2026年7月27日月曜日

東京マラソン - 本編

東京マラソンからすでに4ヵ月以上が経ち、記憶もおぼろげになってきた今日この頃。もう書かなくてもいいか、とも思うのだけれど、思い出せることだけでも書いておきましょうか。

マラソン前夜は、常宿にしていた港区のホテルから新宿に移動して、娘が手配しておいてくれたホテルに一泊しました。娘と彼氏のH君はその日の夜にホテルに到着。私はすでに近所のパスタ屋さんで夕食を済ませていたので、娘たちとは少しだけ話をして、自室に戻って翌日の用意をして早々と寝てしまいました。といっても、眠ったのか、眠っていなかったのか。マラソン前夜はいつもそんな感じで睡眠不足なのだけれど、それで走れなかったということはないから大丈夫なのでしょう。


 3月1日の東京は快晴でした。気温も20℃近くまで上がるという予報で、それまで‐1℃や‐2℃という気温でランニングをしていた私には、暑すぎるという不安要素でしかありませんでした。マラソンじゃなかったら超快適な気温なんですが。


 

ホテルの窓から下を覗くと、東京マラソンのスタートラインが見えます。3つの箱のようなものの間を通る線を超えると、ランナー各自のタイムがスタートします。これはまだ朝の7時ごろだったので人もまばらですが、しばらくすると続々と人が集まってきました。私も支度をしてホテルを出ましたが、スタートラインはホテルの目の前なのに、私自身のコラル(待機エリア?)はずっと後ろなので、地下通路のようなところをぐるぐる回り、優に10分以上は歩いて私のブロック専用の入場ゲートに着きました。手荷物を預けて、お手洗いに行くと、途方もない長蛇の列。まだ時間があるから大丈夫と思って並んでいたのだけれど、列はちっとも進まず、各自のコラルに行かなければいけない時間は迫るばかり。もうトイレは無理かなと思ったけれど、なんとか間に合いました。

  

 自分のコラルに着いて待機していると、先頭集団(エリートランナー)がスタートした模様です。でも、スタート地点は遠すぎてアナウンスが聞こえただけ。次々とコラルごとに出発していき、私たちがスタートしたのは先頭のスタートから20分以上あとでした。20分以上もとぼとぼと歩いたり止まったりしながらスタートラインへ向かいました。

 スタート直前。ちなみに右側の手前の建物が宿泊したホテルです。ぐるぐると近辺を歩いて戻ってきました。笑

さあ、いよいよスタートです。でも、私の頭の中は不安でいっぱい。シンスプリントを抱えた脚は、どうなっちゃうんだろう。

何度片足ケンケンをしてみても前脛がズキズキ痛んで、本当にこの脚でフルマラソンを走れるのだろうか。かといって、この期に及んで走らないという選択肢も私の中にはありません。

この段階で私にできることは、コンプレッションのカーフスリーブを履くことと、最終手段として痛み止めの薬を服用することぐらいしかありません。マラソンは腎臓に負担がかかるから同様に腎臓に負担のかかる非ステロイド系の抗炎症剤(イブプロフェンなど)の服用は危険だと言われているけれど、 アセトアミノフェンなら抗炎症作用はないものの痛み止めにはなり、腎臓にも負担がかからないそうなので、Extra strength Tylenolを2錠服用しました。あはは、ドーピング…

スタートしてすぐは、やはりかなりの痛みを感じて、これはまずいな…と思っていたのだけれど、周りに気を取られているうちに痛みのことを考えなくなっていたようで、10㎞過ぎぐらいに脛を気にした時にはほとんど痛みがなくなっていました。むしろ慣れないカーフスリーブを使用したからか、逆の脚のふくらはぎのほうが痛くなっていました。

娘とH君は10㎞過ぎの秋葉原のあたりにいるはずだったので、そのあたりでは沿道を気にしながら走っていたのだけれど、どこにもいる気配がありません。あれー?と思いながら、次の約束の16㎞ぐらいで会えるだろうとひたすら走り続けました。前回の記事に書いたビルさんが12㎞の給水所にいるはずなので、探して声をかけようと思ったら、その給水所は大混雑していて水を取ることもできませんでした。ビルさん、いたのかなぁ。

さすがに3万7000人も走る東京マラソンともなると、なかなか人がばらけることがなく、いつも周りが混雑している印象でした。地元のマラソンだと周りに人がいなくなってしまうこともあるのだけど…

16㎞付近では娘たちが待っていることを私が失念していて…というのも、先日のボランティアの方々が17㎞の給水所にいることを考えていたからなんですが、道路の真ん中あたりを走っていたら、急に大声で私の名前を呼ぶ声が聞こえてハッとして振り返ると、H君が周りの人たちがびっくりするような大声で叫んでいました。流れがあるから私は沿道には近寄れなかったけれど、 大きく手を振って応援に応えました。

沿道ではたくさんの方々が応援してくださっていましたが、日本のマラソンは沿道の応援が穏やかです。アメリカのマラソンだと吠えるような応援の人がいるし、鳴り物を鳴らす人もいるし、面白いプラカードを掲げている人もいるけれど、東京マラソンでは「頑張って~」ぐらいしか聞こえなかった気がします。たまに大声を出している人はほとんど外国人でした。

娘とH君は5か所くらいで応援してくれて、H君の大声もどんどんエスカレートしていってました。二人とも、東京マラソンのコースは応援に最適だと言っていました。電車でどこにでも行けるから…と。

走っている私はというと、自分が地図上のどこを走っているのかがあまり把握できていなくて、景観もあまり見ていなかったというのが正直なところなのだけれど、さすがに浅草の雷門や銀座の目抜き通りは気づきました。さらに私のガーミン(腕時計)が異常作動をしていて、ペースがまったく掴めなかったのです。私は明らかに走っているのに、ペースが12分/㎞と表示されていたりして、それって歩くより遅いペースですよ。後でチェックしたら、ルートもとんでもないことになっていて、ビルの上を走っていることになっていたり、ジグザグに走っていたり、極めつけは42.195㎞を走り切っていないことになっています。3万人以上が同時にGPSを要求すると、安いモデルは淘汰されてしまうのでしょうか? 以前、ホノルルでもそんなことがあったような。

走ること自体は、ガーミンさんに頼らず自分の感覚だけで走っていたこともあり、それほどきつくはなかったし、銀座のあたりでは、ああ、もうすぐ終わっちゃうんだな、とちょっと感傷的になったくらいでした。なにしろ昨年の9月からずっと楽しみにしていたマラソンですから。ところが残り10㎞を切ると、急に足が上がらなくなってきて、1㎞がどんどん長くなっていくような気がしました。それまでは10㎞、20㎞と数えていたのが、「あと何㎞」に変わると同時に、距離がちっとも減らなくなりました。それでも最後の1㎞は走りにくい石畳の道を最後の力を振り絞って全力で走り(といっても、見ている人にはまったく速くは感じられないスピードです)、最後のコーナーを曲がるとすぐそこにフィニッシュラインが。人だかりがすごくて、一瞬そこがゴールだと気づかなかったけれど、無事にラインを越えました。タイムもまぁ満足できるものでした。でも、もっともっと頑張れそうな気がします。

こうして私の東京マラソンは終わりました。本当に楽しかった。やっぱり走ることって楽しい!

マラソンの後は家族と落ち合って、私の妹といつの間にか27歳になった姪も合流して、とあるホテルのビュッフェディナーに出かけました。マラソンの後だから、何を食べてもオッケー。

最高の一日でした! 

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さてさて、新たなニュースがあります。

なんと、来年4月のロンドンマラソンに当選しちゃいました!

いやー、東京で運を使い果たしたと思ったけど、強運だ。来年のロンドンマラソンは2日開催で10万人が参加する予定とのことですが、133万人が応募したうちの10万人。東京マラソンより当選確率が低いんですよ。 やったね、私!

2026年5月15日金曜日

東京マラソン2026-EXPO編

 東京マラソンを走るためには、数日前から有明の東京ビッグサイトで開催されるExpo会場に受付(ゼッケンや当日に私物を入れて預ける袋などの受け取り)に行かなければなりません。

大会二日前の金曜日、東京ビッグサイトに向かうために大崎駅で国際展示場行きの電車を待っていると、電車の扉ひとつ分ほど離れたところにいた女性がなにやら手を挙げてこちらを見ています。どうも私に向かって手を振っているようなのだけれど、知らない人なのできょろきょろしてしまいました。するとその東南アジア系の若い女性が近づいてきて、英語で「この電車(目の前に停まっている)は国際展示場に行きますか?」と訊いてきました。その電車のことはわからないけれど次の電車は確実に行くのがわかっていたから、その旨を伝え、そのプラットフォームにいた大半の人たちがきっとそうであるように「あなたも東京マラソンを走るの?」と訊くと、彼女はボランティアの受付に行くとのことでした。同じ方向に行くことだし、一緒に行きましょうか、と連れ立って電車に乗りました。尋ねなかったけれど、不思議なのは、駅のプラットフォームには大勢の人がいたのに、なぜ私に話しかけたのか、なぜ英語が通じると思ったのか。私の見た目は普通の日本人だと思うんだけどなぁ。

彼女はタイのバンコクに住んでいて、東京マラソンのボランティアをするために前日に到着したばかりとのこと。日本は初めてと言っていたけれど、スマホを片手に難なく行動しているようでした。

ビックサイトではランナーとボランティアの受付は別の棟だったのだけれど、彼女がランナーの受付に一緒に行きたいと言うので、私の受付を済ませてから 同じ棟で開催されていたEXPOをひと通り見て(アシックスのブースは、特に外国人に大盛況でした)、記念に東京マラソングッズをほんの少し購入してボランティアの受付に私も同行しました。

 ボランティアの受付はランナー受付(長蛇の列)とは打って変わってこじんまりとしたホールで行われていました。金曜日だったからか受付に来ている人もまばらでした。ボランティアの受付もランナー同様にチェックインするだけだと彼女は思っていたようなのだけれど、実際には説明会があって、数人ごとにテーブルを囲んで説明を受けていました。私が同行した彼女、ビルさんもテーブル席に案内されて説明を受けるようだったので、私は「ここで待っているね」と声をかけると、それを聞いたグループリーダーの方が、私にも同じテーブルに座るように勧めてくださいました。ある程度の人数が集まるまで説明会は始まらないので、その間にリーダーを含めて雑談などしていると、リーダーさんはアフリカの出身(国名を失念しました。タンザニアだったかな)とのことで、周りの日本人の方とはとても流暢な日本語で会話をしていました。私たちのテーブルは外国人ボランティアの方々の説明会だったので、会話はほとんどが英語でした。「今日は付き添いで来たの?」と訊かれたので、私は実はランナーで、ビルさんとは駅で偶然に会って意気投合したのだと話すと、マラソンを走る人がボランティアの説明会に参加することはとても珍しく、ボランティアの活動内容を知ってもらえるのはうれしいとリーダーさんは言っていました。

実際、ボランティアはその存在なくしてはマラソン大会を開催できないほど重要だと、どんなに小さな大会でも感じることなのだけれど、この時にボランティアの説明会に参加して、その感謝の気持ちが何十倍にも膨れ上がりました。私たちが呑気に走っていられるのは、こうしたボランティアさんたちの奉仕のおかげなのだと。説明会の後にテーブルにいた4,5人のボランティアさんから「マラソン、頑張って!」と声をかけていただいたので、私もみんなへの感謝を伝えました。リーダーさんは背が高くて細身でケニアやエチオピアのランナーのようにかっこよかったので(ステレオタイプですみません)、リーダーさんもランナーなんですか?と訊いてみたら、ご自身ではマラソンはしない、と。でも体育教師だからアドバイスはできるよ、と言って、カフェインはいつ頃摂るといい、などと教えてくれました。

ビルさんは12㎞、リーダーさん他は17㎞の給水地点にいるということだったので、見かけたら声をかけるね、と約束して解散となりました。

そのあとは、ビルさんと遅いランチをすることになり、お台場のほうまで歩いていくと、Tokyoというサイン(彫刻?)の前で写真を撮っている外国人たちがいて、東京マラソンのシャツを着ていたので、「マラソン走るの?頑張って!」と声をかけると、相手も「ありがとう」と返す。いいなぁ、こういうの。ランナー文化だなぁ。

 (私たちも写真を)

で、肝心のランチは、彼女が食べたいというお好み焼き屋さんに行きました。私もお好み焼きは久しぶり。 食事をしながら日本のこと、タイのこと、アメリカのこと(ビルさんもアメリカに住んでいたことがあるとのこと)などの話に花を咲かせました。私が二人分のお会計を済ませると、ビルさんが抗議するので、ここは私の国だから私がおもてなしするけど、私がバンコクに行ったら、ご馳走してね。と伝えたのでした。

さて、マラソン当日、12㎞地点の給水でビルさんには会えたのでしょうか? (続く) 

2026年5月13日水曜日

100万年ぶりの投稿

もう5月ですって。2026年の1/3以上がすでに過ぎ去ってしまいました。私はいったい何をしていたのでしょうか?

そういえば、3月に東京マラソンを走るはずじゃなかったのかしら?

うふふ、もちろん走りましたよ、東京マラソン。一生に一度走れるかどうか、というマラソンですものね。

東京マラソンは3月1日だったのだけれど、その前に約1か月ほど長野の実家に帰省していました。2月の信州は寒い寒い。そのうえに、わが実家はいまだに昭和な建物で、個々の室内は暖房が効いているものの、一歩廊下に出ると外と変わらないほどの寒さで、屋内の寒暖差が尋常ではないものだから、私は実家に着いた当初、気象痛に激しく悩まされました。少し頭を下げるだけで後頭部がジンジンと痛み、何もしていないときにも目がチカチカして、黒い稲妻のようなものが見えるのです。1週間ほどそんな状態が続いたけれど、寒さに慣れたからなのか、いつの間にか治りました。

東京マラソンを数週間後に控えて、最後の30㎞走をしなければならなかったので、少し気温の上がった日に千曲川の土手を走りました。冠雪の北アルプスが遠くに見えて、川岸にはシラサギやアオサギの姿があり、対岸には長野オリンピックのフィギュアスケート会場だったホワイトリングが見えます。その頃ちょうどミラノ・コルティナオリンピックが開催されていました。


30㎞走は気持ちよく走れたのだけれど、その後からちょっと脚の調子が…。あれー、これはなんだか昔患ったシンスプリントのような疲労骨折のような痛み。最初は、ん?ちょっと痛いかな?程度だったのが、 10㎞走っている間中ずっと痛くなり、これ以上走るとマズいかな、という状況に。すでに走行量を減らすテーパリングに入っていたので、アイシングをしたり、数日走らずに様子をみたものの、一向に良くなる兆候は見えません。だからって、東京マラソンを欠場するという選択肢はありません。

緊急処置として脛のサポーターやコンプレッション・カーフスリーブを購入したけれど、不安はつのるばかり…

そうして迎えた東京マラソンは… (続く…のか?) 

2025年12月30日火曜日

2025年を振り返る

 

今年も残すところあと少しとなりました。一年を振り返ってみると、2025年は何だか振るわない一年だった気がします。いつの頃からか、気がついた時には「何もしたくない病」にかかっていて、「誰か~、やる気スイッチ押しておくれ~」と叫ぶものの、体のどこにもそんなスイッチはついていないので、ただ悶々と日々を過ごすしかありません。だからといって何もせずにいるわけにはいかず、厭だ~、厭だ~と言いながらも家事や仕事をするのだけれど、気持ちはまったく付いていきません。どうしちゃったのかな、私。

特に何が厭って、料理です。以前は張り切って珍しい料理や、自家製味噌やキムチや納豆などを手作りしていたのだけれど、最近はその工程を考えただけでやる気が萎えてしまうのです。そんなだから作っても失敗したり、美味しくないものが出来上がったりして、さらにやる気が失せるという悪循環。以前ある友人が、お料理をしたくなくなったら認知症の前兆かもしれないんだって…というようなことを言っていたけれど、まさか私も認知症だとか?

そんなことを娘と娘の彼氏のH君に話したら、H君が「それはまずいな(That’s not good.)」と。さすが、登録看護師のHくん、心配してアドバイスでもしてくれるのかと思いきや、

4月までには治しといてよね(You better fix that before April.)」と。なんだ、そっちかい。

というのは、娘とH君は4月に我が家に来ることになっていて、私が「何もしたくない病」を治さないとコロッケを作ってもらえなくなるという、彼にとっては死活問題なのです。

まぁ、そんな冗談を言って笑い合えるくらいなら、私もまだ大丈夫でしょう。

さて、今年は1月のシンガポール/日本旅行から始まり、3月には地元のハーフマラソンを走り、前年から工事がちっとも進まなかったキッチンと床とバスルームの改装が4月にようやく終わり、8月には所用で夫とサウス・カロライナに出かけました。サウス・カロライナへは95号線を延々と南下していくのだけれど、この道を運転するのは大学生だった頃にジョージア州のホストファミリーの家に長期休みの時に何度か出かけた時以来。何十年も経っているのに、まるで昨日のことのような気がしました。

10月以降はランニングの行事がいくつもありました。10月には橋を渡った隣りの市でハーフマラソンを走り、11月初めにはNYCマラソンを走るH君の応援にニューヨークへ。H君の兄弟姉妹や友達が30人ぐらい集って、沿道で大声援を送りました。楽しかったな~。H君を待っている間に私たちの目の前をあのキプチョゲ選手が走り去って行きました。H君が堂々のサブスリーでゴールしたあとは、みんなでイタリアンのレストランに移動して、大皿に大盛りで出てくるサラダやパスタやお肉料理をたらふく食べて、楽しい時間を過ごしました。その日はオレンジ色のケープに身を包んだ完走ランナーを街中のいたるところで見かけました。私もいつか走りたい!

11月中旬には私自身のフルマラソンがありました。バージニア州の州都リッチモンドという街でのマラソンです。当初はランニング仲間のSちゃんとそのお友達のAちゃんが一緒に走る予定だったのに、二人はトレーニング不足で来年に延期することになり、私一人での参加でした。でも、Sちゃんが一緒に来てくれて、25km付近の沿道とゴール直前で大きなプラカードを掲げて応援してくれました。しかし、このマラソンコースは坂が多くて参りました。

今年のホリデーシーズンは感謝祭もクリスマスも私の怠け病のせいで極簡単に済ませました。大掃除ならぬ小掃除も終わり、あとは新年を待つばかり。来年はどんな一年になるのでしょうか。何にしても、この「何もしたくない病」を克服するのが私の最優先課題です。

では最後に、毎年恒例の今年読んだ本の記録を書いておきましょう。

今年は36冊の本を読みました。和書20冊、洋書15冊、漫画1シリーズ

こうしてリストを見返してみると、前半は戦争小説が多く、後半はランニングの本ばかり。話題の映画「国宝」の原作(吉田修一著)も読みました。映画は原作とは別物だという話ですが。

いやー、毎年同じことを言っていますが、来年はもっと読書のことに触れたいと思います。というか、ブログ自体をちゃんと書きましょう。

では、良いお年をお迎えください。

2025年9月22日月曜日

抽選発表!


9月と言えば、東京マラソンの一般抽選発表!…となるのは、ランナーだけでしょうが、その抽選発表が先週の金曜日にありました。

東京マラソンは今ではワールドマラソンメジャーズ(World Marathon Majors)という世界7大大会のひとつで、海外からの参加者も多く、一般抽選の当選確率の低さは7大大会中で12位を競うという、もうスタートラインに立つこと自体が奇跡みたいなマラソンです。エリート選手を除く市民ランナーで自動確定になるのは、チャリティーにまとまった金額を寄付するチャリティーランナーと海外からのパッケージツアー購入者のみ(たぶん)。寄付もツアーも相当な金額です。まぁ、出場権を高額で買うということですね。その他の市民ランナーは応募者数が定員を超えた時点で抽選になるのだけれど、それにも段階があって、まず年会費を払ってOne Tokyo Global)の会員になると、会員枠の優先抽選会があり、それに外れた人は一般抽選枠での二次抽選に降りてきます。その他には都民枠の抽選があって、これは東京都民だけの優先抽選会で、ここで外れてしまった人も自動的に一般抽選に降りてきます。そして最後が、会員でも都民でもない私のような人の唯一のチャンスである一般抽選になります。

これが、当たらないんだなぁ。私は今回で4回目の挑戦だと思うのだけれど(うろ覚え)、10回以上落選とか10年連続落選という強者もいるほどで、私の過去の落選回数なんてまだまだかわいいものですよ。そんなわけで、今年もダメ元で応募してみたのでした。

今年はニューヨークシティー・マラソンも落選だったし、ランニングアプリ「Strava」が開催するNYCのヴァーチャルマラソンの抽選(これに当選すると来年のNYC 出場権が確定するのです)もダメだったし、マラソンの抽選運はゼロに等しい。娘の彼氏のH君は去年のStravaのヴァーチャルの抽選に当選して(私は落選)、今年11月のNYCマラソンを走るのです。私が東京マラソンに応募したと言うと、「じゃぁ、僕も応募しようかな。でも僕だけが当選しちゃう予感がするな」と落選続きの私を揶揄するのでした。どちらにしてもH君は4月にボストンを走る予定だから東京を走るつもりはなかったんだけど。それ以前に当選しないって。

ある日、どこかで星占いを見ていたら、今週はくじ運がいいから宝くじなどを購入するとよいかも…というようなことが書いてあって、あれれー、まさか東京マラソン当選しちゃうのかな、と一瞬ウキウキしたのだけれど、抽選日はその次の週でくじ運のいい期間内ではなかったのでした。なーんだ。

昨年の抽選発表の日はちょうど日本にいて、結果のメールはいつ来るんだろうと何度もメールをチェックしたものでした。X(旧ツイッター)では当選したとか落選したとか投稿している人がたくさんいるのに、私にはちっともメールが来なくてずいぶんヤキモキしながら待っていたことを覚えています。午後になってようやくメールが届くと、今度はメールを開くのが恐ろしくなって、しばらく放置していたような。でも結果はメールじゃなくて、大会公式ページにログインしなきゃいけなかったのでした。そしたらやはり落選で、予測はしていたけど、かなりがっかりしました。どこかに「もしかしたら」という希望が残っていたんでしょうね。

今年はアメリカにいるので、発表はこちらの時間では真夜中です。朝起きたらメールが来ているんだろうなぁ、ぐらいの感じで寝てしまい、実際に朝起きたらスマホの画面にメールのお知らせが表示されていました。すぐに開こうかとも思ったのだけれど、まぁ、ちょっとコーヒーを淹れてから、他のメールをチェックしてから、と愚図愚図して、少し頭が働くようになってから開きました。というのも、結果はほぼ分かっているから、朝からがっかりするのはイヤだなぁと思って後回しにしていたのです。

でも、そろそろランニングに行かなきゃいけない時間だったので、意を決してメールを開き、大会公式サイトにログインしました。海外から応募する人は日本人であっても英語のサイトから応募しなければいけないので、結果のページも英語です。まず表のようなものが表れて、英語がずらっと並んでいて、一瞬どこに結果が書いてあるのかわからず、しばらく字面を眺めていました。まだ少し寝ぼけています。少し下に行くと、赤い文字で

Selected

と書いてあります。え?え?え?どういうこと?

We have received applications exceeding the field size, and after a rigorous drawing you are Selected.

と。

二度見ならぬ、十度見、いや百度見ぐらいしたけど、これは「当選」だよね。

えー?えー?えー?ホントに?ひゃー

まだ朝の6時台だったので夫はまだ寝ていて、起こしてこの一大ニュースを伝えるべきかと迷ったのだけれど、いや、まだ誰もこの事実を知らないこの時間を独り占めしよう、と外に走りに出かけたのでした。なんと楽しいランニングだったことか。一番最初に伝えたかった娘とH君はハワイ時間の真夜中だったから、当選結果のページをスクリーンショットして無言で送っておきました。二人とも驚いていました。週末に二人と話したら、H君は「僕が使ってるエナジージェルを送るから、ジェルの練習(ジェルにお腹を慣らすこと)して」といい、娘は「新宿のホテルを予約しようか」と、二人ともすでに私のコーチとマネージャーになっています。

東京マラソンのスタートラインに立つチャンスがやってきました。しかし、一生分の運を使い果たした気もします。あとは、ケガをしないこと。


 

 

2025年8月29日金曜日

夏の畑を振り返る

あれよあれよという間に、夏も終わりが近づいてきました。気温だけを見ると、こちらはもうすっかり秋のような気候です。昨日、今日の朝の気温は16℃ほどで、外に出ると肌寒さを感じるほどでした。

日本は今年も猛暑とのこと。昨年9月に日本に帰ったときも、連日35℃くらいの暑さでしたが、この夏も相当暑いそうですね。ちなみに、今、夫が日本に行っています。毎年恒例の野球三昧プライベート旅行ですが、連日の猛暑で参っているかと思いきや、楽しすぎて暑気も吹っ飛んでしまっているようです。帰りはハワイ経由で娘の所に数日滞在してからこちらに帰って来る予定です。

さてさて、夏の畑もそろそろお終いです。今年収穫した野菜の写真を載せておきましょう。

今年は種を購入して、 ピーマンと加茂ナスと千両ナス(たぶん)を栽培しました。

最初に採れた加茂ナス。写真では小さく見えるけれど、直径9㎝ほどの大きさです。私の実家の近くは丸ナスが主流で、子供の頃はほとんど丸ナスしか食べたことがなかったので、懐かしさもあって、種類は違うけれど丸い加茂ナスの種を買ってみました。丸ナスと言えば、昨年、米ナスのブラック・ビューティーという丸ナスを植えてみたのだけれど、皮が堅くて大味で残念な結果となりました。

さて、高級食材の加茂ナス。確かに柔らかくて甘さもあり、上品なお味でした。しかし、栽培するにはちとデリケートすぎて、葉が触れただけで表面に傷がついてしまったりするのです。家で消費する分には見た目は関係ないし、傷がついたナスは傷を修復しようとする分、栄養価が高くなるともいうので、まあいいか。

こちらは千両ナス。Money makerという名前だったけれど、説明文に日本で最も一般的に栽培されている品種というようなことが書かれていたので、たぶん千両ナスでしょう。これも採りたてだから甘味があって、焼いて生姜醤油で食べたり、冷やしナス(蒸して冷やしてスライスしただけ)にして辛子醤油で食べたり、味噌炒めにしたり、焼き浸しにしたり、ナスのパルミジャーナにしたり、と大活躍しました。

 そして今年いちばん嬉しかった野菜がこのピーマン!こちらではこの日本のピーマンが手に入らないのですよ。ピーマンを使う料理はだいたいパプリカの緑版で代用するのだけれど、肉厚すぎてピーマンのシャキシャキ感がないのが残念なんですよね。風味も少し違います。だから、ピーマンが採れて本当に嬉しいのです。日本の市販の物より少し小ぶりだけれど、味は濃厚で、これもまた甘い!このまま幾つかを真っ赤に熟させて来年用の種を取りたい、のだけれど、F1(交配)種だから来年も同じものが育つとは限らず、近くのプランターに一株だけシシトウがあるのも不安要素です。(シシトウとピーマンの交雑種になっちゃうかも)



 今年はカボチャも栽培してみました。これは実がついてすぐの頃で、ウリ科の野菜に寄生するガの幼虫を防ぐために$1ストアで買ったカゴをかぶせています。今はこのカゴいっぱいぐらいの大きさになっています。茎の付け根がコルク状になったら収穫できるそうです。これは袋栽培なので、ツルが庭の草の上に伸びている状態です。



 今年はゴーヤを日当たりのいい場所で栽培したので、去年より元気に育ちました。このゴーヤはこの辺りのお店では売っていないらしく、貴重なゴーヤなんだそうですよ。うちではゴーヤは私しか食べないから一本もあれば十分なので、同時にいくつも採れた時には私よりゴーヤを堪能できる沖縄の方に差し上げています。

キュウリは今年は先ほどのガの幼虫にやられて、少ししか穫れませんでした。


ミニトマトもたくさん採れたのだけれど、後半はLeaffooted bug(検索しても日本語で出てこないから日本にはいないのかも)という果汁を吸い取る害虫が出没して、もうお手上げ。採れたものだけ、少し前に購入したフードドライヤーで乾燥させてドライトマトにしました。生食ではそれほど甘味を感じなかったものも、乾燥させたら甘味が増えて、このままポリポリ食べても美味しい!保存も利くので、いろんなお料理に使えそう。
 

5月のブドウ

6月のブドウ

 
7月末のブドウ
 
8月のブドウ

 
この量が3回ぐらい採れました。あー、香りをお届けできないのが残念。あちこちにお裾分けしたら、わぁー、日本のブドウの味と香りだぁ、と大変喜んでいただけました。アメリカ原産のブドウなんですけどね。去年は9月に入ってからもまだ完熟せずに、日本に出かけるまでに間に合わず、まだ色が少し薄い状態で収穫してしまったのだけれど、今年は8月初めに最初のブドウが収穫できました。気候の違いだったのでしょうか!?
 
さーて、最後は今年のメインイベント、スイカです。初めての栽培なので、栽培方法をあれこれ検索して、どうにか収穫に漕ぎつけました。
 
 スイカの実を発見!やった!
 
スイカはカラスに狙われると読んだので、ケージを作りました。
 
着果から約50日。直近の巻きひげと葉っぱが枯れるのを待って、いざ収穫。写真では大きさがわからないけれど、バレーボールほどの大きさです。翌日に友達が遊びに来ることになっていたので、その時に切って一緒に食べようと思ったのだけれど、いや、待てよ、切って中が赤くなかったら? 友達と二人で泣くしかないので、やはり先に切ってみることにしました。すると…

赤い!やったー!冷蔵庫で冷やして、翌日いただきました。甘い!美味しい!

家庭菜園は手間ひまがかかるし、虫や鳥や動物たちとの闘いばかりだけれど、この瞬間があるから続けられるんですよねー。 

ちなみに、このスイカは数年前に日本で食べた戴き物の高級スイカの種を発芽させたものです。おそらくF1種なので、これはF2スイカだと思います。だから小さいのか、袋栽培だから小さいのか? でも味は、こちらのスイカよりずっと美味しかった。甘さというより、風味が違う気がします。来年はこのスイカの種(F3)で作ってみようかな。

2025年8月10日日曜日

犬、じゃない?

先週までの猛暑はいったいどこへ行ってしまったのか、今週は気温がぐっと下がって過ごしやすくなりました。ガーミンのランニング記録を見てみると、朝の気温は22℃になっています。先週までは早朝でも30℃を越えていたから格段に涼しくなりました。このまま夏は終わってしまうのでしょうか。庭のブドウもいくつかは完熟していて、まだ8月の前半だというのに、すでに秋の気配を感じます。

昨日の朝、近所を走っていてすごいモノに遭遇したんです。なんと、コヨーテ!…だと思うんだけど。

昨日はロングランだったので、通りを越えた住宅地のほうまで走りに行ったのだけれど、道路に面した他所のお家の前庭の芝生の上に大きめの中型犬(だと思っていた)がいて、こちらを見ていました。ゆっくり走りながらその犬の近くまでくると、あれ?何か変だな、と直感的に違和感を覚えてよく見たところ、茶色と灰色が混ざったようなボサボサの毛並みで、体の大きさに比べて顔がずいぶん小さく、キツネのような顔つきで耳が立って鼻が細長く尖っていたのです。あれれー、もしかして、コヨーテ? 走りながら通り過ぎたので一瞬のことだったのだけれど、コヨーテかもしれないという考えが頭に浮かんでからは急に不安になって、振り返ることもせず、少しスピードを上げて走り去ったのでした。土曜日の早朝だったから住宅街は静まり返っていて、人の気配は全くなく、追いかけられたらどうすればいいんだろう、とちょっとドキドキしました。

家に帰ってからコヨーテの画像検索をしてみたら、先ほど見た動物によく似ています。近所にコヨーテがいるという話も聞いたことがあるから、おそらくコヨーテだったのでしょう。

まず、大きな犬が庭先にいるのに飼主さんが近くにいないというのは滅多にないことです。それに、庭先にいる犬はランナーを見ると必ず吠えます。それを飼い主さんがたしなめるというのが大体のシナリオ。先日は、ゴミ収集の日に道路の反対側にゴミ箱を回収しに行っていた近所の知らないおじさんに走りながら挨拶したら、そのおじさんの家のガレージから大きな犬が吠えながら走り出てきて、おじさんは飼い犬が私を追いかけると思ったのか、大慌てで「He's friendly, he's friendly!」と私の背後から叫んで、危険はないことを知らせてくれたのだけれど、案の定、私に走り寄ってきたワンコはいい子で、私も「Hi, there!」と頭をなでてオシマイ。でも飼主さんは「I'm sorry, I'm sorry」と、とても申し訳なさそうでした。

ランナーは犬に吠えられるのなんて日常茶飯事です。足音が聞こえるのか、家の中から吠えている犬もいます。いつも走っているコースにチェーンリンクの金網フェンスのお家があって、庭にピットブルがいるのだけれど、その犬は私が道路を走っていると庭の隅から猛進してきて、フェンスに前足をかけて吠える、吠える。金網を越えることがないのは分かっているけれど、うぁー、ピットブルだ、と最初はちょっと怖かったのです。でも、あまりにも毎日のことなので、ある日、そのピットブルがわんわん吠える中、私は犬のほうに顔を向けてニカーっと笑って手を振って走り去ったのでした。それを何日も続けていたら、なんとピットブル君は吠えなくなったんですよ!フェンスに来るまでにわんわんと何度か吠えて、フェンスに前足をかけるものの、しっぽを振ってはーはー息をしているだけになったのです。私が走り去るとまたわんわんと数回吠えるだけ。わーい、もうお友達になったんだね。

そうしているうちに、そのお家に新しい犬がやってきたようで、ある日、小型犬がフェンスに寄って来て、私にむかってキャンキャン吠えたてていたのです。そこにピットブルが走って来て、ピョンピョン跳ねながら小型犬の背中を鼻先で突き始めました。まるで「ぼくの友達なんだから、吠えないで!」と諭しているように。また別の日には、フェンスに寄ってきたピットブルが、「ぼくの友達(私)が来たから、早く来て!」とでも言うように、少し離れた場所にいた小型犬とフェンスの間を行き来していたこともありました。それとも、新しい友達(小型犬)を私に紹介したかったのかな。

走っていると暇だから、ついこんな妄想をしてしまうんですよねー。

なにはともあれ、犬はランナーに遭遇すると吠えたり追いかけたりするものだけど、あの動物はじっとこっちを見ていただけだから、やはりコヨーテだったんじゃないかなぁ。