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2026年5月15日金曜日

東京マラソン2026-EXPO編

 東京マラソンを走るためには、数日前から有明の東京ビッグサイトで開催されるExpo会場に受付(ゼッケンや当日に私物を入れて預ける袋などの受け取り)に行かなければなりません。

大会二日前の金曜日、東京ビッグサイトに向かうために大崎駅で国際展示場行きの電車を待っていると、電車の扉ひとつ分ほど離れたところにいた女性がなにやら手を挙げてこちらを見ています。どうも私に向かって手を振っているようなのだけれど、知らない人なのできょろきょろしてしまいました。するとその東南アジア系の若い女性が近づいてきて、英語で「この電車(目の前に停まっている)は国際展示場に行きますか?」と訊いてきました。その電車のことはわからないけれど次の電車は確実に行くのがわかっていたから、その旨を伝え、そのプラットフォームにいた大半の人たちがきっとそうであるように「あなたも東京マラソンを走るの?」と訊くと、彼女はボランティアの受付に行くとのことでした。同じ方向に行くことだし、一緒に行きましょうか、と連れ立って電車に乗りました。尋ねなかったけれど、不思議なのは、駅のプラットフォームには大勢の人がいたのに、なぜ私に話しかけたのか、なぜ英語が通じると思ったのか。私の見た目は普通の日本人だと思うんだけどなぁ。

彼女はタイのバンコクに住んでいて、東京マラソンのボランティアをするために前日に到着したばかりとのこと。日本は初めてと言っていたけれど、スマホを片手に難なく行動しているようでした。

ビックサイトではランナーとボランティアの受付は別の棟だったのだけれど、彼女がランナーの受付に一緒に行きたいと言うので、私の受付を済ませてから 同じ棟で開催されていたEXPOをひと通り見て(アシックスのブースは、特に外国人に大盛況でした)、記念に東京マラソングッズをほんの少し購入してボランティアの受付に私も同行しました。

 ボランティアの受付はランナー受付(長蛇の列)とは打って変わってこじんまりとしたホールで行われていました。金曜日だったからか受付に来ている人もまばらでした。ボランティアの受付もランナー同様にチェックインするだけだと彼女は思っていたようなのだけれど、実際には説明会があって、数人ごとにテーブルを囲んで説明を受けていました。私が同行した彼女、ビルさんもテーブル席に案内されて説明を受けるようだったので、私は「ここで待っているね」と声をかけると、それを聞いたグループリーダーの方が、私にも同じテーブルに座るように勧めてくださいました。ある程度の人数が集まるまで説明会は始まらないので、その間にリーダーを含めて雑談などしていると、リーダーさんはアフリカの出身(国名を失念しました。タンザニアだったかな)とのことで、周りの日本人の方とはとても流暢な日本語で会話をしていました。私たちのテーブルは外国人ボランティアの方々の説明会だったので、会話はほとんどが英語でした。「今日は付き添いで来たの?」と訊かれたので、私は実はランナーで、ビルさんとは駅で偶然に会って意気投合したのだと話すと、マラソンを走る人がボランティアの説明会に参加することはとても珍しく、ボランティアの活動内容を知ってもらえるのはうれしいとリーダーさんは言っていました。

実際、ボランティアはその存在なくしてはマラソン大会を開催できないほど重要だと、どんなに小さな大会でも感じることなのだけれど、この時にボランティアの説明会に参加して、その感謝の気持ちが何十倍にも膨れ上がりました。私たちが呑気に走っていられるのは、こうしたボランティアさんたちの奉仕のおかげなのだと。説明会の後にテーブルにいた4,5人のボランティアさんから「マラソン、頑張って!」と声をかけていただいたので、私もみんなへの感謝を伝えました。リーダーさんは背が高くて細身でケニアやエチオピアのランナーのようにかっこよかったので(ステレオタイプですみません)、リーダーさんもランナーなんですか?と訊いてみたら、ご自身ではマラソンはしない、と。でも体育教師だからアドバイスはできるよ、と言って、カフェインはいつ頃摂るといい、などと教えてくれました。

ビルさんは12㎞、リーダーさん他は17㎞の給水地点にいるということだったので、見かけたら声をかけるね、と約束して解散となりました。

そのあとは、ビルさんと遅いランチをすることになり、お台場のほうまで歩いていくと、Tokyoというサイン(彫刻?)の前で写真を撮っている外国人たちがいて、東京マラソンのシャツを着ていたので、「マラソン走るの?頑張って!」と声をかけると、相手も「ありがとう」と返す。いいなぁ、こういうの。ランナー文化だなぁ。

 (私たちも写真を)

で、肝心のランチは、彼女が食べたいというお好み焼き屋さんに行きました。私もお好み焼きは久しぶり。 食事をしながら日本のこと、タイのこと、アメリカのこと(ビルさんもアメリカに住んでいたことがあるとのこと)などの話に花を咲かせました。私が二人分のお会計を済ませると、ビルさんが抗議するので、ここは私の国だから私がおもてなしするけど、私がバンコクに行ったら、ご馳走してね。と伝えたのでした。

さて、マラソン当日、12㎞地点の給水でビルさんには会えたのでしょうか? (続く) 

2026年5月13日水曜日

100万年ぶりの投稿

もう5月ですって。2026年の1/3以上がすでに過ぎ去ってしまいました。私はいったい何をしていたのでしょうか?

そういえば、3月に東京マラソンを走るはずじゃなかったのかしら?

うふふ、もちろん走りましたよ、東京マラソン。一生に一度走れるかどうか、というマラソンですものね。

東京マラソンは3月1日だったのだけれど、その前に約1か月ほど長野の実家に帰省していました。2月の信州は寒い寒い。そのうえに、わが実家はいまだに昭和な建物で、個々の室内は暖房が効いているものの、一歩廊下に出ると外と変わらないほどの寒さで、屋内の寒暖差が尋常ではないものだから、私は実家に着いた当初、気象痛に激しく悩まされました。少し頭を下げるだけで後頭部がジンジンと痛み、何もしていないときにも目がチカチカして、黒い稲妻のようなものが見えるのです。1週間ほどそんな状態が続いたけれど、寒さに慣れたからなのか、いつの間にか治りました。

東京マラソンを数週間後に控えて、最後の30㎞走をしなければならなかったので、少し気温の上がった日に千曲川の土手を走りました。冠雪の北アルプスが遠くに見えて、川岸にはシラサギやアオサギの姿があり、対岸には長野オリンピックのフィギュアスケート会場だったホワイトリングが見えます。その頃ちょうどミラノ・コルティナオリンピックが開催されていました。


30㎞走は気持ちよく走れたのだけれど、その後からちょっと脚の調子が…。あれー、これはなんだか昔患ったシンスプリントのような疲労骨折のような痛み。最初は、ん?ちょっと痛いかな?程度だったのが、 10㎞走っている間中ずっと痛くなり、これ以上走るとマズいかな、という状況に。すでに走行量を減らすテーパリングに入っていたので、アイシングをしたり、数日走らずに様子をみたものの、一向に良くなる兆候は見えません。だからって、東京マラソンを欠場するという選択肢はありません。

緊急処置として脛のサポーターやコンプレッション・カーフスリーブを購入したけれど、不安はつのるばかり…

そうして迎えた東京マラソンは… (続く…のか?) 

2025年2月18日火曜日

浦安/シンガポール/横浜 横浜編

 

 

シンガポールから羽田までは夜行便で、羽田には早朝5時半ごろに到着しました。リムジンバスで横浜駅のバスターミナルに向い、そこからタクシーで山下公園に近いホテルに直行。着いたのが朝の7時台だったのに、娘のホテルの特典ですぐにチェックインできました。二人とも飛行機の中でほとんど眠れなかったから、通常通りに午後3時ごろまでチェックインできなかったら、眠いままどこかで時間をつぶさなければいけなくて相当つらかっただろうと思います。チェックインしてすぐに2時間ほど仮眠をとりました。

横浜での滞在は一泊二日。翌日の夜には羽田からそれぞれ出発することになっています。時間がないので優先順位をしぼって、まずはまっすぐ横浜駅に向かいました。ホテルの窓からは懐かしい横浜スタジアムの一角が見えて、そちらにも行ってみたかったし、もっと時間があったら数年前に住んでいた家の近くにも行ってみたかったけれど、とにかくアメリカに持って帰るものやお土産を買わなければ。根岸森林公園ではアイスチューリップがきれいに咲いているだろうなぁ、と思いながら。

横浜駅ではまずランチを。娘のおススメのお茶漬け屋さんに行きました。私はシャケと高菜のお茶漬けと鶏の和風から揚げのセットを。ごはんをお茶碗によそって、具材を載せ、テーブルに置いてある刻みのりやあられやわさび漬けをトッピングして、ポットの出汁を注ぎます。出汁がよいお味で、美味しいお茶漬けでした。から揚げも大根おろしや青じそが載っているあっさり味で美味しかった。お高いキャベツの千切りも残さず食べましたよ。娘はお肉の載った丼のようなお茶漬けを食べていました。

 ランチの後は食材や文房具や洋服などのお買い物と、デパ地下でお土産のお菓子を買い、夕方にお寿司をたべてから、みなとみらいを散歩しながらホテルに戻りました。夫の昔の職場までの道筋の一部を歩いていて、なんだか時間がフラッシュバックしたような気がしました。ずっとそこにいたような…

翌日の午前中は娘と別行動。私はお買い物も済んだのでふらりと山下公園へ。横浜の1月、2月は快晴の日が多く、歩いていると背中に当たる日差しが暖かくて、大好きな季節でした。この日も透き通るような青空。

 
 
山下公園の氷川丸。私の祖父が終戦後に南洋から帰還した船だそうです。
 
あ、そういえばホテルの近くのコンビニに、こんなものが。
 

これ、私が子供の頃によく食べていたパンです。長野のご当地パンだとは知らずに食べていました。しかし、ずいぶん小さくなったような。この倍ぐらいの大きさじゃなかったかなぁ。それとも自分が小さかったから大きく見えただけ? 牛乳パンは、四角いパンの真ん中にクリームが挟んであるだけの素朴なパンなのだけれど、とにかく大きくて安いのが最大の取り得だったと思うのです。おなかを空かせた子供たちの最大の味方でした。今の私には糖質過多かもしれませんが、懐かしかったので買ってしまいました。
 
横浜滞在はあっという間に終わってしまいました。この日の夕方にはもうアメリカに出発です。
 
ちなみに、私は昨年の四月にグリーンカードの更新申請手続きを行ったのですが、まだ新しいカードが手元に届いていません。先日サイトで確認したところでは、私のカードはあと18ヵ月もかかるそうです。それまでは連絡してはいけないとも書いてあります。申請した時点で期限切れのグリーンカードを24ヵ月延長するという手紙が届いて、それがあれば国外に旅行もできるのだけれど、航空会社のアプリにグリーンカードの情報を保存できないから、オンラインのチェックインができず、毎回、航空会社のカウンターに出向いてチェックインをしなければなりません。だから空港には少し早めに行かなければいけないし、結構面倒です。 今の新政権の入国管理のゴタゴタで、もっと延びる予感もします。やれやれ。
 
あ、でも、いいこともあって、帰りの便もなんと3席一列独り占め。 ラッキー!
 

2025年2月13日木曜日

浦安/シンガポール/横浜 シンガポール食事編

 食事もシンガポールでの楽しみのひとつです。シンガポールはアジアのメルティングポットと呼んでもよいくらい多様な民族と文化が融合していて、それは食文化にも反映しています。

 最初に泊まっていたホテルの近くにあったお店で食べたワンタン麺。タイ風ということで好みでナンプラーやチリソースを入れるとのこと。私はあっさり味が好きなので、そのまま食べました。麺に青菜が入っているとは知らず、青菜の炒め物まで注文してしまいましたが、野菜が食べたかったので二人ですっかりたいらげました。
 

 リトル・インディアでのランチは、ビリヤーニ、パラク・パニール(ほうれん草とパニールのカレー)、ゴビ・パコラ(カリフラワーのフライ)。大きなお皿の上にはバナナの葉が敷いてあり、各自お料理を取り分けて食べます。本当は手で(厳密には右手で)食べるのが正しいのでしょうが、観光客が多いこのお店ではカトラリーが最初から置かれていました。

今でこそビリヤーニは日本でも人気ですが、何年か前に日本でビリヤーニが食べられるお店を検索したら、 横浜あたりでは一軒ぐらいしかなかったように思います。こちらのインド料理店でずいぶん前にビリヤーニを食べて以来、大好きなお料理です。でも、このリトルインディアで食べたビリヤーニはもっと本格的で、付け合わせの赤タマネギのヨーグルト和えがビリヤーニの辛さにマッチして本当に美味しかった。そしてカリフラワーもフライなのにまったく重くなく、いくらでも食べられちゃいそうな美味しさでした。

こちらはどこかのフードコートで食べた、なんとか麺。マレーシアのペナン島発祥の麺というようなことがお店の看板に書いてあったのだけれど、麺の名前を失念しました。最近、歳のせいなのか、外食をすると何でもしょっぱく感じるのだけど、この麺のスープは薄味で美味しかった。

 
 そしてこちらは、鼎泰豊(ディンタイフォン)。言わずと知れた小籠包で有名な台湾発祥のお店ですが、今回、鼎泰豊に出かけたのは、有名だからではなく、思い出があるからです。
 
20年前にシンガポールを訪れたときは、オーチャード通りのホテルに泊まっていて、ある日、夫と息子がホテルのプールに行っている間に、私と娘は近くに散策に出かけたのでした。といってもオーチャード通りは日本の銀座のような場所で、ウインドウショッピングぐらいしかすることはありません。そうしてふらっと入ったショッピングセンターの中に、ガラス張りの厨房が丸見えで、調理師が餃子やシュウマイのようなものを一つ一つ手作りしている姿や蒸籠からもくもくと蒸気が上がっている様子が通路から見えるお店があったのです。平日の午後でショッピングセンターにもそのお店にも人は少なく、 ぽつぽつと座っているお客さんのテーブルには何段にも重なった蒸籠が置かれています。それを見て、ちょっと入ってみようか、ということになったのでした。
 
メニューを見て、あれもこれも食べたくなり、小籠包や蒸し餃子や雲吞や中華まんなどを注文して、$20ぐらいで二人でお腹がいっぱいになるほど飲茶を満喫しました。美味しさはもちろんだけれど、その安さにも感動しました。

その時に鼎泰豊というお店の名前は覚えたのだけれど、有名なお店だったとは露知らず。しばらくして、英字新聞だったか、英語の記事だったかで、ニューヨークでも話題のDin Tai Fungというお店のことを知ったのでした。
 
それから20年が経ち、あの時の感動をもう一度!と出かけたものの、今や鼎泰豊はありとあらゆるショッピングセンターの中にあり、どこも行列ができるほどの人気です。本当は以前行ったお店に行きたかったのだけれど、ホテルから少し遠かったので、もっと近いお店にしました。そこも待ち時間が40分。モールの中をふらふらして時間を潰し、戻ってきて通された席は隅っこの二人掛けテーブル。この混みようだから仕方がありません。いろいろ注文してもテーブルに乗りきらない!でも味は確かでした。うん、美味しかった。前回と同じくらい食べたと思うのだけれど、お会計は…4倍以上でした。とほほ。
 
今となっては、20年前の思い出をそのままにしておきたかった、と思ったりして。 

ホテルの朝食もバラエティー豊かなお料理がたくさん。卵やソーセージやパンやクロワッサン、シリアル、ヨーグルトなどのよくある欧米系の朝食に加えて、中華料理、インド料理、アラブ料理なども所狭しと並んでいます。ヌードル・バー(というのかな?)ではお好みの具材と麺の種類、スープを選ぶと、目の前でそれを調理して器に盛ってくれて、最後は好みのトッピングを自分で載せるというシステムでした。これが結構人気で、みなさん朝から麺を食べていました。数日泊ったので、今日は中華、今日はインド料理、と日替わりでいただきました。

こちらはカヤ・トースト。カヤとは、パンダンという植物の葉で風味をつけたカスタードクリームのようなものですが、牛乳ではなくココナツミルクを使っているのだと思います。そのカヤとバターを、トーストしたパンにはさんだものがカヤ・トーストです。

このトーストを、一緒についてくる半熟玉子にディップして食べるのが正しい食べ方なのだそうです。玉子にお醤油を少し垂らすので、甘さやしょっぱさやいろいろな味がします。カヤは以前娘がお土産として買ってきてくれたことがあって、トーストに塗って食べたりしたことはあったけれど、こういう食べ方があったとは知らなかったなぁ。

また、この時に飲んだミルクティーが濃厚でとっても美味しかったのです。つい先日、ミルクティーとロイヤルミルクティーの違いというのを知ったのですが、これはまさにロイヤルミルクティーでした。シンガポールにはTWGという有名なお茶屋さんがあって、そこで幾つか紅茶や烏龍茶を買ってきました。その中にミルク烏龍茶というのがあって、これはミルクが入っているわけではなく、発酵する過程で自然にミルクのような香りを発するようになるのだそうです。ちょっと面白いお茶です。

最後は海南鶏飯。海南チキン(Hainanese chicken rice)ともシンガポールチキンライスとも呼ばれる、シンガポールではホーカーセンターやフードコートなどには必ずあって大人気のお料理です。なんとワタクシ、初めて食べました。

シンガポールはあちこちにホーカーセンターと呼ばれる屋台や小店が並んだ大型フードコートのような場所があるのだけれど、注文するのをちょっと躊躇するような、衛生的にどうなのかな、というところも無きにしも非ず。地元の人たちはそういう場所で美味しそうに食べているし、実際にとても美味しそうなんです。私は胃腸は結構強い方だから余程のことがない限り大丈夫だと思うのだけれど、夫などはお腹が弱いうえに、食べる前からイメージだけでお腹が痛くなっちゃうタイプです。

今回娘が連れていってくれたホーカーセンターはなかなか小ぎれいな場所でしたが、お客さんの大半は観光客でした。観光客相手のお店というのはどうなんでしょうね。 今回食べた海南鶏飯は、ご飯にも鶏の味がよく染みていてとても美味しかったけれど、初めて食べるので他と比較しようがありません。次は地元の人たちが食べている海南鶏飯にチャレンジしてみましょうか。

2025年2月11日火曜日

浦安/シンガポール/横浜 シンガポール 観光編

 今回の旅行は、残念なことに写真があまりありません。娘がたくさん写真を撮っていたから後で写真をAirDropしてもらおうと思っていたのに、忘れてしまったのです(泣)少ない写真でシンガポールでの足取りを追っていきましょう。

まずはリトル・インディア

 
 
町全体がとてもカラフルでした。
 
 
町の中心街はインドの伝統的な衣服を扱う服飾店とゴールド・アクセサリーのお店ばかりで、辺り一面がキラキラ輝いていました。
   

かわいいプルメリアの鉢植えがありました。私はこういうものばかりに目が行ってしまいます。
 
シンガポールには大きな植物園があると聞いていたので、植物園に行こう!と娘に提案したら、あいにくの雨。そこで、屋内植物園を擁するGardens by the Bayという巨大な公園に出かけることにしました。

雨が降ったりやんだりしていて、広い公園内すべてを散策することはできなかったけれど、↑の不思議なタワーは夜になるとライトアップして、ライトショーもあるのだとか。午後の早い時間にでかけたのでライトショーは見られず、残念でした。

公園の中にはFlower DomeとCloud Forestという二つの屋内植物園があります。

Flower Dome(写真なし)は、ちょうど中国の春節が近かったことから、それにちなんだ、無数のランや南国の花を使った飾り付けが見事でした。ホールではモネの絵をプロジェクションで映した「Impressions of Monet」というのが開催されていて、Flower Domeのチケットで入場できるというので覗いてみました。 

 

こちらはCloud Forest

ガラス張りの巨大な温室の中央に人工の山があり、 まずエレベーターで上まであがって、山のまわりの通路を徒歩でぐるぐる廻って降りてくる仕組みです。Forest(森)というけれど、どちらかというとジャングルの中にいるような感じでした。




 
エレベーターに向かうまでの通路には、見事な蘭の花がたくさん飾られていました。
 
そして、別の日に訪れたのは、アラブストリート
こちらはホテルの近くだったので、お散歩がてら、ふらふらと 

 

 
 
 
ペルシャ織りの絨毯?や様々な織物が所狭しと並んでいて、あれもこれも欲しかったのだけれど、気に入ったものを少しだけ買いました。中でもトルコ風のタイルがとっても素敵でした。でも、タイルなんて重くてとても持ち帰れません。

お昼はファラフェルのラップサンドイッチをテイクアウトテイクアウェイしてホテルに戻って食べました。
この壁、全部、平面に描かれた絵なんですよ。 隅っこに本当におじさんが座っているみたい。左側で調理している人がこの絵のおじさんによく似ていて、描かれているのはご本人かお父さんかもしれませんね。 
 
そしてまた別の日は、Peranakan Museum(プラナカン博物館)へ。
この博物館の建物もコロニアル風で趣があり、その周りの建物も古風だけれどお洒落な感じでした(また、写真がない)
 
ちょうどこの日はバティック染めの特別展示が開催されていました。バティック染めというと、シンガポール航空のフライトアテンダントの制服が有名ですね。この展示では三世代の作家たちのバティック染めの移り変わりをテーマに、繊細に描かれた数々のデザインが展示されていました。 


体験コーナー。これを見て娘は、「こういうおもちゃが家にあったよね」と。
ぷぷぷ。それ、私のおもちゃだったのよ。何かというと、キャンディ・キャンディのミスマンガ家という、光る台の上でキャンディ・キャンディの絵を写し絵するというもの。まさにこれ↓ どこにいっちゃったのかな、あれ。
 

とまぁ、観光はこんなところでしょうか。写真がないのが残念です。
 
観光じゃないけど、↓はホテルの廊下
娘は開口一番、Redrum, redrum...
 
 


 

2025年2月6日木曜日

浦安/シンガポール/横浜 シンガポール編1

 シンガポールを訪れるのは20年ぶりです。あの時は夫が出張でシンガポールに3週間ほど出かけていて、確か、帰る頃がちょうど感謝祭の週末と重なったので、私と子供達が休みを利用してシンガポールに行ったのではなかったかと思うのだけれど、10月だったような気もします。あの頃はシンガポールのことなど何も知らずに、何を見ても珍しく感じたことを覚えています。屋台が並ぶホーカーセンターで珍しい料理を食べたという話を現地の夫の職場のアメリカ人女性に話したら、「You are brave(勇気あるわねー)」と言われたことも。

さて今回20年ぶりに訪れたシンガポールは、大都会でした!

シンガポールではアラブストリートに近い場所にあるホテルとオーチャード通り辺りのホテルに泊まったのだけれど、どちらも近くにモールのようなショッピングセンターが幾つもあって、平日でもとにかく人出が多く大賑わいでした。これだけの人が毎日毎日買い物や飲食をしているというのは、経済が上向きな証拠なのでしょう。20年前には見た覚えのない高層ビル群や整備された公園など、発展している国というのは20年でこんなにも変わるものなんだなと感じました。そうそう、20年前はまだあの有名なマリーナベイサンズがなかったんですよ。

さて、初日はシンガポールに着いたのがすでに夕方で、ホテルにチェックインしてから軽く食事をして早々に寝てしまいました。

翌朝はホテルで朝食を済ませて、また空港に向かいました。チャンギ空港に隣接する施設「Jewel」内の巨大な滝を見に行くためです。というか、その日のメインイベントに向かう通り道だったということもあるのかな。今回の旅行も娘がほとんど計画して、私は彼女のあとを付いていくだけという恰好でした。

 

 

 

周りを囲む壁には熱帯の花や植物が植えられ、5階ぐらいの高さから階段や通路を伝って下に降りられるようになっています。その真ん中には天井から水が落ちる圧巻な滝があります。娘もここは初めてとのこと。フライトの発着時についでに見ればいいのかもしれませんが、出発前や到着後はバタバタしていることが多く、そんな余裕はないかもしれませんね。

午後はフェリーに乗ってウビン島という小島に渡りました。フェリーというと聞こえはいいけれど、釣り船みたいな船で、乗船客も私たちを含めて10人ほど。出航時刻というものはなく、乗り場に10人ぐらい集まらないと船は出ないようでした。

20分ぐらい(うろ覚え)船に揺られていると、島に着きました。海の上からはすぐ近くにマレーシアが見えます。港の近くにある貸自転車屋さんでレンタサイクルをして、島の中を自転車で駆けまわりました。島を縦横する舗装された道や砂利道ではほとんど車に出会うこともなく、近くの石切り場に出入りすると思しきトラック何台かとすれ違っただけでした。道のまわりは背の高い木々や熱帯植物が生い茂る森で、聞こえてくるのは、キーキーと啼く鳥の声と木の葉が風でさらさらとそよぐ音ばかり。途中で同じように自転車に乗った観光客数人に会ったけれど、それ以外は私と娘の二人だけの世界でした。上り坂ではふうふう言いながらペダルをこぎ、下り坂はブレーキもかけずに猛スピードで駆け下りました。そうしているうちに島の対岸についてしまい、そこからは来た道を戻るしかないらしく、猛スピードで下りて来た道を、今度は懸命にペダルをこいで上がって行きました。すると雨が降ってきたので、道端に設置されている屋根付きの休憩所のような場所でしばらく雨宿り。シンガポールはちょうど雨季で、滞在中は一日に何度も短い雨が降ったりやんだりしていました。

夕立のように激しく降る雨が熱帯植物の大きな葉を打ちつける様子を見ながら、モームの「雨」を思い出しました。あれは南太平洋のどこかの島の話だったけれど、あの雨もそのときに私が見ていたような熱帯の激しい雨だったのかな、と。若い頃にこの短編を日本語訳で読んだ時には結末がさっぱり分からなかったのだけれど、今回の旅行から帰ってきて英語の原作を読んでみたら、結末を示唆するような遠回しな表現があちらこちらにあることに気付いて、結末が分かったような気がしました。(検索すれば、結末が何を意味しているのかという解説があるとは思うのだけれど、それは敢えて見ないことにします)

雨が止み、また来た道を戻って行くと、道端に何匹かのお猿がいました。親猿もいてちょっと怖いので私はゆっくりと通り過ぎたのだけれど、森の中からはキーキーと騒ぐ相当数のお猿の声が聞こえてきます。バナナの木もあったみたい。ある程度の距離を置いて振り返ると、私の後ろから来た娘がお猿のすぐ横で写真を撮っています。えっ、お猿の大群が襲ってきたらどうしよう。私が助けに行かなきゃいけないの?いやだー、早く来て~。そんな私の心配をよそに、娘は悠長に写真を撮っています。私はじっとそこで娘を待っていました。しばらくして娘が私の横に来て、

「ベイビーがいたよ、親猿のお腹のところに。見た? モンキーにもカンガルーみたいにお腹に袋があるなんて、知らなかったなー」

と言います。

あのー、モンキーは有袋類じゃないから袋はありません。しがみついていただけです。

娘ちゃん、ときどきこういう天然発言するのよねぇ。

 

こうして島の中を3時間ほど自転車で走りまわったのでした。岸辺のマングローブの林にはワニもいると聞いていたのだけれど、幸か不幸か遭遇することはありませんでした。何があるという訳でもない島で、自然の中を自転車で走りまわっただけなのに、なんだかすごく楽しかった。シンガポール観光というと都会的なことばかりのようなイメージだけど、こういう楽しみ方も新鮮でした。(つづく)

2025年2月4日火曜日

浦安/シンガポール/横浜 浦安編

 

112日から22日までの10日間、日本とシンガポールに旅行に行ってきました。

うちの娘は毎年、自分の誕生日のあたりに旅行に出かけることにしていて、昨年のメキシコシティーに引き続き、今年も私が同行させてもらえることになりました。彼氏のH君はスイスでのマラソンで有給休暇を使い果たしてしまったそうで、今回は残念ながらお留守番でした。

今回の旅行先は日本経由のシンガポール。娘は昔からシンガポールが大好きで、今回は6度目の訪問だそうです。せっかくそちらのほうに行くのだから、日本にも寄っていきましょうということになり、日本に3泊、シンガポール5泊、機内1泊、日本1泊という予定をたてました。ハワイから来る娘とは羽田空港で落ち合うことに。

ところが、いざ出発の日、降雪で私のフライトがキャンセルになってしまったのです。最寄り空港の午前中の便はすべて欠航のため、メジャーな空港のどの日本行きの便にも当日は乗り継ぎができないとのこと。ふぅぅ、なんてこと。

 

仕方がないので、その旨を娘に連絡して、翌日の便で向かうことにしました。ラッキーなことに、日本行きの便では3席の座席一列独り占め。10数時間のフライトで、これはかなり嬉しい。

日本滞在はなぜか浦安です。娘のホテルの特典か何かで部屋のアップグレードができることと、空港からホテルまでリムジンバスで移動できるということが理由のようです。浦安といえば東京ディズニーランドですが、実際に私たちの泊まったホテルにもいわゆるインバウンドのカップルや家族連れの宿泊客が多く見られました。

 


私は浦安と聞くと、槇村さとるの「半熟革命」というマンガを思い出してしまうなぁ。昭和のちょうどバブル期の頃のマンガです。東京に憧れて原宿あたりのファッション系専門学校に通うことになったハナちゃんは、浦安を東京だと思い込み、大きな一軒家を格安な家賃で借りるのだけれど、外国に住んでいるはずの大家さんが何かの手違いで戻ってきてしまい、同居する破目に。ハナちゃんは浦安が東京でないことを嘆き、和食と浦安をこよなく愛する大家のジロさんをダサいと軽蔑するのでした。でも実際、ジロさんはハナちゃんの憧れを想像以上に超えたスゴい人だったのです。そしてハナちゃんの心も次第に変わっていくというお話です。ハナちゃんが想いを寄せるカズオ君はイアン・マッカロクがモデルかな。そういう時代でしたね。

今回私たちが泊まったホテルは新浦安地区というところにあって、新しいマンションやホテルが立ち並び、道も広くきれいで、新しい街というイメージでした。昼間も人が少なく、閑散とした感じでした。「半熟革命」の舞台の猫実町というところにも行ってみたかったけれど、今回はフライトがキャンセルになって1日削られてしまったこともあり、叶いませんでした。娘は1日目はニューヨークの友達が表参道で開いていた家具の展示会に行ったそうです。

翌日はホテルで朝食を済ませて(私は和食ばかりをいただきました、白米が美味しかった~)から「ららぽーと」というショッピング・モールへ。あれもこれもお買い物をしたかったのだけれど、翌日のシンガポール便にはスーツケース1個しか預けられないことになっていたので、ここでお買い物をしてしまうと、シンガポールでは何も買えなくなってしまいます。ここは見るだけにして、最終日に買うものをチェックしました。ブックオフに買いたい本がたくさんあったのだけれど、本なんて重くてとても買えません、泣。「ららぽーと」はちょっとアメリカのモールみたいな造りでした。この日は平日だったからなのか、アメリカのようにモール文化は衰退しているのか、人はまばらでした。

お昼はモール内の大戸屋で食事を。娘はアジフライ定食(シブい)を、私はお豆腐のサラダのような定食をいただきました。二人でお腹いっぱいに食べて2000円ちょっとくらいでしたが、後でカードの明細を見てこれまたびっくり!なんと2人分、$13ぐらい。円安のおかげですが、アメリカではアジフライ定食だけでも13ドルではとても食べられません。アメリカ人向けの不思議な巻き寿司(裏巻きでマヨネーズや辛いソースやウナギのたれが大量にかかったシロモノ)1本が13ドル以上しますから。今後アボカドに関税がかかると、もっと高くなるでしょうね(あんなものが、という比較対象であって、私は食べませんが)

翌日はもうシンガポールへ出発です。

搭乗ゲートの壁には、今永くんが。


この方々も 



100万年ぶりくらいに全日空便に乗りましたが、機内食が天丼だったのには感動しました。もう100万年もアメリカ系航空会社の便にしか乗っていなくて、その機内食にはがっかりさせられることばかりなので。

そうして無事にシンガポールに到着しました。つづく(本当に?)