2024年2月29日木曜日

メキシコ・シティー 2日目

到着日は3人とも朝が早かった(H君は夜行便)こともあり、究極に疲れていたので、ホテルのレストランで簡単に夕食を済ませて、夜の9時前には寝てしまいました。

滞在したホテルはコンデサというちょっとお洒落な地区にあり、ホテル自体もモダンかつメキシコシティ特有のカラフルさを基調としたインテリアで、ヒップスター御用達という感じでした。部屋にはなぜかレコードプレーヤーが置かれていて、LP盤が2枚用意されていました。一枚はメキシコ音楽のレコードでしたが、もう一枚がなんとエコバニ(Echo & the Bunnymen)だったという…。あれー、これは我が家のどこかにもあるんじゃないかなー。40年近い時を経て(恐ろしや)、こんなヒップなホテルに置かれているということは、私のテイストも捨てたものじゃないじゃない!? H君が面白半分にレコードをかけたので、♪The killing moon~♪と私が口ずさむと、H君は「え?この曲、知ってるの?(What?You know this song?)」と驚いているので、ふふん、とふんぞり返って、「もちろん!」と答えたのでした。伊達に長生きしてません。まぁ、どうでもいいことなんだけど、エコバニのレコードを見てちょっと興奮しちゃいました。

 

さて、2日目はさっそく娘がメキシコ・シティーで一番行きたかった場所に向かいました。メキシコ・シティーと言ったら、やっぱりフリーダ・カーロです。彼女が実際に住んでいた家が博物館になっているので、コヨアカンという街に出かけました。と、ところが、入場券はすでに数日先まで売り切れというではないですか。なんということでしょう。せっかくここまで来て、中に入れないとは…。まるでバチカン美術館の悪夢の再来(日曜日は閉館で入場できなかったのでした)。

 

入れないものはしょうがない、と気を取り直して、コヨアカンの街並みを散策することに。コヨアカンってどこかで聞いたことのある名前だなぁ、アステカの本に出てきたんだったかなぁ、と思い、ホテルに戻ってからKindle版の本の中で「Coyoacan」を検索すると、コルテス率いるスペインの侵略者たちが最初に入居した土地がコヨアカンだったという文章が出てきました。なるほど、街の中心部には大きな教会があり、まわりの建物もスペイン風で、ヨーロッパの街を歩いているような錯覚を起こします。コヨアカンとはアステカの言葉、ナワトル語で「コヨーテのいる場所」という意味なのだそうで、公園の噴水には2匹のコヨーテの像が。フリーダもこの辺りを歩いたりしていたのかもしれませんね。





 

そしてこのコヨワカンには大きな市場がありました。野菜や魚介類やお肉などの生鮮食品はもとより、織物やガイコツの置物やメキシコの特産品などが所狭しと並べられています。飲食店もたくさんあって、私たちはトスターダ(パリパリに焼いたコーントルティアに様々な具材をのせたもの、好みのソースをかけて食べる)をランチに食べました。メキシコで食べたお料理全般に言えることなのだけれど、何を食べても塩加減が絶妙で、しょっぱすぎるということがないのです。アメリカで外食をすると、何でも塩分が濃すぎて、素材の味が全然しないんですよねぇ。メキシコの食文化は、私が経験した限りでは、アメリカとは比べ物にならないくらい優れていました。



 

コヨアカンを後にして、フリーダ・カーロと彼女の夫で画家でもあったディエゴ・リヴェラの共同スタジオ(アトリエ)に行ってみることにしました。こちらはUberで移動。この辺りもまたお洒落な街並みでした。


 






後日出かけた別の美術館の写真展で、フリーダ・カーロがこのサボテンの前に立っている写真を見ました。

 

夜は覆面プロレスとやらを見にいくというので、市の中心部に移動しました。なんでまた覆面プロレスなんて、と思ったのだけれど、メキシコ・シティーの名物エンターテイメントなんだそうです。

まだ少し時間があったので、その前にあたりを散策しました。ここはアステカの首都、テノチティトランの中心地で、もともとはアステカの神殿などがあった場所です。スペイン人の侵略でアステカの建造物はすべて取り壊され、跡地に修道院やスペイン風の建物が建てられたといいます。近年はアステカの神殿の一部の発掘が行われているようですが、スペインの建造物もすでに歴史の一部となっている今、アステカの神殿の完全復元はできないでしょうね。


(発掘中の遺跡)

そして、覆面プロレス。案内されたのはなんとリングサイドの最前列。私はプロレスに興味もなければ、テレビで見ることもないのだけれど、せっかく来たのだし、もうこんな機会は二度とないかもしれないから、楽しむことにしました。なかなか迫力がありましたよ。リング上からレスラーが次々と落とされて、私たちの席の方になだれ込んできたり、女性レスラーが目の前を通って入場したり…。私一人だったらプロレスを見ようなんて思いもしなかっただろうけれど、こういうのも旅の面白さなのかもしれませんね。





 

2024年2月27日火曜日

メキシコ・シティー

2月16日から22日まで、メキシコ・シティーに行ってきました。いやー、楽しかった。

娘とH君とはメキシコ・シティーの空港で落ち合うことになっていました。娘は前日にテキサス州のヒューストンで一泊してからメキシコ入り、H君はハワイからヒューストン経由で娘と一緒にメキシコにやってきました。私の便はシカゴ経由。シカゴからのフライトは予定より1時間ほど長くなるとアナウンスがありました。なんでもメキシコ・シティーの近くの山で火山活動が活発になってるとのこと。えー、地震なんかが起きたら厭だなぁ、とちょっと不安になりました。メキシコ・シティーはもともと湖だったところの水を抜いてできた都市なんだそうで、地盤が緩いらしいのです。

滞在2日目か3日目にUberで移動中、急にどこかでサイレンのような音が鳴り出して、交通がすべて止まり、沿道に人が大勢集まり始めました。私たちは何も分からずに車の中でキョロキョロしていると、運転手さんがちょっと困ったように「Habla Espanol?(スペイン語を話しますか?)」と訊いてきました。幸い、我らがH君はスペイン語が堪能なのですよ。運転手さんが説明してくれたところによると、どこかで地震が起きて、建物の中にいる人は全員屋外に出ないといけない決まりなんだそうです。車の中だったからなのか、私たちは揺れをまったく感じませんでした。調べてみると、震源地はずいぶん遠い、カリフォルニアに近い場所で、マグニチュード4.7。日本だと日常的な地震だと思いますが、メキシコ・シティーは1980年代に大きな地震で壊滅的なダメージを受けたことがあるそうなので、警戒には慎重を期しているのかもしれませんね。

到着日と翌日は曇天でホテルの窓からの景色もどんよりしていたのだけれど、ある時ふと窓の外を見ると、冠雪の山々が出現していました。もしや、あの山のどちらかが例の火山なのでは…と調べてみると、案の定、右側の山がポポカテペトル火山でした。薄い雲のようなものが見えるけれど、噴火しているようには見えません。


 

ところが、数日後、またふと窓の外を見ると、こんなことになっていました。最初は小さいモクモクだったのが、数分後にはこんなに高くまで噴煙が上がっていました。

 

と、ここまでは日曜日(一昨日)に書いたのだけれど、例のマラソンを3週間後に控えているため、日曜日はロングランに出かけなければならず、帰ってきたら続きを書こうと思っていたのです。ところが、ランニングから帰ってきたらインターネットが使えなくなっていて(プロバイダーの過失)、接続できない状態がなんと24時間も続きました。そんなわけで、このブログも放置状態のまま、庭仕事などをしていたのでした。冬も(いや、特に冬は)庭木の剪定など、いろいろとしなければならないことが多いもので。

ということで、メキシコ・シティーの話は小出しにすることにしました。(本当に書くのか???)

ところで、ランニングといえば、メキシコ・シティーでもホテルの近くの公園で少し走りました。マラソンが近いので、1週間も走らないのは不安だったのです。同じくH君も近くハーフマラソンを走る予定があったので、日曜日の朝は二人ともランニングに出かけました。

メキシコ・シティーでは日曜日の一定時刻にレフォルマ通りという大通りを市民に開放して、歩行者やランナーや自転車のみの通行になるのだそうです。ホテルからレフォルマ通りまでは3kmぐらいの距離で往復するだけで6kmになってしまうので、私はそこまで長く走るつもりもなかったから近所の公園に向かったのだけれど、H君は20kmぐらい走る予定とのことでレフォルマ通りに出かけていきました。

近くのパルケ・メヒコ(Parque Mexico)は公園をぐるっと囲む車道の中央(分離帯)にウォーキング/ランニング用の小径があって、多くの市民や私のような観光客が歩いたり走ったりしていました。

いつものようにゆるゆると走り始めると、胸が痛くなるほど呼吸が苦しくなって、そんなに速く走っているような感じじゃないけどペースが速くなっているのかなとガーミンで確認すると、とんでもない、いつもより30秒から1分ぐらい遅いペースです。ええっ、なんでこんなに苦しいの? 旅の疲れかしら?水曜日から走ってなかったから?あ、シューズが違うからかも。いつもなら1kmも走れば呼吸は安定するのに、呼吸はちっとも楽になりません。仕方がないからさらにペースを落として、走っているのか歩いているのかわからないような感じのまま10kmほど走って、ホテルに戻りました。

シャワーを浴びて、娘とホテルの朝食に向おうとしたら、ランニングから戻ってきたH君とホテルのロビーで会いました。顔面蒼白で、「吐きそう」と言っています。H君は部屋に戻り、私たちは朝食に。

朝食後、部屋に戻ると、H君がやはりランニングがきつくて、10数kmで走れなくなったと言っていました。「標高のせいかも」というH君の言葉を聞いて、メキシコ・シティーは標高が高いことを初めて知りました。ホテルの部屋からの眺めも見渡す限り平野なので、高い所にいるという感覚がまったくなかったのです。

ガーミンのアプリに出てくるElevation(標高)を見てみたら、ひゃー、2235m-2248mになってます!これって、富士山5合目(2300m-2400m)ぐらいの高さです。5合目って下に雲海が見えるんですよ。苦しいわけだ!図らずして、高地トレーニングなんぞをしていたんですね。(ちなみに、我が家のまわりは1m-6mぐらい)

 

しかし、富士山5合目相当の盆地からあれだけ高く見えるポポカテペトル山はいったいどのくらいの高さなんだろう、と調べてみたら、5426mだそうです。あっぱれ。

2024年2月11日日曜日

忘れていた音楽

 

先週は激しい頭痛で3日ほど寝込んでおりました。

日曜の夜にテレビでグラミー賞なんぞを見ながら赤ワインを少し飲んだから、二日酔いだったのかとも思うのだけれど、グラスに数センチ程度注いだだけの量で二日酔いになるとも思えないのですよね。でも頭痛や吐き気という症状は二日酔いにそっくりで、私は寝込むと何も食べられなくなる質なので余計に衰弱するという負のスパイラル。さすがに3日目には吐き気を抑えつつ軽い食事をして少し動けるようにはなったのだけれど、頭痛は一向に治まる気配がありません。変だなぁと思いながらも、3日ぶりにコーヒーを飲んだら、ものの10分もしないうちに頭痛がスーッとひいていくのがわかりました。え“え”っ、まさかこの頭痛はカフェイン禁断症状だったの?

3日も何も食べずに寝込んでいたせいで立ち眩みがするほど弱ってしまったのだけれど、ワタクシにはそんなことをしている余裕はないのでした。何を血迷ったか、3月に地元で開催されるフルマラソンにエントリーしているのです。もう1ヵ月ちょっとしかありません。本当ならば今頃は週末に20km30kmを走り込んでいなければいけないのに、今頃になって体調は崩すは、来週は旅行に出かけるは、で不安は募るばかりです。

ハワイから帰ってきた頃に、地元のマラソン主催団体がフルマラソンの3か月トレーニングプランをメールで送ってくれました。週3日のプランで月曜と土曜はスローラン、水曜日は「プログレッシブ」ランで少し速めのペースで走ることになっています。速めのペースはなかなか自分ではコントロールできないので(すぐに苦しくなって止まってしまうから)、レクセンターのランニングマシンでペースを上げて走ることにしました。そこで最近使っているのが、こちら(↓)

 


これ、何か分かりますか? お若い方は知らないかもしれませんが、iPhoneが世に出る前にiPodというものがあったのですよ。この中に何千曲もの音楽を保存できるという、当時としては非常に画期的なアイテムでしたね。私がランニングを始めた頃はもっと安価なMP3プレーヤーを使っていましたが、いつの頃からかこのiPod Nanoになり、そのうちに走りながら音楽を聴かなくなってしまいました。このiPod、もう何年も電源を入れたことがなかったのだけれど、ずっとパソコンデスクの隅の方にちょこんと置かれていたのです。昨年、ふと思い立って充電してみたら、ちゃんと電源も入るし、音楽も聴けることがわかりました。「Running」というプレイリストもそのままで、十数年ぶりに聴く曲もたくさんあって、昔走っていた海岸沿いの道路の風景がよみがえってきました。いやー、男らしい曲ばっかりだ!(???)

ただ、このiPodはまだBluetoothがなかった時代の製品なので有線イヤフォンしか使えず、走っているときにワイヤーが邪魔になるのが難点だったのです。そこでBluetoothアダプターというものを購入して無線イヤフォンで聴けるようにしました。ランニングマシンは本当に退屈だから、これが使えるようになってよかった。スマホでSpotifyを聴いていてもいいのだけれど、ランニングを始めた頃に聴いていた曲というのが今は新鮮なんです。“I will go on until the end(Breaking Benjamin)”とか、“Falling is easy, it’s getting back up that becomes the problem(Staind)”などと、鼓舞してくれるから。これで来月のフルマラソンも少し楽しみになってきました。「Running」プレイリストには10+時間分の曲が入っているから、フルマラソンでも大丈夫。というか、マラソンの制限時間は7時間ですってば。

先日のグラミー賞でトレイシー・チャップマンが、彼女の曲をカバーした何某というカントリーシンガーと一緒に「Fast Car」を歌っていたのだけれど、その後、その曲が売れに売れているという記事をどこかで読みました。

 


この曲は80年代の終わり頃にラジオでもMTVでもヘヴィロテで流れていて、いまでもラジオで時々かかるけれど、確かに今の40歳以下の若者たちは知らないかもしれませんよね。結構カバーされていたりもして、さっきちょっと見たら、ジャスティン・ビーバー版がありました。私が好きなのは、Vertical Horizonというバンドのライブ・カバー・バージョンで、ずーっと昔にある人にシェアしてもらったMP3を持っていました。もう忘れていたのだけれど、グラミー賞を見て思い出して、iPodのリストを見たら入っていました。懐かしいなぁ。(音声のみ↓)