東京マラソンからすでに4ヵ月以上が経ち、記憶もおぼろげになってきた今日この頃。もう書かなくてもいいか、とも思うのだけれど、思い出せることだけでも書いておきましょうか。
マラソン前夜は、常宿にしていた港区のホテルから新宿に移動して、娘が手配しておいてくれたホテルに一泊しました。娘と彼氏のH君はその日の夜にホテルに到着。私はすでに近所のパスタ屋さんで夕食を済ませていたので、娘たちとは少しだけ話をして、自室に戻って翌日の用意をして早々と寝てしまいました。といっても、眠ったのか、眠っていなかったのか。マラソン前夜はいつもそんな感じで睡眠不足なのだけれど、それで走れなかったということはないから大丈夫なのでしょう。
3月1日の東京は快晴でした。気温も20℃近くまで上がるという予報で、それまで‐1℃や‐2℃という気温でランニングをしていた私には、暑すぎるという不安要素でしかありませんでした。マラソンじゃなかったら超快適な気温なんですが。
ホテルの窓から下を覗くと、東京マラソンのスタートラインが見えます。3つの箱のようなものの間を通る線を超えると、ランナー各自のタイムがスタートします。これはまだ朝の7時ごろだったので人もまばらですが、しばらくすると続々と人が集まってきました。私も支度をしてホテルを出ましたが、スタートラインはホテルの目の前なのに、私自身のコラル(待機エリア?)はずっと後ろなので、地下通路のようなところをぐるぐる回り、優に10分以上は歩いて私のブロック専用の入場ゲートに着きました。手荷物を預けて、お手洗いに行くと、途方もない長蛇の列。まだ時間があるから大丈夫と思って並んでいたのだけれど、列はちっとも進まず、各自のコラルに行かなければいけない時間は迫るばかり。もうトイレは無理かなと思ったけれど、なんとか間に合いました。
自分のコラルに着いて待機していると、先頭集団(エリートランナー)がスタートした模様です。でも、スタート地点は遠すぎてアナウンスが聞こえただけ。次々とコラルごとに出発していき、私たちがスタートしたのは先頭のスタートから20分以上あとでした。20分以上もとぼとぼと歩いたり止まったりしながらスタートラインへ向かいました。
スタート直前。ちなみに右側の手前の建物が宿泊したホテルです。ぐるぐると近辺を歩いて戻ってきました。笑
さあ、いよいよスタートです。でも、私の頭の中は不安でいっぱい。シンスプリントを抱えた脚は、どうなっちゃうんだろう。
何度片足ケンケンをしてみても前脛がズキズキ痛んで、本当にこの脚でフルマラソンを走れるのだろうか。かといって、この期に及んで走らないという選択肢も私の中にはありません。
この段階で私にできることは、コンプレッションのカーフスリーブを履くことと、最終手段として痛み止めの薬を服用することぐらいしかありません。マラソンは腎臓に負担がかかるから同様に腎臓に負担のかかる非ステロイド系の抗炎症剤(イブプロフェンなど)の服用は危険だと言われているけれど、 アセトアミノフェンなら抗炎症作用はないものの痛み止めにはなり、腎臓にも負担がかからないそうなので、Extra strength Tylenolを2錠服用しました。あはは、ドーピング…
スタートしてすぐは、やはりかなりの痛みを感じて、これはまずいな…と思っていたのだけれど、周りに気を取られているうちに痛みのことを考えなくなっていたようで、10㎞過ぎぐらいに脛を気にした時にはほとんど痛みがなくなっていました。むしろ慣れないカーフスリーブを使用したからか、逆の脚のふくらはぎのほうが痛くなっていました。
娘とH君は10㎞過ぎの秋葉原のあたりにいるはずだったので、そのあたりでは沿道を気にしながら走っていたのだけれど、どこにもいる気配がありません。あれー?と思いながら、次の約束の16㎞ぐらいで会えるだろうとひたすら走り続けました。前回の記事に書いたビルさんが12㎞の給水所にいるはずなので、探して声をかけようと思ったら、その給水所は大混雑していて水を取ることもできませんでした。ビルさん、いたのかなぁ。
さすがに3万7000人も走る東京マラソンともなると、なかなか人がばらけることがなく、いつも周りが混雑している印象でした。地元のマラソンだと周りに人がいなくなってしまうこともあるのだけど…
16㎞付近では娘たちが待っていることを私が失念していて…というのも、先日のボランティアの方々が17㎞の給水所にいることを考えていたからなんですが、道路の真ん中あたりを走っていたら、急に大声で私の名前を呼ぶ声が聞こえてハッとして振り返ると、H君が周りの人たちがびっくりするような大声で叫んでいました。流れがあるから私は沿道には近寄れなかったけれど、 大きく手を振って応援に応えました。
沿道ではたくさんの方々が応援してくださっていましたが、日本のマラソンは沿道の応援が穏やかです。アメリカのマラソンだと吠えるような応援の人がいるし、鳴り物を鳴らす人もいるし、面白いプラカードを掲げている人もいるけれど、東京マラソンでは「頑張って~」ぐらいしか聞こえなかった気がします。たまに大声を出している人はほとんど外国人でした。
娘とH君は5か所くらいで応援してくれて、H君の大声もどんどんエスカレートしていってました。二人とも、東京マラソンのコースは応援に最適だと言っていました。電車でどこにでも行けるから…と。
走っている私はというと、自分が地図上のどこを走っているのかがあまり把握できていなくて、景観もあまり見ていなかったというのが正直なところなのだけれど、さすがに浅草の雷門や銀座の目抜き通りは気づきました。さらに私のガーミン(腕時計)が異常作動をしていて、ペースがまったく掴めなかったのです。私は明らかに走っているのに、ペースが12分/㎞と表示されていたりして、それって歩くより遅いペースですよ。後でチェックしたら、ルートもとんでもないことになっていて、ビルの上を走っていることになっていたり、ジグザグに走っていたり、極めつけは42.195㎞を走り切っていないことになっています。3万人以上が同時にGPSを要求すると、安いモデルは淘汰されてしまうのでしょうか? 以前、ホノルルでもそんなことがあったような。
走ること自体は、ガーミンさんに頼らず自分の感覚だけで走っていたこともあり、それほどきつくはなかったし、銀座のあたりでは、ああ、もうすぐ終わっちゃうんだな、とちょっと感傷的になったくらいでした。なにしろ昨年の9月からずっと楽しみにしていたマラソンですから。ところが残り10㎞を切ると、急に足が上がらなくなってきて、1㎞がどんどん長くなっていくような気がしました。それまでは10㎞、20㎞と数えていたのが、「あと何㎞」に変わると同時に、距離がちっとも減らなくなりました。それでも最後の1㎞は走りにくい石畳の道を最後の力を振り絞って全力で走り(といっても、見ている人にはまったく速くは感じられないスピードです)、最後のコーナーを曲がるとすぐそこにフィニッシュラインが。人だかりがすごくて、一瞬そこがゴールだと気づかなかったけれど、無事にラインを越えました。タイムもまぁ満足できるものでした。でも、もっともっと頑張れそうな気がします。
こうして私の東京マラソンは終わりました。本当に楽しかった。やっぱり走ることって楽しい!
マラソンの後は家族と落ち合って、私の妹といつの間にか27歳になった姪も合流して、とあるホテルのビュッフェディナーに出かけました。マラソンの後だから、何を食べてもオッケー。
最高の一日でした!
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さてさて、新たなニュースがあります。
なんと、来年4月のロンドンマラソンに当選しちゃいました!
いやー、東京で運を使い果たしたと思ったけど、強運だ。来年のロンドンマラソンは2日開催で10万人が参加する予定とのことですが、133万人が応募したうちの10万人。東京マラソンより当選確率が低いんですよ。 やったね、私!




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