2024年4月17日水曜日

グリーンカードの更新とツツジ鑑賞

グリーンカードは本来は常に持ち歩かないといけないものなのだけれど、普段使うこともなければ、空港以外で提示を求められることもほとんどないので、私はパスポートと一緒に保管しています。2月にメキシコに行った時にパスポートと一緒に取り出して、ふと思い出しました。グリーンカードの10年の期限が今年の6月で切れるんだった、と。

グリーンカードには、パスポートのように有効期限が3か月とか6か月とか残っていないと入国できないという制限はないので、メキシコには問題なく行けましたが、早めに申請したほうがいいだろうと思い、メキシコから戻ってきてすぐに申請方法などを調べてみました。

すると、4月1日から手数料が変わると書いてあります。アブナイ、アブナイ、もっと待っていたら料金が上がっちゃうところだった…と思いながら変更後の10年更新手数料を見てみると、あれれ、安くなっています。指紋や写真の手数料もなくなっているから$100以上も。へぇー、そんなこともあるんですねぇ。このインフレだし、何もかも値段が上がっていることを考えると、グリーンカードの手数料が安くなるなんて、ちょっとした驚きでした。申請のタイプによっては高くなったものもあるようで、グリーンカードの初回申請は$300も高くなっていました。なにはともあれ、安くなるのなら4月1日まで待ちましょう。

そして、4月1日早々にオンラインで更新申請をしました。必要事項を記入して現存のグリーンカードの写真をアップロードするだけで、すぐにできましたよ。1週間後ぐらいには指紋採取と写真撮影の指定日時が郵便で送られてきたので、昨日それに行ってきました。移民局は、いつもそうなのか、中東の情勢不安のためなのか、なんだか物々しい感じのセキュリティチェックがありましたが、指紋採取と写真撮影は待ち時間も含めて10分ぐらいで終わりました。新しいタイプの指紋採取機だからなのか、心配していた指紋もちゃんと取れた模様です。前回は指紋がなかなかうまく取れず、一度送った指紋が却下されて、まだ日本に住んでいたので神奈川県警本部まで指紋採取にいかなければいけなかったのでした。空港で指紋をとられるときも一苦労。そういえば、昨年グリーンカードを更新したSちゃんとSちゃんママは指紋採取も写真撮影もしないで、10年前の写真を再利用したカードがすぐに送られてきたそうです。 そうかと思えば、友人のMさんは私と同様に指紋採取をしたと言っていました。その違いは何なんだろう?とにかく、しなければいけないことは一通り済んだので、あとは何事もなければ新しいカードが送られてくるのを待つだけです。最長6か月かかるとのことですが。

話は変わって、先日の日曜日にいつもの植物園に行ってきました。ここは何万本ものツツジで有名な場所なのです。つい先日もアメリカ東部のツツジの名所というようなネット記事で3位に挙げられていました。昨年は見逃してしまったのだけれど、ご近所や家のツツジがきれいに咲いているのでそろそろ見頃だろうと思い、友人のMさんを誘って出かけました。

気温が20℃前後の快晴で、自然散策には最適な一日でした。

残念ながらあまりいい写真が撮れませんでした。本当はツツジの回廊のような道があって、道の両脇に壁のようにツツジが咲いている場所があるのですが、話に夢中になっちゃって全然写真が撮れていませんでした。残念。



 



 

ちょうど八重ザクラも満開でした。

 

植物園の中にも周りにも食事ができるお店がほとんどないので、前回はちょっとアップスケールなスーパーのお寿司のパックを買って持っていったのだけれど、値段のわりに量は少ないし、お味もねぇ、日本のスーパーのお弁当売り場で買ったお寿司の方が絶対に美味しい。日本のパック寿司にはホタテやウニなんかが入っていますからね。

そんなわけで今回はワタクシがお弁当を用意しました。お米と生姜と缶詰のアサリを汁ごと入れて炊き込んだ「なんちゃって深川飯」に畑から採ってきた三つ葉を散らしたもの、これも畑から採ってきたほうれん草の胡麻和え、鮭の切り身の塩焼き、大根と人参と鶏肉の煮物、卵焼き。デザートはネーブルオレンジとブラッドオレンジを切ったもの。どうということもないお弁当ですが、美しい花々を見ながら食べれば、こんなお弁当でも充分に美味しくいただけるから不思議です。Mさんも喜んでくれたからよかった。

 

木々が芽吹いて萌黄色から緑に変わり、花が移り変わっていく日々。こんな季節がずっと続けばいいのにと思うけれど、あっという間に夏になってしまうんだろうなぁ。

2024年4月2日火曜日

イースターだけどお誕生日会と、春の花々

  


 庭に勝手に生えてきたカナダ・オダマキを飾ってみました。

カナダ・オダマキは園芸品種もあるけれど、これは野草です。この家に引っ越してきた翌年の春に裏庭の玉石の隙間からたくさん生えてきたものから種がこぼれて、放っておいたら翌年、翌翌年とどんどん株が増えてしまったので、ある年にすべて引き抜いて処分したのでした。ところが、去年の夏に今度は前庭の花壇から3株ほど生えてきたものをそのままにしておいたら、少し前に花が咲きました。庭に生えていてもそれほどきれいに見えないのだけれど、こうして飾るとなかなか素朴でいいですね。

 

なぜ家の中に花を飾るようなことをしているかというと、日曜日のイースター・サンデーに来客があったからなのです。

昨年フロリダで結婚式を挙げたHちゃん、そう、私の友人Mさんの長女でうちの子供たちとは幼馴染のHちゃんが週末にこの街に来たので、うちの息子が腕をふるって手料理をご馳走することになったのです。そして、その日はちょうどHちゃんのお誕生日。というわけで、イースターのお祝いではなく、和食でHちゃんの誕生日のお祝いをすることにしました。

息子がどこかから仕入れてきたマグロやハマチやサーモンに、キュウリやアボカドや卵焼きや沢庵などを添えて手巻きずしにして、お寿司が苦手なアメリカ人向けに餃子や鶏の照り焼きを作り、私はエビとチキンの生春巻きとピーナッツソースを作りました。餃子は畑から採ってきた春一番の柔らかいニラ入りです。Mさんたちにも久しぶりに会ったので、なんだかんだとお喋りしているうちにお料理の写真を撮るのをすっかり忘れていました。 

Hちゃんは最近自宅で家庭菜園を始めたそうで、育てている野菜や発芽したばかりのいろいろな苗の写真を見せてくれて、野菜作りの話で盛り上がりました。青じそが好きだというので、家にある種を分けてあげたりして。昔からそうなのだけれど、うちの娘はヒップスターな感じがMさんによく似ていて、Hちゃんは性格がさっぱりしていて読書や今回の家庭菜園のように趣味が私に似ているんです。幼いころから知っているけれど、今回いろいろと話してみて、考え方もしっかりしているし、大人になったなぁとしみじみ感じました。

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今年は桜がかなり早く咲き始めて(フルマラソンの頃に咲き始めていました)、桜祭りまでに散ってしまうんじゃないかと心配していたのだけれど、雨にも負けず、風にも負けず(文字通り、何度も嵐が来たのです)、2週間以上も満開の状態を保っていました。恒例の桜祭りには行けなかったのだけれど、その前の寒い日に誰もいない公園に行ってきました。

 

我が家ではスイセンやツバキから始まって、次々と花が咲き始めました。

スイセン

ツバキ

モクレン
 
早咲きの桜

早咲きの桜
 

同じ木に2種類のツバキが...
 
トキワマンサク
 
            
菜の花いろいろ
左上:水菜 右上:紅心大根
左下:ルッコラ 右下:白菜
 

なんだろう?フリージアかな?
いい香りがします
 
実生のいちご
花が咲きました!
 


2024年3月24日日曜日

シャムロック・マラソン

メキシコ旅行の5日目と6日目のことをまだ書いていないのだけれど、日常生活では次々といろいろなことが起きていて、3月に何があったのかも少し書いておこうと思います。

先週の日曜日はセントパトリックスデー (St. Patrick's Day)で、いつもならば家でコーンドビーフとキャベツの煮込み料理を食べる日なのですが、今年は何を血迷ったのか、ワタクシ、地元のフルマラソンなんぞにエントリーしてしまっていて、朝の7時半から海岸沿いの道をあっちへ行ったりこっちへ行ったりと42kmも走りまわっておりました。

このマラソンはセントパトリックスデーにちなんでシャムロック・マラソンといい、50年以上も続く地元唯一のフルマラソンなのです。前々からこのマラソンを走りたいと思っていたのだけれど、昨年はちょうどフロリダに出かけていたため出場できなかったので、フロリダから帰ってきてすぐにこのマラソンにエントリーしたのでした。

いつもなら12月にハワイから戻ってきたあとは、2か月ぐらいほとんど走らなかったりするのだけれど、今年はシャムロックがあるのでそんなことはしていられません。3か月前には大会の実行委員会(?)からトレーニングプランが送られてきたので、それに従って一応走ってはいたのだけれど、30kmぐらい走らなければいけない週にメキシコ旅行に出かけていたからスケジュールがずいぶんズレてしまい、結局30km走をしないまま当日になってしまいました。2週間前には、いつもしないストレッチをしたせいで、ひざ裏の腱が痛むようになり、走るときはそれほど痛みはないものの、不安は募るばかり。制限時間もあるので、途中で走れなくなったらどうしよう…などと最悪の事態ばかりを想像してしまいます。これは、まぁ、私の性格のせいでもあるから、しょうがないか。

でもね、思ったんです。先月、The Last Lecture最後の授業)という、がんで余命宣告を受けた大学教授が行った有名な講義についてご本人が綴った同名の本を読み、生や死や人生や諸々のことを感じたり考えさせられたりしました。そんな中で思ったのは、行動するのが不安なことや足踏みするようなことも、生きているからこそできるんだ、と。そんなことは当たり前なんだけれど、私たちは生きていること自体を当たり前のことと思って日々生活しているから、「生きているからこそ」なんて改めて考えることもないのかもしれません。でも、そう考えたら、マラソンに対しても気が楽になったし、いちばん苦しかったところで、「生きてるんだ、私」と思いました。

結果は、タイムも昨年のホノルルよりよかったし、走りも20km過ぎてからも補給ジェルのおかげでなんとか持続できたのでよしとしましょう。

あんなに「いやだ―、どうしよう」と言っていたのに、終わってしまうと「さぁ、次は何にエントリーしようかな」と探したりしているから、現金なものです。



2024年3月14日木曜日

メキシコ・シティー 4日目

4日目は、メキシコ・シティーから車で1時間から1時間半ほど離れた場所にあるテオティワカン遺跡を訪れました。娘がツアーを申し込んでいたそうで、早朝5時にホテル近くの集合場所に向かいました。1時間ぐらいしか離れていないのに、なぜまだ暗い早朝に出発するのかと不思議に思っていたら、娘が「朝陽が昇るのを見るためなんじゃない!?」というので納得。テオティワカン遺跡には太陽の神殿と月の神殿というふたつのピラミッドがあるのです。その背景に朝陽が昇るのだとしたら、見応えがあるでしょうねぇ。

テオティワカン文明は、アステカ文明を開いたメシーカ(Mexica)族が北部から現在のメキシコ・シティーにやってくる以前に栄えた文明で、謎が多く、ある時忽然と消えてしまったのだそうです。最盛期には遠くマヤやサポテカなどとも交流があり、多大な影響力を持っていたと考えられています。この文明の本当の名前は不明で、メシーカ族が廃墟となった遺跡を見て、テオティワカン(神のいるところ)と呼んだことから今もそう呼ばれているそうです。

様々なホテルから集まってきた10人ほどのツアー客を乗せたライトバンは真っ暗な高速道路を進み、空が少し白みかけた頃に目的地に着きました。車から降りると、遠くにうっすらとピラミッドの影が見えます。日中は20℃以上になる気温も、朝は5℃くらいの寒さで、薄手のダウンジャケットを着てきて正解でした。納屋のような小屋の中にはすでに何十人ものツアー客がいて、チェックインが始まっていました。名前や緊急連絡先や身分証明書の提示などを求められて、遺跡の見学なのにずいぶん慎重だなとは思ったのだけれど、私たちが外国人だからだろうとあまり気にもしていませんでした。小屋の中では温かいコーヒーや紅茶、お菓子、果物などが振る舞われ、建物の前の道路に白いライトバンがいくつも集まってきたので、それに乗って遺跡に行くのを待っているのだろうと思っていたのです。外が少しずつ明るくなってきて、前の広場の奥の方でなにかがモクモクと膨らんでいる様子が見えました。よく見ると、気球です。小屋の中のテレビ画面に気球やハングライダーの映像が映っていたから、ふーん、そういうツアーもあるんだ、と思って見ていました。そのうちにあっちでもこっちでも気球が膨らみ始めて、お手洗いから戻ってきた娘に、「見て、気球が膨らんでるよ」と言うと、娘は「ホントだ、写真撮って来る」と外に行ってしまいました。


 

しばらくするとグループごとに名前が呼ばれたので、それぞれにライトバンに乗り込んで遺跡に行くのだと思ったら、 車の横を通り抜けてどんどんと広場のほうに案内されました。「気球を見せてくれるのかな」と能天気に娘に話しかけると、娘はふふふと意味ありげに笑って、「これに乗るんだよ」と言います。私への誕生日プレゼントだそうです。え”え”ー。ちょ、ちょっと待って、これ、ホントに安全なの?ゴーゴーと火を噴いてますよ。空中で燃えちゃったりしないよね。木のカゴだよ。いろんなことが脳裏に渦巻いて、ちょっと足がすくみました。本当にこれに乗るの?

 

気球の準備ができて、カゴに乗り込み、いざ出発。ふわっと浮き上がって、ゆっくりスイスイと地表から離れていきます。すでに何十個もの気球が空に舞い上がっていて、それはそれは圧巻な眺めでした。朝陽はすでに昇っていたけれど、地表から上る朝靄が幻想的です。気球は比較的低い位置で移動していましたが、ピラミッドが近づくとその斜面を登るようにどんどん上昇していきました。月の神殿から「死者の道」(大通り)の上を移動し、太陽の神殿を越えてゆっくりゆっくり下降してサボテン畑の真ん中に着陸しました。実際に気球に乗っていたのがどのくらいの時間だったのか、もしかしたら30分程度だったのかもしれないけれど、時間が止まったように長い時間ふわふわと空に漂っていた気がしてしまいます。これもまた、私一人だったら気球に乗ろうなんて考えもしなかっただろうから、娘とH君に感謝しなければ。思い出に残る貴重な体験になりました。







最後は無事に着陸したことを祝って(!!!)、みんなでシャンパンで乾杯。 広大なサボテン畑の真ん中にお迎えのライトバンが到着して、また納屋のような小屋に戻り、裏にあるスペイン風のコートヤードでマリアッチのおもてなしと共に簡単な朝食をいただきました。


 

続いて、またライトバンに乗り込み、今度こそテオティワカン遺跡へ。ここでは有料ガイド付きのオプショナルツアーか、個人で行動するか、の選択肢があり、ガイドのおじさんが面白い人だったのでツアーに付いて行くことにしました。おそらく私たちだけで遺跡を見ても、「わぁ、大きいね、すごいね」ぐらいしか感じようがなかったんじゃないかと思いますが、ガイドのおじさんがとても丁寧に説明してくれたおかげで遺跡の歴史や背景がわかり、近くにある古代の神秘的な洞窟にも案内してもらったほか、お土産屋さんではテキーラやアガベの甘いお酒(ちょっと梅酒のような)などのテイスティングも用意されていました。お土産屋さんではいろいろと勧められるのかと思っていたら、そんなこともなく、遺跡での2時間ほどの滞在時間をたいへん有意義に過ごすことができました。

 

もう3週間以上も前の出来事なのに、なんだかまだ夢の中にいるような感じがします。

2024年3月4日月曜日

メキシコ・シティー 3日目

はい、メキシコ・シティーの話題はまだまだ続きます。

3日目はメキシコ国立人類学博物館に出かけました。ここは、日本で言ったら東京国立博物館や京都国立博物館のように国宝級の文化遺産が展示されている場所です。このメキシコ旅行までの2か月間に私が本を読んだり、オンライン講座を視聴したりして学んできたメキシコの歴史がぎっしり詰まった博物館です。

 

まずはアステカ文明の展示室へ。

ここで最も有名なのは、アステカの神殿の上にあったと言われる「太陽の石」でしょう。アステカ展示室に入ると、真正面の壁の前に展示されています。

 


 アステカの暦を描いたものだそうです。中央はなんらかの神様の顔で、舌を出しているのは血を欲しているからだといいます。アステカの人々は、太陽が毎日東の空から昇るためには、神に血を捧げなければならないと信じていたそうで、アステカの終末期、スペイン人が渡来したころには、毎日のように生け贄の儀式が行われていたのだとか。生け贄はアステカに限らず、マヤ文明のほか、メソアメリカの様々な文明で行われていたそうです。この刻石はアステカの神殿の最上部に設置されていたものだろうと推定されていますが、後に建てられたキリスト教の大聖堂の修復の際に偶然に発掘されたものの、しばらくは大聖堂の敷地内に放置されていたとかなんとか、件のオンライン講座の先生が言っていました。また、これは写真のように縦に飾るものではなく、卓状に置くものだから、生け贄の台として使われていた可能性が高い、とも。

そして、本物の生け贄儀式用の台は、こちら。

 

 これは実は少し高いところに置いてあって、背の低い私にはトップの部分が見えなかったのです。でも、私はこれが何なのかを事前に知っていたので(オンライン講座でこの映像をすでに見ていたから)、スマホを高く掲げて写真を撮りました。中央にある窪みは体内から取り出した心臓を置く場所で、手前に伸びた溝は血液の流れ道なのだそうです。この台の上でどれだけの人が亡くなったのかと考えると、恐ろしくもあり、悲しくもあり。神に命を捧げるのは栄誉なことだったとはいえ。

 
アステカの首都、テノチティトラン。私たちが滞在していたのは中央の神殿広場の左下あたりでしょうか。遠くに火山が見えます。

モクテスマ2世の被り物(再現品)

 


 アステカの絵が面白い。ちょっと「シンプソンズ」のようでもあり、他の展示物の中にはキース・へリングのようなデザインのものもありました。

シンプソンズと言えば、アステカ展示室ではなかったのだけれど、これ、誰かに似てません?

 

File:Mr Burns.png


 

Mr. Burnsにしか見えない。 

 


 こんな子もいました。私たちは「Boy with an attitude」って呼んでいたんだけど、大昔にもこんな生意気そうな子供がいたんですねぇ。口がビリー・アイドルだし。

 
こちらは、解説文の初めに「Danza」と書かれているように、踊っている人々の様子を表現しているそうです。どれも笑っている表情がいいですね。

メキシコの文明は生け贄や殉教など「死」にまつわる遺産が多い一方、人間の喜怒哀楽や「生」を表現したものも多く、生と死を包括的に捉えているように思えました。

こうして3時間以上も博物館の中を歩き回って、本当にたくさんの展示を見たのだけれど、さぁ帰ろうか、と出口に行きかけた時に、2階にもまだ展示室があることに気付いたのでした。メソアメリカの文明はすべて見尽くしたと思ったのに、いったい2階には何があるのぉー? でも、今回はここまでにしました。メキシコ・シティーにはまた来るような気がするし、そのインセンティブとしてここの2階を残しておくのもいいかもしれません。入場料だって$5ぐらいなんですもの。

メキシコ・シティー3日目はこれでおしまい。早々にホテルに帰って、早々に寝ました。というのも、翌日は朝の3時半起きで、なんとも珍しい貴重な体験をさせてもらったのです。(続く)

2024年2月29日木曜日

メキシコ・シティー 2日目

到着日は3人とも朝が早かった(H君は夜行便)こともあり、究極に疲れていたので、ホテルのレストランで簡単に夕食を済ませて、夜の9時前には寝てしまいました。

滞在したホテルはコンデサというちょっとお洒落な地区にあり、ホテル自体もモダンかつメキシコシティ特有のカラフルさを基調としたインテリアで、ヒップスター御用達という感じでした。部屋にはなぜかレコードプレーヤーが置かれていて、LP盤が2枚用意されていました。一枚はメキシコ音楽のレコードでしたが、もう一枚がなんとエコバニ(Echo & the Bunnymen)だったという…。あれー、これは我が家のどこかにもあるんじゃないかなー。40年近い時を経て(恐ろしや)、こんなヒップなホテルに置かれているということは、私のテイストも捨てたものじゃないじゃない!? H君が面白半分にレコードをかけたので、♪The killing moon~♪と私が口ずさむと、H君は「え?この曲、知ってるの?(What?You know this song?)」と驚いているので、ふふん、とふんぞり返って、「もちろん!」と答えたのでした。伊達に長生きしてません。まぁ、どうでもいいことなんだけど、エコバニのレコードを見てちょっと興奮しちゃいました。

 

さて、2日目はさっそく娘がメキシコ・シティーで一番行きたかった場所に向かいました。メキシコ・シティーと言ったら、やっぱりフリーダ・カーロです。彼女が実際に住んでいた家が博物館になっているので、コヨアカンという街に出かけました。と、ところが、入場券はすでに数日先まで売り切れというではないですか。なんということでしょう。せっかくここまで来て、中に入れないとは…。まるでバチカン美術館の悪夢の再来(日曜日は閉館で入場できなかったのでした)。

 

入れないものはしょうがない、と気を取り直して、コヨアカンの街並みを散策することに。コヨアカンってどこかで聞いたことのある名前だなぁ、アステカの本に出てきたんだったかなぁ、と思い、ホテルに戻ってからKindle版の本の中で「Coyoacan」を検索すると、コルテス率いるスペインの侵略者たちが最初に入居した土地がコヨアカンだったという文章が出てきました。なるほど、街の中心部には大きな教会があり、まわりの建物もスペイン風で、ヨーロッパの街を歩いているような錯覚を起こします。コヨアカンとはアステカの言葉、ナワトル語で「コヨーテのいる場所」という意味なのだそうで、公園の噴水には2匹のコヨーテの像が。フリーダもこの辺りを歩いたりしていたのかもしれませんね。





 

そしてこのコヨワカンには大きな市場がありました。野菜や魚介類やお肉などの生鮮食品はもとより、織物やガイコツの置物やメキシコの特産品などが所狭しと並べられています。飲食店もたくさんあって、私たちはトスターダ(パリパリに焼いたコーントルティアに様々な具材をのせたもの、好みのソースをかけて食べる)をランチに食べました。メキシコで食べたお料理全般に言えることなのだけれど、何を食べても塩加減が絶妙で、しょっぱすぎるということがないのです。アメリカで外食をすると、何でも塩分が濃すぎて、素材の味が全然しないんですよねぇ。メキシコの食文化は、私が経験した限りでは、アメリカとは比べ物にならないくらい優れていました。



 

コヨアカンを後にして、フリーダ・カーロと彼女の夫で画家でもあったディエゴ・リヴェラの共同スタジオ(アトリエ)に行ってみることにしました。こちらはUberで移動。この辺りもまたお洒落な街並みでした。


 






後日出かけた別の美術館の写真展で、フリーダ・カーロがこのサボテンの前に立っている写真を見ました。

 

夜は覆面プロレスとやらを見にいくというので、市の中心部に移動しました。なんでまた覆面プロレスなんて、と思ったのだけれど、メキシコ・シティーの名物エンターテイメントなんだそうです。

まだ少し時間があったので、その前にあたりを散策しました。ここはアステカの首都、テノチティトランの中心地で、もともとはアステカの神殿などがあった場所です。スペイン人の侵略でアステカの建造物はすべて取り壊され、跡地に修道院やスペイン風の建物が建てられたといいます。近年はアステカの神殿の一部の発掘が行われているようですが、スペインの建造物もすでに歴史の一部となっている今、アステカの神殿の完全復元はできないでしょうね。


(発掘中の遺跡)

そして、覆面プロレス。案内されたのはなんとリングサイドの最前列。私はプロレスに興味もなければ、テレビで見ることもないのだけれど、せっかく来たのだし、もうこんな機会は二度とないかもしれないから、楽しむことにしました。なかなか迫力がありましたよ。リング上からレスラーが次々と落とされて、私たちの席の方になだれ込んできたり、女性レスラーが目の前を通って入場したり…。私一人だったらプロレスを見ようなんて思いもしなかっただろうけれど、こういうのも旅の面白さなのかもしれませんね。