいもあるのか長距離のフライトがだんだんつらくなってきていて、いつ頃からか長距離フライトの後に激しい頭痛と吐き気に襲われることが多くなり、どうやら飛行機高山病にかかっているようなのです。そんなこともあり、最近は航空券の安さよりフライト時間の短さを重視してチケットを選ぶことが増えています。

今回は往路は2回乗り継ぎ(デンバー、ハワイ島)で15時間ぐらいかかったのだけれど、復路はワシントンDC経由の11時間と格段に短いフライトを選びました。ところがそれが災いして、本来ならば夜間飛行で朝の9時半には我が家の最寄り空港(家から車で15分程度)に着いているはずだったのに、途中バタバタ騒動があって、帰宅したのは夜の8時。前日の昼間にホノルルの娘の家を出てから実に24時間以上が経過していました。その間ほとんど眠れずに。

今回のハワイ旅行にはマラソンの2日前に息子のガールフレンドで私のランニング仲間のSちゃんが合流し、月曜日に同じ便で一緒に帰ってきました。フライトの予約は別々だったのだけれど、なんとか隣同士の席がとれました。ホノルルの空港で搭乗を待っていると、機内の清掃が終わらないとか機体のトラブルがあって整備中だとかで搭乗時間がどんどん遅れていきます。そのうえ、機内食が届いていないというハプニングもあり、ようやく1時間遅れで出発しました。

ワシントンDCでの乗り継ぎの時間は1時間半。到着時間が1時間遅れると30分しかありません。でも、「乗り継ぎに間に合わなかった場合は現地(DC)のエージェントが最善のフライトを確保しておくので、着地したらすぐにアプリで確認して指定のゲートに向かってください」というようなアナウンスがホノルルの空港であったので、まぁ、大丈夫だろうと思っていたのです。

ところが、DCのダレス空港に着陸したのが朝の8時。乗継便の出発時間は8:25で、搭乗口は通常出発15分前に閉まるのだそうです。ということは次のゲートまで10分で移動しなければなりません。着陸してすぐに航空会社のアプリを開くと、もともとの乗継便はまだ出発していないので有効になっていて、間に合わないと思ったら次の午後1時の便を選択するというオプションが表示されています。現状をキープするか、1時の便をとるか。1時までは5時間もあります。1時の便を選択するともともとの予約はキャンセルになります。そこで、とりあえずアプリは無視して次のゲートまで走ることにしました。

飛行機が停止してシートベルト着用サインが消えると、乗客が一斉に立ち上がり荷物を取り出したりしてザワザワしています。そんな頃になってから「ワシントンDCが最終目的地の方はいったんお座りになって、乗り継ぎのあるお客様を先に通してください」というアナウンスがあったものの、そこで座る人なんて一人もいません。もどかしく列に並んでいると、何々便はどのゲートという案内のアナウンスがあって、私たちの目的地の便のアナウンスでは「(この機から)この便への乗り継ぎは39人います。最善を尽くしてゲートまで急いで行ってください。(Try your best to catch the plane)」と言っています。えー、39人も?それも10分で?

降りてからはゲートの通路を一目散に走りましたよ。Sちゃんは別の通路から降りてきて、見当たらなかったのだけれど、とにかく後ろから来るのはわかっているから、私が先に着けば「もう一人来るから待ってください」と言えるだろうと思って走ったのでした。周りにも同じ便を目指して走る人たちが何人もいます。バックパックにはパソコンや食糧や水筒が入っていて重いのなんの。するとSちゃんがキャリーオンの小型スーツケースをガラガラ引っ張りながら猛ダッシュで駆けてきました。長い通路でゲートは遠かったー。まるでマラソンのよう。

はぁはぁ言いながら出発ゲートに着くと、もう誰もいなくて、搭乗口も閉まっています。

えーーーーー。あんなに走ったのにーーー。

しかし、落ち込んでいる場合ではありません。次の便を確保しなければ。まず、エージェントの列に並ぶと同時にアプリを開いてさっきの1時の便を予約しようとしたら、それは既に消えていてアプリからは何もできなくなっていました。Sちゃんも5時の便しか出てこないと言い、とにかくエージェントにどうにかしてもらうことにしました。列で待っている間にもオプションは減っていっているに違いありません。39人が同時に空席を探しているのだから。

ようやく私たちの番になり、エージェントにお願いすると、5時の便のスタンドバイ(キャンセル待ち)か翌日の朝の便しかないと言います。いやー、それは困ります、(だってSちゃんは翌朝からお仕事だから)どうしても今日中に帰らないと…とゴリ押しすると、ダレス空港から車で1時間ぐらい離れたレーガン空港からなら別の航空会社の5時の便が取れると言います。もう、それしかないならそれを取るしかないと私は即決。次にSちゃんも同じ便を取ってもらおうと予約番号を提示すると、「あなたは1時の便が取れていますよ」とのこと。えー!

それなのに、エージェントさんは「それでも二人一緒に帰りたいのなら、別会社の5時の便を取りましょうか?」と訊いてきます。そんなわけありません。早く帰れるのなら、そんな面倒なコトしなくていいって。それでも、Sちゃんは「私だけ先に帰るなんて…」とぐずぐずしているので、エージェントさんに「このままで結構です」と伝えて、私は別の空港までのタクシー券をもらって一件落着。二人分のお食事券ももらったので、カフェでしっかりと朝食を食べました。

お昼ごろまでダレス空港でSちゃんと一緒にいて、Sちゃんの搭乗時間が近づいてきたので、私はホノルルでチェックインしたスーツケースを受け取って別の空港に向かおうとしたら、私の荷物はすでに目的地の空港に着いているといいます。それはラッキー!と思った半面、同じ便でホノルルから到着したのに、乗継便に人間は乗せられなくても荷物を移動させる時間はあったの?と考えてしまいました。次の1時の便はまだ出発していないから、私たちが乗るはずだった便で荷物は運ばれていったはずです。

タクシーでレーガン空港まで移動して、すでに航空会社のホームページからチェックインを済ませておいたのでゲートに直行したものの、出発時刻までまだ3時間もあります。飛行機の中で見ようと思ってダウンロードしておいたNetflixのドラマを2話見て、しばらくすると搭乗時間となりました。もう究極に眠くて機内では離陸前から爆睡。着陸して、やっと着いたー、家に帰れる!と思いきや、荷物受取りサービスのオフィスが無人で鍵がかかっています。ガラス越しに私のスーツケースが見えるのに。そのうちに同じホノルルからの帰還者が同じように荷物を受け取りに集まってきて(みんなどこかしらの5時の便で戻ってきたようです)、どうする、どうするという話になったのだけれど、通りかかったセキュリティの職員さんがフロントに連絡してくれて、それからさらに20分後ぐらいに担当者が現れました。実質1時間ぐらい待たされて、ひどい目に遭った私たちを優先しておくれよーと思ったけれど、とにかくすぐに家に帰って眠りたかったのでした。

こんなことなら、20時間以上かかる安いチケットにしておけばよかった。お金で時間を買ったはずだったんだけど。


 

2022年12月10日土曜日

アロハ~

 

 

ハワイにやってきました。

霜が降るような場所から来たのでハワイの気候は「夏」そのものなのだけれど、娘は私が来たせいで急に寒くなったと言い、長袖のジャケットなんぞを着ています。というのも、去年も私が来た途端に気温が下がって、何年に一度というような大雨が降り、あちこちで浸水被害があったらしいのです。今年はそんなことになりませんように。

そして明日はいよいよホノルルマラソン。いやー、本当に大丈夫なのでしょうか。

家に帰ってから旅行のご報告をしますね。