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2025年12月30日火曜日

2025年を振り返る

 

今年も残すところあと少しとなりました。一年を振り返ってみると、2025年は何だか振るわない一年だった気がします。いつの頃からか、気がついた時には「何もしたくない病」にかかっていて、「誰か~、やる気スイッチ押しておくれ~」と叫ぶものの、体のどこにもそんなスイッチはついていないので、ただ悶々と日々を過ごすしかありません。だからといって何もせずにいるわけにはいかず、厭だ~、厭だ~と言いながらも家事や仕事をするのだけれど、気持ちはまったく付いていきません。どうしちゃったのかな、私。

特に何が厭って、料理です。以前は張り切って珍しい料理や、自家製味噌やキムチや納豆などを手作りしていたのだけれど、最近はその工程を考えただけでやる気が萎えてしまうのです。そんなだから作っても失敗したり、美味しくないものが出来上がったりして、さらにやる気が失せるという悪循環。以前ある友人が、お料理をしたくなくなったら認知症の前兆かもしれないんだって…というようなことを言っていたけれど、まさか私も認知症だとか?

そんなことを娘と娘の彼氏のH君に話したら、H君が「それはまずいな(That’s not good.)」と。さすが、登録看護師のHくん、心配してアドバイスでもしてくれるのかと思いきや、

4月までには治しといてよね(You better fix that before April.)」と。なんだ、そっちかい。

というのは、娘とH君は4月に我が家に来ることになっていて、私が「何もしたくない病」を治さないとコロッケを作ってもらえなくなるという、彼にとっては死活問題なのです。

まぁ、そんな冗談を言って笑い合えるくらいなら、私もまだ大丈夫でしょう。

さて、今年は1月のシンガポール/日本旅行から始まり、3月には地元のハーフマラソンを走り、前年から工事がちっとも進まなかったキッチンと床とバスルームの改装が4月にようやく終わり、8月には所用で夫とサウス・カロライナに出かけました。サウス・カロライナへは95号線を延々と南下していくのだけれど、この道を運転するのは大学生だった頃にジョージア州のホストファミリーの家に長期休みの時に何度か出かけた時以来。何十年も経っているのに、まるで昨日のことのような気がしました。

10月以降はランニングの行事がいくつもありました。10月には橋を渡った隣りの市でハーフマラソンを走り、11月初めにはNYCマラソンを走るH君の応援にニューヨークへ。H君の兄弟姉妹や友達が30人ぐらい集って、沿道で大声援を送りました。楽しかったな~。H君を待っている間に私たちの目の前をあのキプチョゲ選手が走り去って行きました。H君が堂々のサブスリーでゴールしたあとは、みんなでイタリアンのレストランに移動して、大皿に大盛りで出てくるサラダやパスタやお肉料理をたらふく食べて、楽しい時間を過ごしました。その日はオレンジ色のケープに身を包んだ完走ランナーを街中のいたるところで見かけました。私もいつか走りたい!

11月中旬には私自身のフルマラソンがありました。バージニア州の州都リッチモンドという街でのマラソンです。当初はランニング仲間のSちゃんとそのお友達のAちゃんが一緒に走る予定だったのに、二人はトレーニング不足で来年に延期することになり、私一人での参加でした。でも、Sちゃんが一緒に来てくれて、25km付近の沿道とゴール直前で大きなプラカードを掲げて応援してくれました。しかし、このマラソンコースは坂が多くて参りました。

今年のホリデーシーズンは感謝祭もクリスマスも私の怠け病のせいで極簡単に済ませました。大掃除ならぬ小掃除も終わり、あとは新年を待つばかり。来年はどんな一年になるのでしょうか。何にしても、この「何もしたくない病」を克服するのが私の最優先課題です。

では最後に、毎年恒例の今年読んだ本の記録を書いておきましょう。

今年は36冊の本を読みました。和書20冊、洋書15冊、漫画1シリーズ

こうしてリストを見返してみると、前半は戦争小説が多く、後半はランニングの本ばかり。話題の映画「国宝」の原作(吉田修一著)も読みました。映画は原作とは別物だという話ですが。

いやー、毎年同じことを言っていますが、来年はもっと読書のことに触れたいと思います。というか、ブログ自体をちゃんと書きましょう。

では、良いお年をお迎えください。

2025年7月13日日曜日

朝活

毎日、暑いです。

日が昇ると気温がどんどん上がるので、朝のランニングはなるべく早い時間に出かけたいのだけれど、起きてすぐには走れないから、朝の5時に起きたとしても、コーヒー一杯をゆっくり飲んで、着がえたり日焼け止めを塗ったりしているうちに、出かけるのは6時過ぎになってしまいます。6時半ごろにはもう日が差してくるから暑いのなんの。なるべく日陰の道を選んで走るのだけれど、夏のランニングはきついですね~。それでも10月にハーフ、11月にフルマラソンの予定が入っているので走らないわけにはいきません。

私のランニングは一日置きなので、走らない朝の時間は読書に充てています。というのも、このところ600頁-700頁もある小説を図書館で立て続けに借りてしまって、それをそれぞれ3週間という期限内で読むためには一日に最低でも30数頁を読まなければならず、忙しくて全く読めない日もあることを考えたら50頁ぐらいは読んでおく必要があるからなのです。たいして人気のない本であればさらに3週間延長できることもあるのだけれど、あいにく今回借りた本は予約がぎっしり入っていて延長できませんでした。

では、前回以降に読んだ本について少し書いておきましょう

黒い雨 井伏鱒二

「黒い雨」を読んでみようと思ったきっかけが何だったのかは忘れてしまった。本棚にあったから手に取ってみただけだったのか、原爆関連の何かを読んでこの本のことを思い出したのか。いずれにしても、長い間ベッドサイドのスタンドに置いたままになっていたのは確かだ。

「黒い雨」は高校一年の夏休みの課題図書だったように思う。夏休みに部活に行く電車の中で読んだという記憶があるからなのだが、実際の本の内容は広島の原爆のこと、誰かの結婚が破談になったこと、くらいしか覚えていなかった。黒い雨は原爆投下後に降った重油のような雨のことだが、主人公の姪がこの黒い雨をあびたことから原爆症の疑いをかけられて結婚が次々と破談になる。その疑いを晴らすために主人公は原爆投下後に書いた自分の日記を清書して、姪の縁談相手に渡すことにするのだが、その日記の内容が当時の惨状を物語っており、本人が経験したこと以外にも、知人や通りがかりの人達の話も織り込まれている。地獄絵のような状況下で、人の心が麻痺してしまったような描写もある。ちょうどこの本を読んでいる時に、数年前にアカデミー賞を受賞した映画「オッペンハイマー」を観た。原爆投下後、マンハッタンプロジェクトのリーダーであったオッペンハイマー博士が狂乱したような観衆に称賛されるシーンがあった。つい先ほどまで読んでいた「黒い雨」の中には、赤ちゃんをかばって丸焦げになった母親の姿や、全身にやけどを負いながらも水を求めて彷徨う人々の描写がある。今でもアメリカや東アジアの一部の国の人の中には、原爆は日本の自業自得だという人たちがいる。虚しさを感じざるをえない。


Demon Copperhead - Barbara Kingsolver(デーモン・コッパ―ヘッド / バーバラ・キングソルヴァ―)

バーバラ・キングソルヴァ―は好きな作家のひとりで、今までにも「ポイズンウッド・バイブル」や「The Lacuna」やエッセイ集などを読んでいる。この「デーモン・コッパ―ヘッド」はタイトルからもうすうす分かるように、ディケンズの「デイヴィッド・コパフィールド」へのオマージュだという。アパラチアの山の中で母親と暮らすデーモン少年は、母親がドラッグ更生施設に入院するたびに里親のもとに送られ、そうした里親には優遇されず過酷な労働を強いられる。母親が更生施設を出て再婚すると、その再婚相手からは虐待を受ける。母親が薬品の乱用で亡くなると、父方の祖母を探し出し、祖母の知り合いのフットボールコーチの家に預けられ、高校ではフットボールのスター選手に成長するが、再起不能な怪我を負い、フットボールの夢をあきらめざるを得なくなる。怪我の治療で処方された痛み止めの薬を乱用するようになり、最愛のガールフレンドをドラッグで失う。アメリカの貧困やドラッグといった社会問題がデーモン少年を通して描かれている。最後は少し明るい未来が垣間見られるのがせめてもの救いである。デーモン少年が目指した場所は、私が住む町の海だった!


The City and its Uncertain Walls - Haruki Murakami(街とその不確かな壁 / 村上春樹)

待っていた本がようやく図書館で借りられた。「街とその不確かな壁」というタイトルを見たときに「これは、『世界の終わり』のことだろうか?」と思い、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の続編なのかと思っていた。ところが実際は「世界の終わり」が「街とその不確かな壁」を基にした場所だったらしい。「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を読んだのは20代前半のころだったと思う。一角獣がいて、住人は影を持たず、一角獣の頭蓋骨から記憶を読む…という不思議な世界に魅了された。その世界が「街とその不確かな壁」で再現されている。村上春樹の小説は、主人公がいつもきちんとし過ぎていて、少女が姿を消してしまって虚無感があるような描写でも、主人公は淡々として日々を過ごしている。これはもしかしたら作者自身がストイック過ぎて、あまり人間の弱さを知らないんじゃないかという気もする。別の小説だが、カフカ少年のような15歳は現実にいるだろうか。それといつも比べてしまうのは、宮本輝の描く少年や青年だ。人間として共感できるのは、こちらのように思う。なにはともあれ、ふたたび「世界の終わり」の世界に引き戻されて、楽しく読んだ。機会があれば、日本語でも読んでみたい。


青い壺 有吉佐和子

つい先頃、有吉佐和子の「青い壺」がベストセラーリストの1位になったというニュースを見た。1977年に出版された昭和の小説が新しい小説を抜いて1位になるとはどういうことなのかと興味を抱いて、電子書籍で購入してみた。有吉佐和子の本はこれまでにも何冊か読んだことがある。20代の頃に「海暗」や「華岡青洲の妻」「非色」「恍惚の人」などを読み、ある時は人から「複合汚染」のことを聞いて読んでみた。今年に入ってからは「女二人のニューギニア」というエッセイ/紀行文を読み、最近知人からもらった文庫本の中にも彼女の小説があり、これから読む本として今もナイトスタンドの上に置いてある。「青い壺」は、ある陶芸家が焼いた殊のほか風情のある青磁の壺がいろいろな理由から様々な人の手に渡り、その壺を手にした人々の人間模様を描いた小説である。特に優れた小説という印象は受けなかったが、昭和はこういう時代だったなと思い出すことがたくさんあった。若い人たちが読むと新鮮に映るのかもしれない。以前Netflixで「阿修羅のごとく」を見たときに、やはり忘れていた昭和のいろいろなことを思い出した。新しいドラマなのに時代背景がしっかりしていると思った。


Things in Nature Merely Grow Yiyun Li(イーユン・リー)

2025年上半期に出版された本でNPR(米国公共ラジオ放送)のスタッフが薦める本の中にこの本があった。二人の息子を自死で亡くした作家のエッセイというような紹介だったと思う。最初は気付かなかったが、イーユン・リーは昨年の夏に読んだ小説「The Book of Goose」の作者だった。彼女は長男を16歳で、次男を19歳で亡くしている。どちらも自死だったという。どれほどの悲しみを経験したことか。私には想像もできない。しかし本書の中で彼女は子供たちの死を冷静に見つめている。彼女の考えや物の見方は一般的ではないかもしれないが、その冷静さの裏に計り知れない悲しみがあるのだろう。タイトルのThings in Nature Merely Grow(自然のものはただただ育つだけ)には、子供たちを一個人として敬う作者の姿が表れているように思う。


 

2025年4月21日月曜日

最近読んだ本

 もう4月だというのに、今年は読書がちっともはかどりません。特に日本語の本が…

私の読書は、お昼過ぎのひと時に英語の本を、就寝前にベッドの中で日本語の本を読むのが普通で、だいたい2冊を並行して読んでいます。この形式になったのは、夜は疲れすぎていて脳があまり働かないため、英語の本の内容が頭に入ってこないからなのだけれど、最近は日本語を読んでいても数ページで寝落ちしてしまうので、一冊読み終えるまでに数週間、場合によっては1ヶ月以上もかかるのです。そして、せっかく読んだ本の内容をすぐに忘れてしまうのも困ったものです。

Red Sorghum(紅い高粱)- Mo Yan (莫言)

昨年読んだ余華の「兄弟」「活きる」からの流れで、中国人で初めてノーベル文学賞を受賞した莫言の代表作のひとつを読んだ。語り手は、自分の父と祖父母とその周りの人々が中国のある農村で体験した日中戦争の出来事を語る。広大な高粱畑が生活のすべてであり、愛も戦争も死もこの高粱畑で繰り広げられる。日中戦争の物語ということで、日本軍の残虐行為が延々と描かれているものと思って読み始めたけれど、これは反日文学ではなかった。もちろん日本軍の非情な行為のシーンも多々あるものの、それと同じく革命軍や八路軍の同様のシーンもあり、全編を通して惨たらしい描写が絶えない。戦闘シーンと家族や人とのつながりが交互に語られ、その中で「死」が普遍的に描写されている。非常にダークな小説ではあるけれど、中国の歴史の一部として興味深く読んだ。


土と兵隊・麦と兵隊 火野葦平

こちらは日本兵の視野から日中戦争を描いた作品。土と兵隊は1937年の杭州湾上陸を弟への手紙として記しており、麦と兵隊はその後の徐州会戦の進行を記録したもの。ちょうどRed Sorghumの時代と重なることと(場所は違うけれど)、その他に個人的な興味があってこの本を手にした。というのは、私の祖父が徐州会戦を経験しているから。小学生の頃、祖母が家計簿に大事に挟んでいた新聞記事を見せてくれた。その紙面には若い祖父の写真と、その横に「行方不明」という文字があった。祖母は「戦争の時に…」と言っていたから、私は太平洋戦争のことだとずっと思っていたのだけれど、何年か前に実家の押し入れを整理していた時にこの家計簿と新聞の切り抜きが見つかって、大人になってこの記事を読んでみたら、徐州会戦の時のことだった。火野葦平が所属していた部隊と祖父の部隊は徐州に至るまで別の進路をとったようだから全く同じ経験をしたわけではないだろうけれど、似たような体験であったかもしれない。読みながら、私の知らない若かりし日の祖父がそこにいるような気がした。きれいごとばかりではない描写を同様に体験したかもしれない祖父はどう感じたのだろうか。ちなみに、行方不明になったはずの祖父は、太平洋戦争後、生存率数パーセントと言われるニューギニアから帰還している。

 


The Zone of Interest(関心領域)- Martin Amis(マーティン・エイミス/北田絵理子訳)

地球をぐるっと廻って、こちらは第二次世界大戦中のドイツ第三帝国。これは先述の2冊とは関係なく、この本を元にした映画が日本のアマゾンプライムで見られるというような話をどこかで聞いて、そういえば数年前にアカデミー賞を受賞した映画だったなと思い出した。アメリカではまだ有料でしか見られないけれど、その前に原作を読んでおこうと思い、図書館アプリで電子書籍を借りた。The Zone of Interest(関心領域)とは、アウシュビッツ強制収容所に勤務するナチス軍人らの居住区を指す。小説の主な語り手は3人。ナチス将校のトムソン、アウシュビッツ強制収容所の司令官ドール、ユダヤ人でありながらユダヤ人から没収した貴重品や装飾品の整理をするソンダ―コマンドのシュムル。司令官の妻ハンナを巡り、三人の男たちの人生と心理が変わっていく様子を描く。ナチスが収容所で行っていることを異常だと思わない異常さ。私が戦争文学を読む理由は、決して戦争というテーマが好きなわけではなく、戦時下での人々の心理がどういうものなのかを知りたいということがあるのだと思う。お国のために命を捧げるということ、残虐行為を正当化する集団心理など。いくら読んでも、平和ボケした自分には理解しがたい。

 


A Crack in Creation(クリスパー CRISPR 究極の遺伝子編集技術の発見)- Jennifer Doudna/ Samuel Sternberg

フィクションが続いたので、ノンフィクションを一冊。複雑極まりなかったゲノム編集技術をCRISPR Cas9という最新技術で一新してノーベル賞を受賞した作者が、発見に至るまでの道のり、未来への展望、そして危機感と危機管理について語った著作。前半の発見に至るまでの話はかなり科学的な内容ではあるものの、一般向けに書かれた本なので、そこまで難しくはない。私はゲノム編集の技術的なことなど何も知らなかったから、バクテリアに感染するウイルスがいることや、そのウイルスに対するバクテリアの免疫がウイルスのDNAの一部を切り取って上書きすること、そしてそのバクテリアの行動がゲノム編集技術につながったことなどを面白く読んだ。ゲノム編集に対する私の考えは決してポジティブではない。単純思考で言うと、私が見てきた中で、植物の中には交配するものとしない物があって、自然界の中で交配しないのにはきっと何らかの理由、交配してはならない理由があるからだと思っている。動物でも、ライオンとトラを交配することはできるけれど、その子供には繁殖力がないという。その子孫を残すと自然界にとってよくないからだろうか。この本が出版されたのは10年近く前のことで、著者はCRISPRを使えば、絶滅した動物を復活させることができると未来への展望として述べているが、つい先日、絶滅したダイアウルフ(ダイアオオカミ)をCRISPRで復活させたというニュースが流れた。マンモスを復活させるプロジェクトも進行中だという。植物の世界ではすでに様々なゲノム編集が行われていて、ラウンドアップに耐性のある大豆をモンサントが開発したことは有名だ。こうしたゲノム編集に関しては、自然な進化がスピードアップしただけだから安心だというのが一般的な考えらしい。またゲノム編集の展望として、遺伝性の病気を後天的に遺伝子治療で治すことが期待されている。鎌形状貧血やハンティントン病などがその候補になるという。私も個人的にハンティントン病に苦しむ人を知っていて、藁にもすがりたい思いというのはわかるので、ゲノム編集を一概に否定することもできないのだけれど、著者が危惧するのはそうした後天的な編集ではなく、胚芽を操作する生殖細胞系列の編集だという。良いとこ取りをした、いわゆるデザイナーベビーの誕生につながりかねないことや、編集した遺伝子が後世に伝わることの不透明な安全性に警鐘を鳴らす。ふと、カズオ・イシグロの「クララとお日さま」の子供達が編集された子供達だったなと思った。著者はそうしたゲノム編集の問題を提起、議論するシンポジウムを立ち上げている。自然の摂理というものは私たち人間が解明できないほど緻密にできていると私は思っていて、その一部を人がいじることで、何か大きな影響を引き起こすのではないかと心配になる。


 

 

2025年2月6日木曜日

浦安/シンガポール/横浜 シンガポール編1

 シンガポールを訪れるのは20年ぶりです。あの時は夫が出張でシンガポールに3週間ほど出かけていて、確か、帰る頃がちょうど感謝祭の週末と重なったので、私と子供達が休みを利用してシンガポールに行ったのではなかったかと思うのだけれど、10月だったような気もします。あの頃はシンガポールのことなど何も知らずに、何を見ても珍しく感じたことを覚えています。屋台が並ぶホーカーセンターで珍しい料理を食べたという話を現地の夫の職場のアメリカ人女性に話したら、「You are brave(勇気あるわねー)」と言われたことも。

さて今回20年ぶりに訪れたシンガポールは、大都会でした!

シンガポールではアラブストリートに近い場所にあるホテルとオーチャード通り辺りのホテルに泊まったのだけれど、どちらも近くにモールのようなショッピングセンターが幾つもあって、平日でもとにかく人出が多く大賑わいでした。これだけの人が毎日毎日買い物や飲食をしているというのは、経済が上向きな証拠なのでしょう。20年前には見た覚えのない高層ビル群や整備された公園など、発展している国というのは20年でこんなにも変わるものなんだなと感じました。そうそう、20年前はまだあの有名なマリーナベイサンズがなかったんですよ。

さて、初日はシンガポールに着いたのがすでに夕方で、ホテルにチェックインしてから軽く食事をして早々に寝てしまいました。

翌朝はホテルで朝食を済ませて、また空港に向かいました。チャンギ空港に隣接する施設「Jewel」内の巨大な滝を見に行くためです。というか、その日のメインイベントに向かう通り道だったということもあるのかな。今回の旅行も娘がほとんど計画して、私は彼女のあとを付いていくだけという恰好でした。

 

 

 

周りを囲む壁には熱帯の花や植物が植えられ、5階ぐらいの高さから階段や通路を伝って下に降りられるようになっています。その真ん中には天井から水が落ちる圧巻な滝があります。娘もここは初めてとのこと。フライトの発着時についでに見ればいいのかもしれませんが、出発前や到着後はバタバタしていることが多く、そんな余裕はないかもしれませんね。

午後はフェリーに乗ってウビン島という小島に渡りました。フェリーというと聞こえはいいけれど、釣り船みたいな船で、乗船客も私たちを含めて10人ほど。出航時刻というものはなく、乗り場に10人ぐらい集まらないと船は出ないようでした。

20分ぐらい(うろ覚え)船に揺られていると、島に着きました。海の上からはすぐ近くにマレーシアが見えます。港の近くにある貸自転車屋さんでレンタサイクルをして、島の中を自転車で駆けまわりました。島を縦横する舗装された道や砂利道ではほとんど車に出会うこともなく、近くの石切り場に出入りすると思しきトラック何台かとすれ違っただけでした。道のまわりは背の高い木々や熱帯植物が生い茂る森で、聞こえてくるのは、キーキーと啼く鳥の声と木の葉が風でさらさらとそよぐ音ばかり。途中で同じように自転車に乗った観光客数人に会ったけれど、それ以外は私と娘の二人だけの世界でした。上り坂ではふうふう言いながらペダルをこぎ、下り坂はブレーキもかけずに猛スピードで駆け下りました。そうしているうちに島の対岸についてしまい、そこからは来た道を戻るしかないらしく、猛スピードで下りて来た道を、今度は懸命にペダルをこいで上がって行きました。すると雨が降ってきたので、道端に設置されている屋根付きの休憩所のような場所でしばらく雨宿り。シンガポールはちょうど雨季で、滞在中は一日に何度も短い雨が降ったりやんだりしていました。

夕立のように激しく降る雨が熱帯植物の大きな葉を打ちつける様子を見ながら、モームの「雨」を思い出しました。あれは南太平洋のどこかの島の話だったけれど、あの雨もそのときに私が見ていたような熱帯の激しい雨だったのかな、と。若い頃にこの短編を日本語訳で読んだ時には結末がさっぱり分からなかったのだけれど、今回の旅行から帰ってきて英語の原作を読んでみたら、結末を示唆するような遠回しな表現があちらこちらにあることに気付いて、結末が分かったような気がしました。(検索すれば、結末が何を意味しているのかという解説があるとは思うのだけれど、それは敢えて見ないことにします)

雨が止み、また来た道を戻って行くと、道端に何匹かのお猿がいました。親猿もいてちょっと怖いので私はゆっくりと通り過ぎたのだけれど、森の中からはキーキーと騒ぐ相当数のお猿の声が聞こえてきます。バナナの木もあったみたい。ある程度の距離を置いて振り返ると、私の後ろから来た娘がお猿のすぐ横で写真を撮っています。えっ、お猿の大群が襲ってきたらどうしよう。私が助けに行かなきゃいけないの?いやだー、早く来て~。そんな私の心配をよそに、娘は悠長に写真を撮っています。私はじっとそこで娘を待っていました。しばらくして娘が私の横に来て、

「ベイビーがいたよ、親猿のお腹のところに。見た? モンキーにもカンガルーみたいにお腹に袋があるなんて、知らなかったなー」

と言います。

あのー、モンキーは有袋類じゃないから袋はありません。しがみついていただけです。

娘ちゃん、ときどきこういう天然発言するのよねぇ。

 

こうして島の中を3時間ほど自転車で走りまわったのでした。岸辺のマングローブの林にはワニもいると聞いていたのだけれど、幸か不幸か遭遇することはありませんでした。何があるという訳でもない島で、自然の中を自転車で走りまわっただけなのに、なんだかすごく楽しかった。シンガポール観光というと都会的なことばかりのようなイメージだけど、こういう楽しみ方も新鮮でした。(つづく)

2025年2月4日火曜日

浦安/シンガポール/横浜 浦安編

 

112日から22日までの10日間、日本とシンガポールに旅行に行ってきました。

うちの娘は毎年、自分の誕生日のあたりに旅行に出かけることにしていて、昨年のメキシコシティーに引き続き、今年も私が同行させてもらえることになりました。彼氏のH君はスイスでのマラソンで有給休暇を使い果たしてしまったそうで、今回は残念ながらお留守番でした。

今回の旅行先は日本経由のシンガポール。娘は昔からシンガポールが大好きで、今回は6度目の訪問だそうです。せっかくそちらのほうに行くのだから、日本にも寄っていきましょうということになり、日本に3泊、シンガポール5泊、機内1泊、日本1泊という予定をたてました。ハワイから来る娘とは羽田空港で落ち合うことに。

ところが、いざ出発の日、降雪で私のフライトがキャンセルになってしまったのです。最寄り空港の午前中の便はすべて欠航のため、メジャーな空港のどの日本行きの便にも当日は乗り継ぎができないとのこと。ふぅぅ、なんてこと。

 

仕方がないので、その旨を娘に連絡して、翌日の便で向かうことにしました。ラッキーなことに、日本行きの便では3席の座席一列独り占め。10数時間のフライトで、これはかなり嬉しい。

日本滞在はなぜか浦安です。娘のホテルの特典か何かで部屋のアップグレードができることと、空港からホテルまでリムジンバスで移動できるということが理由のようです。浦安といえば東京ディズニーランドですが、実際に私たちの泊まったホテルにもいわゆるインバウンドのカップルや家族連れの宿泊客が多く見られました。

 


私は浦安と聞くと、槇村さとるの「半熟革命」というマンガを思い出してしまうなぁ。昭和のちょうどバブル期の頃のマンガです。東京に憧れて原宿あたりのファッション系専門学校に通うことになったハナちゃんは、浦安を東京だと思い込み、大きな一軒家を格安な家賃で借りるのだけれど、外国に住んでいるはずの大家さんが何かの手違いで戻ってきてしまい、同居する破目に。ハナちゃんは浦安が東京でないことを嘆き、和食と浦安をこよなく愛する大家のジロさんをダサいと軽蔑するのでした。でも実際、ジロさんはハナちゃんの憧れを想像以上に超えたスゴい人だったのです。そしてハナちゃんの心も次第に変わっていくというお話です。ハナちゃんが想いを寄せるカズオ君はイアン・マッカロクがモデルかな。そういう時代でしたね。

今回私たちが泊まったホテルは新浦安地区というところにあって、新しいマンションやホテルが立ち並び、道も広くきれいで、新しい街というイメージでした。昼間も人が少なく、閑散とした感じでした。「半熟革命」の舞台の猫実町というところにも行ってみたかったけれど、今回はフライトがキャンセルになって1日削られてしまったこともあり、叶いませんでした。娘は1日目はニューヨークの友達が表参道で開いていた家具の展示会に行ったそうです。

翌日はホテルで朝食を済ませて(私は和食ばかりをいただきました、白米が美味しかった~)から「ららぽーと」というショッピング・モールへ。あれもこれもお買い物をしたかったのだけれど、翌日のシンガポール便にはスーツケース1個しか預けられないことになっていたので、ここでお買い物をしてしまうと、シンガポールでは何も買えなくなってしまいます。ここは見るだけにして、最終日に買うものをチェックしました。ブックオフに買いたい本がたくさんあったのだけれど、本なんて重くてとても買えません、泣。「ららぽーと」はちょっとアメリカのモールみたいな造りでした。この日は平日だったからなのか、アメリカのようにモール文化は衰退しているのか、人はまばらでした。

お昼はモール内の大戸屋で食事を。娘はアジフライ定食(シブい)を、私はお豆腐のサラダのような定食をいただきました。二人でお腹いっぱいに食べて2000円ちょっとくらいでしたが、後でカードの明細を見てこれまたびっくり!なんと2人分、$13ぐらい。円安のおかげですが、アメリカではアジフライ定食だけでも13ドルではとても食べられません。アメリカ人向けの不思議な巻き寿司(裏巻きでマヨネーズや辛いソースやウナギのたれが大量にかかったシロモノ)1本が13ドル以上しますから。今後アボカドに関税がかかると、もっと高くなるでしょうね(あんなものが、という比較対象であって、私は食べませんが)

翌日はもうシンガポールへ出発です。

搭乗ゲートの壁には、今永くんが。


この方々も 



100万年ぶりくらいに全日空便に乗りましたが、機内食が天丼だったのには感動しました。もう100万年もアメリカ系航空会社の便にしか乗っていなくて、その機内食にはがっかりさせられることばかりなので。

そうして無事にシンガポールに到着しました。つづく(本当に?)