2026年7月27日月曜日

東京マラソン - 本編

東京マラソンからすでに4ヵ月以上が経ち、記憶もおぼろげになってきた今日この頃。もう書かなくてもいいか、とも思うのだけれど、思い出せることだけでも書いておきましょうか。

マラソン前夜は、常宿にしていた港区のホテルから新宿に移動して、娘が手配しておいてくれたホテルに一泊しました。娘と彼氏のH君はその日の夜にホテルに到着。私はすでに近所のパスタ屋さんで夕食を済ませていたので、娘たちとは少しだけ話をして、自室に戻って翌日の用意をして早々と寝てしまいました。といっても、眠ったのか、眠っていなかったのか。マラソン前夜はいつもそんな感じで睡眠不足なのだけれど、それで走れなかったということはないから大丈夫なのでしょう。


 3月1日の東京は快晴でした。気温も20℃近くまで上がるという予報で、それまで‐1℃や‐2℃という気温でランニングをしていた私には、暑すぎるという不安要素でしかありませんでした。マラソンじゃなかったら超快適な気温なんですが。


 

ホテルの窓から下を覗くと、東京マラソンのスタートラインが見えます。3つの箱のようなものの間を通る線を超えると、ランナー各自のタイムがスタートします。これはまだ朝の7時ごろだったので人もまばらですが、しばらくすると続々と人が集まってきました。私も支度をしてホテルを出ましたが、スタートラインはホテルの目の前なのに、私自身のコラル(待機エリア?)はずっと後ろなので、地下通路のようなところをぐるぐる回り、優に10分以上は歩いて私のブロック専用の入場ゲートに着きました。手荷物を預けて、お手洗いに行くと、途方もない長蛇の列。まだ時間があるから大丈夫と思って並んでいたのだけれど、列はちっとも進まず、各自のコラルに行かなければいけない時間は迫るばかり。もうトイレは無理かなと思ったけれど、なんとか間に合いました。

  

 自分のコラルに着いて待機していると、先頭集団(エリートランナー)がスタートした模様です。でも、スタート地点は遠すぎてアナウンスが聞こえただけ。次々とコラルごとに出発していき、私たちがスタートしたのは先頭のスタートから20分以上あとでした。20分以上もとぼとぼと歩いたり止まったりしながらスタートラインへ向かいました。

 スタート直前。ちなみに右側の手前の建物が宿泊したホテルです。ぐるぐると近辺を歩いて戻ってきました。笑

さあ、いよいよスタートです。でも、私の頭の中は不安でいっぱい。シンスプリントを抱えた脚は、どうなっちゃうんだろう。

何度片足ケンケンをしてみても前脛がズキズキ痛んで、本当にこの脚でフルマラソンを走れるのだろうか。かといって、この期に及んで走らないという選択肢も私の中にはありません。

この段階で私にできることは、コンプレッションのカーフスリーブを履くことと、最終手段として痛み止めの薬を服用することぐらいしかありません。マラソンは腎臓に負担がかかるから同様に腎臓に負担のかかる非ステロイド系の抗炎症剤(イブプロフェンなど)の服用は危険だと言われているけれど、 アセトアミノフェンなら抗炎症作用はないものの痛み止めにはなり、腎臓にも負担がかからないそうなので、Extra strength Tylenolを2錠服用しました。あはは、ドーピング…

スタートしてすぐは、やはりかなりの痛みを感じて、これはまずいな…と思っていたのだけれど、周りに気を取られているうちに痛みのことを考えなくなっていたようで、10㎞過ぎぐらいに脛を気にした時にはほとんど痛みがなくなっていました。むしろ慣れないカーフスリーブを使用したからか、逆の脚のふくらはぎのほうが痛くなっていました。

娘とH君は10㎞過ぎの秋葉原のあたりにいるはずだったので、そのあたりでは沿道を気にしながら走っていたのだけれど、どこにもいる気配がありません。あれー?と思いながら、次の約束の16㎞ぐらいで会えるだろうとひたすら走り続けました。前回の記事に書いたビルさんが12㎞の給水所にいるはずなので、探して声をかけようと思ったら、その給水所は大混雑していて水を取ることもできませんでした。ビルさん、いたのかなぁ。

さすがに3万7000人も走る東京マラソンともなると、なかなか人がばらけることがなく、いつも周りが混雑している印象でした。地元のマラソンだと周りに人がいなくなってしまうこともあるのだけど…

16㎞付近では娘たちが待っていることを私が失念していて…というのも、先日のボランティアの方々が17㎞の給水所にいることを考えていたからなんですが、道路の真ん中あたりを走っていたら、急に大声で私の名前を呼ぶ声が聞こえてハッとして振り返ると、H君が周りの人たちがびっくりするような大声で叫んでいました。流れがあるから私は沿道には近寄れなかったけれど、 大きく手を振って応援に応えました。

沿道ではたくさんの方々が応援してくださっていましたが、日本のマラソンは沿道の応援が穏やかです。アメリカのマラソンだと吠えるような応援の人がいるし、鳴り物を鳴らす人もいるし、面白いプラカードを掲げている人もいるけれど、東京マラソンでは「頑張って~」ぐらいしか聞こえなかった気がします。たまに大声を出している人はほとんど外国人でした。

娘とH君は5か所くらいで応援してくれて、H君の大声もどんどんエスカレートしていってました。二人とも、東京マラソンのコースは応援に最適だと言っていました。電車でどこにでも行けるから…と。

走っている私はというと、自分が地図上のどこを走っているのかがあまり把握できていなくて、景観もあまり見ていなかったというのが正直なところなのだけれど、さすがに浅草の雷門や銀座の目抜き通りは気づきました。さらに私のガーミン(腕時計)が異常作動をしていて、ペースがまったく掴めなかったのです。私は明らかに走っているのに、ペースが12分/㎞と表示されていたりして、それって歩くより遅いペースですよ。後でチェックしたら、ルートもとんでもないことになっていて、ビルの上を走っていることになっていたり、ジグザグに走っていたり、極めつけは42.195㎞を走り切っていないことになっています。3万人以上が同時にGPSを要求すると、安いモデルは淘汰されてしまうのでしょうか? 以前、ホノルルでもそんなことがあったような。

走ること自体は、ガーミンさんに頼らず自分の感覚だけで走っていたこともあり、それほどきつくはなかったし、銀座のあたりでは、ああ、もうすぐ終わっちゃうんだな、とちょっと感傷的になったくらいでした。なにしろ昨年の9月からずっと楽しみにしていたマラソンですから。ところが残り10㎞を切ると、急に足が上がらなくなってきて、1㎞がどんどん長くなっていくような気がしました。それまでは10㎞、20㎞と数えていたのが、「あと何㎞」に変わると同時に、距離がちっとも減らなくなりました。それでも最後の1㎞は走りにくい石畳の道を最後の力を振り絞って全力で走り(といっても、見ている人にはまったく速くは感じられないスピードです)、最後のコーナーを曲がるとすぐそこにフィニッシュラインが。人だかりがすごくて、一瞬そこがゴールだと気づかなかったけれど、無事にラインを越えました。タイムもまぁ満足できるものでした。でも、もっともっと頑張れそうな気がします。

こうして私の東京マラソンは終わりました。本当に楽しかった。やっぱり走ることって楽しい!

マラソンの後は家族と落ち合って、私の妹といつの間にか27歳になった姪も合流して、とあるホテルのビュッフェディナーに出かけました。マラソンの後だから、何を食べてもオッケー。

最高の一日でした! 

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さてさて、新たなニュースがあります。

なんと、来年4月のロンドンマラソンに当選しちゃいました!

いやー、東京で運を使い果たしたと思ったけど、強運だ。来年のロンドンマラソンは2日開催で10万人が参加する予定とのことですが、133万人が応募したうちの10万人。東京マラソンより当選確率が低いんですよ。 やったね、私!

2026年5月15日金曜日

東京マラソン2026-EXPO編

 東京マラソンを走るためには、数日前から有明の東京ビッグサイトで開催されるExpo会場に受付(ゼッケンや当日に私物を入れて預ける袋などの受け取り)に行かなければなりません。

大会二日前の金曜日、東京ビッグサイトに向かうために大崎駅で国際展示場行きの電車を待っていると、電車の扉ひとつ分ほど離れたところにいた女性がなにやら手を挙げてこちらを見ています。どうも私に向かって手を振っているようなのだけれど、知らない人なのできょろきょろしてしまいました。するとその東南アジア系の若い女性が近づいてきて、英語で「この電車(目の前に停まっている)は国際展示場に行きますか?」と訊いてきました。その電車のことはわからないけれど次の電車は確実に行くのがわかっていたから、その旨を伝え、そのプラットフォームにいた大半の人たちがきっとそうであるように「あなたも東京マラソンを走るの?」と訊くと、彼女はボランティアの受付に行くとのことでした。同じ方向に行くことだし、一緒に行きましょうか、と連れ立って電車に乗りました。尋ねなかったけれど、不思議なのは、駅のプラットフォームには大勢の人がいたのに、なぜ私に話しかけたのか、なぜ英語が通じると思ったのか。私の見た目は普通の日本人だと思うんだけどなぁ。

彼女はタイのバンコクに住んでいて、東京マラソンのボランティアをするために前日に到着したばかりとのこと。日本は初めてと言っていたけれど、スマホを片手に難なく行動しているようでした。

ビックサイトではランナーとボランティアの受付は別の棟だったのだけれど、彼女がランナーの受付に一緒に行きたいと言うので、私の受付を済ませてから 同じ棟で開催されていたEXPOをひと通り見て(アシックスのブースは、特に外国人に大盛況でした)、記念に東京マラソングッズをほんの少し購入してボランティアの受付に私も同行しました。

 ボランティアの受付はランナー受付(長蛇の列)とは打って変わってこじんまりとしたホールで行われていました。金曜日だったからか受付に来ている人もまばらでした。ボランティアの受付もランナー同様にチェックインするだけだと彼女は思っていたようなのだけれど、実際には説明会があって、数人ごとにテーブルを囲んで説明を受けていました。私が同行した彼女、ビルさんもテーブル席に案内されて説明を受けるようだったので、私は「ここで待っているね」と声をかけると、それを聞いたグループリーダーの方が、私にも同じテーブルに座るように勧めてくださいました。ある程度の人数が集まるまで説明会は始まらないので、その間にリーダーを含めて雑談などしていると、リーダーさんはアフリカの出身(国名を失念しました。タンザニアだったかな)とのことで、周りの日本人の方とはとても流暢な日本語で会話をしていました。私たちのテーブルは外国人ボランティアの方々の説明会だったので、会話はほとんどが英語でした。「今日は付き添いで来たの?」と訊かれたので、私は実はランナーで、ビルさんとは駅で偶然に会って意気投合したのだと話すと、マラソンを走る人がボランティアの説明会に参加することはとても珍しく、ボランティアの活動内容を知ってもらえるのはうれしいとリーダーさんは言っていました。

実際、ボランティアはその存在なくしてはマラソン大会を開催できないほど重要だと、どんなに小さな大会でも感じることなのだけれど、この時にボランティアの説明会に参加して、その感謝の気持ちが何十倍にも膨れ上がりました。私たちが呑気に走っていられるのは、こうしたボランティアさんたちの奉仕のおかげなのだと。説明会の後にテーブルにいた4,5人のボランティアさんから「マラソン、頑張って!」と声をかけていただいたので、私もみんなへの感謝を伝えました。リーダーさんは背が高くて細身でケニアやエチオピアのランナーのようにかっこよかったので(ステレオタイプですみません)、リーダーさんもランナーなんですか?と訊いてみたら、ご自身ではマラソンはしない、と。でも体育教師だからアドバイスはできるよ、と言って、カフェインはいつ頃摂るといい、などと教えてくれました。

ビルさんは12㎞、リーダーさん他は17㎞の給水地点にいるということだったので、見かけたら声をかけるね、と約束して解散となりました。

そのあとは、ビルさんと遅いランチをすることになり、お台場のほうまで歩いていくと、Tokyoというサイン(彫刻?)の前で写真を撮っている外国人たちがいて、東京マラソンのシャツを着ていたので、「マラソン走るの?頑張って!」と声をかけると、相手も「ありがとう」と返す。いいなぁ、こういうの。ランナー文化だなぁ。

 (私たちも写真を)

で、肝心のランチは、彼女が食べたいというお好み焼き屋さんに行きました。私もお好み焼きは久しぶり。 食事をしながら日本のこと、タイのこと、アメリカのこと(ビルさんもアメリカに住んでいたことがあるとのこと)などの話に花を咲かせました。私が二人分のお会計を済ませると、ビルさんが抗議するので、ここは私の国だから私がおもてなしするけど、私がバンコクに行ったら、ご馳走してね。と伝えたのでした。

さて、マラソン当日、12㎞地点の給水でビルさんには会えたのでしょうか? (続く) 

2026年5月13日水曜日

100万年ぶりの投稿

もう5月ですって。2026年の1/3以上がすでに過ぎ去ってしまいました。私はいったい何をしていたのでしょうか?

そういえば、3月に東京マラソンを走るはずじゃなかったのかしら?

うふふ、もちろん走りましたよ、東京マラソン。一生に一度走れるかどうか、というマラソンですものね。

東京マラソンは3月1日だったのだけれど、その前に約1か月ほど長野の実家に帰省していました。2月の信州は寒い寒い。そのうえに、わが実家はいまだに昭和な建物で、個々の室内は暖房が効いているものの、一歩廊下に出ると外と変わらないほどの寒さで、屋内の寒暖差が尋常ではないものだから、私は実家に着いた当初、気象痛に激しく悩まされました。少し頭を下げるだけで後頭部がジンジンと痛み、何もしていないときにも目がチカチカして、黒い稲妻のようなものが見えるのです。1週間ほどそんな状態が続いたけれど、寒さに慣れたからなのか、いつの間にか治りました。

東京マラソンを数週間後に控えて、最後の30㎞走をしなければならなかったので、少し気温の上がった日に千曲川の土手を走りました。冠雪の北アルプスが遠くに見えて、川岸にはシラサギやアオサギの姿があり、対岸には長野オリンピックのフィギュアスケート会場だったホワイトリングが見えます。その頃ちょうどミラノ・コルティナオリンピックが開催されていました。


30㎞走は気持ちよく走れたのだけれど、その後からちょっと脚の調子が…。あれー、これはなんだか昔患ったシンスプリントのような疲労骨折のような痛み。最初は、ん?ちょっと痛いかな?程度だったのが、 10㎞走っている間中ずっと痛くなり、これ以上走るとマズいかな、という状況に。すでに走行量を減らすテーパリングに入っていたので、アイシングをしたり、数日走らずに様子をみたものの、一向に良くなる兆候は見えません。だからって、東京マラソンを欠場するという選択肢はありません。

緊急処置として脛のサポーターやコンプレッション・カーフスリーブを購入したけれど、不安はつのるばかり…

そうして迎えた東京マラソンは… (続く…のか?)