2024年3月24日日曜日

シャムロック・マラソン

メキシコ旅行の5日目と6日目のことをまだ書いていないのだけれど、日常生活では次々といろいろなことが起きていて、3月に何があったのかも少し書いておこうと思います。

先週の日曜日はセントパトリックスデー (St. Patrick's Day)で、いつもならば家でコーンドビーフとキャベツの煮込み料理を食べる日なのですが、今年は何を血迷ったのか、ワタクシ、地元のフルマラソンなんぞにエントリーしてしまっていて、朝の7時半から海岸沿いの道をあっちへ行ったりこっちへ行ったりと42kmも走りまわっておりました。

このマラソンはセントパトリックスデーにちなんでシャムロック・マラソンといい、50年以上も続く地元唯一のフルマラソンなのです。前々からこのマラソンを走りたいと思っていたのだけれど、昨年はちょうどフロリダに出かけていたため出場できなかったので、フロリダから帰ってきてすぐにこのマラソンにエントリーしたのでした。

いつもなら12月にハワイから戻ってきたあとは、2か月ぐらいほとんど走らなかったりするのだけれど、今年はシャムロックがあるのでそんなことはしていられません。3か月前には大会の実行委員会(?)からトレーニングプランが送られてきたので、それに従って一応走ってはいたのだけれど、30kmぐらい走らなければいけない週にメキシコ旅行に出かけていたからスケジュールがずいぶんズレてしまい、結局30km走をしないまま当日になってしまいました。2週間前には、いつもしないストレッチをしたせいで、ひざ裏の腱が痛むようになり、走るときはそれほど痛みはないものの、不安は募るばかり。制限時間もあるので、途中で走れなくなったらどうしよう…などと最悪の事態ばかりを想像してしまいます。これは、まぁ、私の性格のせいでもあるから、しょうがないか。

でもね、思ったんです。先月、The Last Lecture最後の授業)という、がんで余命宣告を受けた大学教授が行った有名な講義についてご本人が綴った同名の本を読み、生や死や人生や諸々のことを感じたり考えさせられたりしました。そんな中で思ったのは、行動するのが不安なことや足踏みするようなことも、生きているからこそできるんだ、と。そんなことは当たり前なんだけれど、私たちは生きていること自体を当たり前のことと思って日々生活しているから、「生きているからこそ」なんて改めて考えることもないのかもしれません。でも、そう考えたら、マラソンに対しても気が楽になったし、いちばん苦しかったところで、「生きてるんだ、私」と思いました。

結果は、タイムも昨年のホノルルよりよかったし、走りも20km過ぎてからも補給ジェルのおかげでなんとか持続できたのでよしとしましょう。

あんなに「いやだ―、どうしよう」と言っていたのに、終わってしまうと「さぁ、次は何にエントリーしようかな」と探したりしているから、現金なものです。



2024年3月14日木曜日

メキシコ・シティー 4日目

4日目は、メキシコ・シティーから車で1時間から1時間半ほど離れた場所にあるテオティワカン遺跡を訪れました。娘がツアーを申し込んでいたそうで、早朝5時にホテル近くの集合場所に向かいました。1時間ぐらいしか離れていないのに、なぜまだ暗い早朝に出発するのかと不思議に思っていたら、娘が「朝陽が昇るのを見るためなんじゃない!?」というので納得。テオティワカン遺跡には太陽の神殿と月の神殿というふたつのピラミッドがあるのです。その背景に朝陽が昇るのだとしたら、見応えがあるでしょうねぇ。

テオティワカン文明は、アステカ文明を開いたメシーカ(Mexica)族が北部から現在のメキシコ・シティーにやってくる以前に栄えた文明で、謎が多く、ある時忽然と消えてしまったのだそうです。最盛期には遠くマヤやサポテカなどとも交流があり、多大な影響力を持っていたと考えられています。この文明の本当の名前は不明で、メシーカ族が廃墟となった遺跡を見て、テオティワカン(神のいるところ)と呼んだことから今もそう呼ばれているそうです。

様々なホテルから集まってきた10人ほどのツアー客を乗せたライトバンは真っ暗な高速道路を進み、空が少し白みかけた頃に目的地に着きました。車から降りると、遠くにうっすらとピラミッドの影が見えます。日中は20℃以上になる気温も、朝は5℃くらいの寒さで、薄手のダウンジャケットを着てきて正解でした。納屋のような小屋の中にはすでに何十人ものツアー客がいて、チェックインが始まっていました。名前や緊急連絡先や身分証明書の提示などを求められて、遺跡の見学なのにずいぶん慎重だなとは思ったのだけれど、私たちが外国人だからだろうとあまり気にもしていませんでした。小屋の中では温かいコーヒーや紅茶、お菓子、果物などが振る舞われ、建物の前の道路に白いライトバンがいくつも集まってきたので、それに乗って遺跡に行くのを待っているのだろうと思っていたのです。外が少しずつ明るくなってきて、前の広場の奥の方でなにかがモクモクと膨らんでいる様子が見えました。よく見ると、気球です。小屋の中のテレビ画面に気球やハングライダーの映像が映っていたから、ふーん、そういうツアーもあるんだ、と思って見ていました。そのうちにあっちでもこっちでも気球が膨らみ始めて、お手洗いから戻ってきた娘に、「見て、気球が膨らんでるよ」と言うと、娘は「ホントだ、写真撮って来る」と外に行ってしまいました。


 

しばらくするとグループごとに名前が呼ばれたので、それぞれにライトバンに乗り込んで遺跡に行くのだと思ったら、 車の横を通り抜けてどんどんと広場のほうに案内されました。「気球を見せてくれるのかな」と能天気に娘に話しかけると、娘はふふふと意味ありげに笑って、「これに乗るんだよ」と言います。私への誕生日プレゼントだそうです。え”え”ー。ちょ、ちょっと待って、これ、ホントに安全なの?ゴーゴーと火を噴いてますよ。空中で燃えちゃったりしないよね。木のカゴだよ。いろんなことが脳裏に渦巻いて、ちょっと足がすくみました。本当にこれに乗るの?

 

気球の準備ができて、カゴに乗り込み、いざ出発。ふわっと浮き上がって、ゆっくりスイスイと地表から離れていきます。すでに何十個もの気球が空に舞い上がっていて、それはそれは圧巻な眺めでした。朝陽はすでに昇っていたけれど、地表から上る朝靄が幻想的です。気球は比較的低い位置で移動していましたが、ピラミッドが近づくとその斜面を登るようにどんどん上昇していきました。月の神殿から「死者の道」(大通り)の上を移動し、太陽の神殿を越えてゆっくりゆっくり下降してサボテン畑の真ん中に着陸しました。実際に気球に乗っていたのがどのくらいの時間だったのか、もしかしたら30分程度だったのかもしれないけれど、時間が止まったように長い時間ふわふわと空に漂っていた気がしてしまいます。これもまた、私一人だったら気球に乗ろうなんて考えもしなかっただろうから、娘とH君に感謝しなければ。思い出に残る貴重な体験になりました。







最後は無事に着陸したことを祝って(!!!)、みんなでシャンパンで乾杯。 広大なサボテン畑の真ん中にお迎えのライトバンが到着して、また納屋のような小屋に戻り、裏にあるスペイン風のコートヤードでマリアッチのおもてなしと共に簡単な朝食をいただきました。


 

続いて、またライトバンに乗り込み、今度こそテオティワカン遺跡へ。ここでは有料ガイド付きのオプショナルツアーか、個人で行動するか、の選択肢があり、ガイドのおじさんが面白い人だったのでツアーに付いて行くことにしました。おそらく私たちだけで遺跡を見ても、「わぁ、大きいね、すごいね」ぐらいしか感じようがなかったんじゃないかと思いますが、ガイドのおじさんがとても丁寧に説明してくれたおかげで遺跡の歴史や背景がわかり、近くにある古代の神秘的な洞窟にも案内してもらったほか、お土産屋さんではテキーラやアガベの甘いお酒(ちょっと梅酒のような)などのテイスティングも用意されていました。お土産屋さんではいろいろと勧められるのかと思っていたら、そんなこともなく、遺跡での2時間ほどの滞在時間をたいへん有意義に過ごすことができました。

 

もう3週間以上も前の出来事なのに、なんだかまだ夢の中にいるような感じがします。

2024年3月4日月曜日

メキシコ・シティー 3日目

はい、メキシコ・シティーの話題はまだまだ続きます。

3日目はメキシコ国立人類学博物館に出かけました。ここは、日本で言ったら東京国立博物館や京都国立博物館のように国宝級の文化遺産が展示されている場所です。このメキシコ旅行までの2か月間に私が本を読んだり、オンライン講座を視聴したりして学んできたメキシコの歴史がぎっしり詰まった博物館です。

 

まずはアステカ文明の展示室へ。

ここで最も有名なのは、アステカの神殿の上にあったと言われる「太陽の石」でしょう。アステカ展示室に入ると、真正面の壁の前に展示されています。

 


 アステカの暦を描いたものだそうです。中央はなんらかの神様の顔で、舌を出しているのは血を欲しているからだといいます。アステカの人々は、太陽が毎日東の空から昇るためには、神に血を捧げなければならないと信じていたそうで、アステカの終末期、スペイン人が渡来したころには、毎日のように生け贄の儀式が行われていたのだとか。生け贄はアステカに限らず、マヤ文明のほか、メソアメリカの様々な文明で行われていたそうです。この刻石はアステカの神殿の最上部に設置されていたものだろうと推定されていますが、後に建てられたキリスト教の大聖堂の修復の際に偶然に発掘されたものの、しばらくは大聖堂の敷地内に放置されていたとかなんとか、件のオンライン講座の先生が言っていました。また、これは写真のように縦に飾るものではなく、卓状に置くものだから、生け贄の台として使われていた可能性が高い、とも。

そして、本物の生け贄儀式用の台は、こちら。

 

 これは実は少し高いところに置いてあって、背の低い私にはトップの部分が見えなかったのです。でも、私はこれが何なのかを事前に知っていたので(オンライン講座でこの映像をすでに見ていたから)、スマホを高く掲げて写真を撮りました。中央にある窪みは体内から取り出した心臓を置く場所で、手前に伸びた溝は血液の流れ道なのだそうです。この台の上でどれだけの人が亡くなったのかと考えると、恐ろしくもあり、悲しくもあり。神に命を捧げるのは栄誉なことだったとはいえ。

 
アステカの首都、テノチティトラン。私たちが滞在していたのは中央の神殿広場の左下あたりでしょうか。遠くに火山が見えます。

モクテスマ2世の被り物(再現品)

 


 アステカの絵が面白い。ちょっと「シンプソンズ」のようでもあり、他の展示物の中にはキース・へリングのようなデザインのものもありました。

シンプソンズと言えば、アステカ展示室ではなかったのだけれど、これ、誰かに似てません?

 

File:Mr Burns.png


 

Mr. Burnsにしか見えない。 

 


 こんな子もいました。私たちは「Boy with an attitude」って呼んでいたんだけど、大昔にもこんな生意気そうな子供がいたんですねぇ。口がビリー・アイドルだし。

 
こちらは、解説文の初めに「Danza」と書かれているように、踊っている人々の様子を表現しているそうです。どれも笑っている表情がいいですね。

メキシコの文明は生け贄や殉教など「死」にまつわる遺産が多い一方、人間の喜怒哀楽や「生」を表現したものも多く、生と死を包括的に捉えているように思えました。

こうして3時間以上も博物館の中を歩き回って、本当にたくさんの展示を見たのだけれど、さぁ帰ろうか、と出口に行きかけた時に、2階にもまだ展示室があることに気付いたのでした。メソアメリカの文明はすべて見尽くしたと思ったのに、いったい2階には何があるのぉー? でも、今回はここまでにしました。メキシコ・シティーにはまた来るような気がするし、そのインセンティブとしてここの2階を残しておくのもいいかもしれません。入場料だって$5ぐらいなんですもの。

メキシコ・シティー3日目はこれでおしまい。早々にホテルに帰って、早々に寝ました。というのも、翌日は朝の3時半起きで、なんとも珍しい貴重な体験をさせてもらったのです。(続く)