2023年1月5日木曜日

走り初めとホノルルマラソン

今年のお正月三が日は異様に暖かく、気温が20℃近くまで上がりました。そこで元日からさっそく走り初めに出かけました。とは言うものの、実はホノルルマラソン以来、一度も走っていなかったのでした。

新しいシューズを履いていつものスタート地点から走り始めたのだけれど、なんだか体が重くて思うように進みません。それもそのはず、20日間も走らなかっただけじゃなく、ハワイから戻ってきたら3㎏も体重が増えていたのです。フルマラソンを走ったのに…ですよ。いったいどんな食生活をしていたのでしょうか。

走り初めは息も絶え絶えに5kmでギブアップ。まるでフルマラソンの終盤コースを再現しているようでした。2-3週間走らなかっただけで、こんなに苦しくなってしまうんですねぇ。

と、ホノルルマラソンのことを思い出したので、回顧録を書いておきましょう。

今回のホノルルマラソンは娘の彼氏のH君と息子の彼女のSちゃんと一緒に参加しました。H君は前年ほとんどトレーニングもしないで挑戦したフルマラソンのリベンジと称して、今回はしっかりトレーニングを積んで、3時間15分切りを目指していました。私とSちゃんは初めてのフルマラソンなので、目標は完走です。

朝5時のスタート時間に間に合うように娘の家を出て、まだ暗い道を15分ほど歩いてスタート地点のアラモアナ公園に着きました。すでにスタート前の道は参加ランナーで埋め尽くされています。まだスタートまで30分以上あり、Sちゃんがトイレに行くというので私も付いていくと、ずらりと並ぶ簡易トイレの前にはいくつもの長蛇の列ができています。なるべく短い列に並んだものの、なかなか進まずに時間が心配になってきました。スタート地点に戻ろうとしたときには4時50分を過ぎていて、スタート地点ははるか遠くにあります。5時になって花火が上がり、先頭グループがスタートした時点でも、私たちはまだスタートの列に合流できていなくて、本当は自己申告タイムに従って色分けされた待機場所が決まっているのだけれど、それがどこなのかももう分からず、とにかく入れる場所に入って、流されるままに動いてスタートを切りました。先頭から13分ぐらい遅れて。

フルマラソンだから最初から飛ばすようなことはせず、ゆーっくりSちゃんと走っていたのだけれど、5kmぐらいのところでSちゃんがまたトイレに行くというので、私は先にゆっくり走って、途中でSちゃんが追い付かなかったら10kmのところで待っていることにしました。10km地点で一旦止まって待っていると、1分もしないうちにSちゃんが来たので、また一緒に走りだしました。10kmを過ぎるとダイヤモンド・ヘッドの上り坂が待っています。ここで無理をすると後が続かないと思って、かなりスピードを落として坂を上がると、海が目の前に広がり、水平線の彼方から太陽が昇ってきました。日の出の写真を撮っている人もたくさんいました。

しばらくは平らな道やゆるい上り坂が続いたのだけれど、Sちゃんがここでダウン。さっきの坂で消耗してしまったようで、もう走れないと言います。「Jさん、先にいってください」と言うので、ゆっくり走るから追いつけたら来てね、と言い残して先に進みましたが、最後まで会えず仕舞いでした。このあたりでトップのエリート招待選手がすでに戻ってきていました。

それから幹線道路に入ると、折り返してきたランナーが対向車線を走っています。どこかでH君に会うかもと探しながら走りましたが、見つからず。でもそうしていたおかげで苦しさも退屈さも感じずにあっという間に20kmを過ぎました。そのあたりに日本のテレビ局(TBS)のカメラマンの車が伴走していて、日本の芸能人が走っていたと後で知りました。折り返した後に日本人の女性アナウンサーと思しき人が日本人のランナーの人たちと写真を撮っていたのを見かけました。

と、まぁ、30kmぐらいまではそんな感じで楽しく走っていたのだけれど、30kmを過ぎたら途端に足が上がらなくなってきて、給水所で止まっては水やスポーツドリンクを飲んで、また走り出すものの、もう走っているのか歩いているのかよく分からないような速度になってきて、ここは本当につらかった。そこに追い打ちをかけるように最後の3kmぐらいのところに上り坂があって、もう何も考えられませんでした。その後は下り坂をおりるとすぐにゴールの公園が待っています。ところが、公園に入ってもフィニッシュラインがなかなか見えないのです。普段だったらなんとも思わない距離が長いのなんの。最終ストレッチに入って、沿道の声援が聞こえてきたので、きっとどこかにうちの娘がいて、写真を撮っているにちがいないと、無理に笑顔を作って、最後は両手を上げてゴールしたのに、なんと、娘も、すでにゴールしたH君もそこにはいなかったという(駐車場の関係で車を移動しなければならなかったんだとか。↓は買った写真)

 


ゴールしたあとはメダルを受け取ってからしばらく一人で芝生の上に座り込んでいました。娘から電話があって合流したあと、ブースでTシャツとココナッツウォーターとバナナとマラサダ(ハワイ風ドーナツ)をいただきました(今回はビールはなし、笑)。

私がゴールしてから1時間半ほどしてSちゃんがゴールしました。スマホで追跡していたので、Sちゃんが最終ストレッチに入ってきた時に沿道から声をかけると、半泣き状態でフィニッシュラインを越えていました。辛さと嬉しさの両方の涙です。

H君は目標タイムの3時間15分には届かなかったものの、3時間21分でゴールしました。本人は満足だと言っています。今年の目標はサブ・スリーかな。

こうして私の初フルマラソンは幕を閉じました。最後の10kmほどは本当に苦しかったけれど、終わったらあの苦しさの半分ぐらいは忘れてしまって、また今年も走ろうと思っているから困ったものです。42kmって想像もできない距離だったけれど、やればできるものですねー。

さぁ、早く余分な体重を落として、今年も走るぞー!


4 件のコメント:

  1. Jさん、読んでいるだけで私には無理だ…と思ってしまいました。
    Jさん、Sちゃん、よく頑張りました!H君はご自身の目指した時間にほぼ近い実績を出されてすごい!
    完走おめでとうございます!
    今後少し辛いことがあったらJさんの最後のお写真を眺めて自分を勇気づけたいと思います。(冗談ではなく真面目に)

    北米の秋冬の気候でのランニングが好きなせいで、以前住んでいたシンガポールで走り始めた時の辛さったらなかったです。
    気温や湿度などの環境要因はランニングを左右しますよね。
    Jさんのお住まいの気候と比較してハワイではどうだっただろうと想像しました。
    完走後の数日間は脚の状態はどうでしたか?また、筋肉痛など体の痛みはなかったでしょうか。
    というのも、昨年から歳のせいか10キロランニングを週に数回続けていたら足のアーチが落ちてきたのか痛くて、続いて膝に来るようになりました。その後は徐々にランニングに出る回数を減らしていたところコロナに罹患、今に至ります。
    なので今は足の痺れ、膝の痛みもすっかり消え、日常を快適に過ごせるようになりました。
    ちなみに私は時速にして1キロを6分ほどのスピードで走ります。
    先日久しぶりに走ったら時速はほぼ安定、冬の気温が気持ちよかったけれど、10キロならまだしも42キロは遥かほど遠い。
    なので最近は時速9キロから10キロくらいでのウォーキングがもっぱらの日課です。

    Jさんのお話をうかがっているうち頭に“出産“が思い浮かびました。
    とてもとても大変だけれど、もう1人くらい…となる感じ。
    と言ってもなかなか出来ずに8年も空いて2人目だったので2度の経験値のみですが。苦笑
    フィニッシャーのプリントのTシャツが輝いております。^^

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    1. Knotrieさん、私も1年前はフルマラソンなんて絶対に無理だと思っていました。それでもエントリーしてしまったので、なんとかしないと…と自己流でトレーニングをした次第です。どうにか完走はできましたが、改善の余地はまだまだあります。

      私も夏の高温多湿な気候よりも寒いぐらいの気温の方が走りやすいので、ホノルルの暑さはどうだろうと心配していましたが、当日はものすごい強風で汗もすぐに乾いてしまい、日差しもそれほど強くなかったため、不快感はまったくありませんでした。
      レース直後は一度座ってしまったら腰と大腿部がかなり痛くなったけれど、しばらく歩きまわっているうちに少し楽になりました。翌日から数日は大腿部が激しい筋肉痛になり、階段の上り下りが大変でした。それからなぜか夜になると足が腫れて湿疹が出ることが数日続きました。今でも右足の親指の爪が全体に赤紫色になっています。私はこれまでも膝を痛めることはほとんどなかったのですが、Sちゃんはレース後しばらく膝が痛いと言っていました。
      私も5キロや10キロの場合は1km6分ぐらいのペースです。ハーフやフルは6分では続かないことはわかってはいるのだけれど、トレーニングではなかなかペースが落とせなくて苦労しました。今は6分ペースに戻すのに苦労しています。
      私は昔、シンスプリントや疲労骨折で走れなかった時期があって、ブランクがあるともう以前と同じように走れないんじゃないかと心配したことがありましたが、そんなこともなく復帰できたので、最近はしばらく走らなくても気にしなくなりました。また3km、5kmから始めればいいや、と。私も去年の今ごろは10kmぐらいしか走れなかったので、Knotrieさんも来年の今ごろはフルを完走しているかもしれませんね。
      なるほど、フルマラソンは出産に似ているかも。出産も痛みを忘れちゃいますものね。そうじゃなければ2度目の出産なんてできなくて、みんな一人っ子になっちゃいますよね、笑

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  2. Jさんの記事を読んでいるだけなのに なんだか私まで 走って苦しい気分になってきたよ。特に坂を上がるあたり。。。すごい文章力! お疲れ様でした。ほんとうに。。。尊敬の一言しかないです。FinisherのT-シャツ、うちの両親もよく家で来ていました。あの年は確か青だったと思います。 SちゃんもH君も頑張ったね。私なら歩いでさえ完走する自信なしです。
    Jさん、もしかして 今度はNYマラソンにもエントリーしたの? それかボストンとか?

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    1. いやいやー、なんでこんな苦しいことをお金を払ってまでするんだろうねー。変な心理ですよね。普段のランニングでもね、走る前は、やだなー、面倒だなー、と思っているの。でも走ったあとはエンドルフィンのおかげか変に爽やかな気分になるのですよ。フルマラソンはその究極な感じなのかも。
      今回着た赤いTシャツは前回の10kのTシャツだったのです。次回(に出るなら)はこの緑のを着ます。
      歩いてフィニッシュと言えば、今回の最終フィニッシュ参加者は17時間何分だったそうです。92歳の日本人男性が7時間台でフィニッシュしたとも聞きました。7時間ってすごいよ。
      ボストンはね、年齢別のQualifying timeというのがあるから相当頑張らないとエントリーできないし、NYはくじ引きで当選確率が低いのですよ。でも、いつか走れたらいいなぁ。

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