2024年2月29日木曜日

メキシコ・シティー 2日目

到着日は3人とも朝が早かった(H君は夜行便)こともあり、究極に疲れていたので、ホテルのレストランで簡単に夕食を済ませて、夜の9時前には寝てしまいました。

滞在したホテルはコンデサというちょっとお洒落な地区にあり、ホテル自体もモダンかつメキシコシティ特有のカラフルさを基調としたインテリアで、ヒップスター御用達という感じでした。部屋にはなぜかレコードプレーヤーが置かれていて、LP盤が2枚用意されていました。一枚はメキシコ音楽のレコードでしたが、もう一枚がなんとエコバニ(Echo & the Bunnymen)だったという…。あれー、これは我が家のどこかにもあるんじゃないかなー。40年近い時を経て(恐ろしや)、こんなヒップなホテルに置かれているということは、私のテイストも捨てたものじゃないじゃない!? H君が面白半分にレコードをかけたので、♪The killing moon~♪と私が口ずさむと、H君は「え?この曲、知ってるの?(What?You know this song?)」と驚いているので、ふふん、とふんぞり返って、「もちろん!」と答えたのでした。伊達に長生きしてません。まぁ、どうでもいいことなんだけど、エコバニのレコードを見てちょっと興奮しちゃいました。

 

さて、2日目はさっそく娘がメキシコ・シティーで一番行きたかった場所に向かいました。メキシコ・シティーと言ったら、やっぱりフリーダ・カーロです。彼女が実際に住んでいた家が博物館になっているので、コヨアカンという街に出かけました。と、ところが、入場券はすでに数日先まで売り切れというではないですか。なんということでしょう。せっかくここまで来て、中に入れないとは…。まるでバチカン美術館の悪夢の再来(日曜日は閉館で入場できなかったのでした)。

 

入れないものはしょうがない、と気を取り直して、コヨアカンの街並みを散策することに。コヨアカンってどこかで聞いたことのある名前だなぁ、アステカの本に出てきたんだったかなぁ、と思い、ホテルに戻ってからKindle版の本の中で「Coyoacan」を検索すると、コルテス率いるスペインの侵略者たちが最初に入居した土地がコヨアカンだったという文章が出てきました。なるほど、街の中心部には大きな教会があり、まわりの建物もスペイン風で、ヨーロッパの街を歩いているような錯覚を起こします。コヨアカンとはアステカの言葉、ナワトル語で「コヨーテのいる場所」という意味なのだそうで、公園の噴水には2匹のコヨーテの像が。フリーダもこの辺りを歩いたりしていたのかもしれませんね。





 

そしてこのコヨワカンには大きな市場がありました。野菜や魚介類やお肉などの生鮮食品はもとより、織物やガイコツの置物やメキシコの特産品などが所狭しと並べられています。飲食店もたくさんあって、私たちはトスターダ(パリパリに焼いたコーントルティアに様々な具材をのせたもの、好みのソースをかけて食べる)をランチに食べました。メキシコで食べたお料理全般に言えることなのだけれど、何を食べても塩加減が絶妙で、しょっぱすぎるということがないのです。アメリカで外食をすると、何でも塩分が濃すぎて、素材の味が全然しないんですよねぇ。メキシコの食文化は、私が経験した限りでは、アメリカとは比べ物にならないくらい優れていました。



 

コヨアカンを後にして、フリーダ・カーロと彼女の夫で画家でもあったディエゴ・リヴェラの共同スタジオ(アトリエ)に行ってみることにしました。こちらはUberで移動。この辺りもまたお洒落な街並みでした。


 






後日出かけた別の美術館の写真展で、フリーダ・カーロがこのサボテンの前に立っている写真を見ました。

 

夜は覆面プロレスとやらを見にいくというので、市の中心部に移動しました。なんでまた覆面プロレスなんて、と思ったのだけれど、メキシコ・シティーの名物エンターテイメントなんだそうです。

まだ少し時間があったので、その前にあたりを散策しました。ここはアステカの首都、テノチティトランの中心地で、もともとはアステカの神殿などがあった場所です。スペイン人の侵略でアステカの建造物はすべて取り壊され、跡地に修道院やスペイン風の建物が建てられたといいます。近年はアステカの神殿の一部の発掘が行われているようですが、スペインの建造物もすでに歴史の一部となっている今、アステカの神殿の完全復元はできないでしょうね。


(発掘中の遺跡)

そして、覆面プロレス。案内されたのはなんとリングサイドの最前列。私はプロレスに興味もなければ、テレビで見ることもないのだけれど、せっかく来たのだし、もうこんな機会は二度とないかもしれないから、楽しむことにしました。なかなか迫力がありましたよ。リング上からレスラーが次々と落とされて、私たちの席の方になだれ込んできたり、女性レスラーが目の前を通って入場したり…。私一人だったらプロレスを見ようなんて思いもしなかっただろうけれど、こういうのも旅の面白さなのかもしれませんね。





 

2024年2月27日火曜日

メキシコ・シティー

2月16日から22日まで、メキシコ・シティーに行ってきました。いやー、楽しかった。

娘とH君とはメキシコ・シティーの空港で落ち合うことになっていました。娘は前日にテキサス州のヒューストンで一泊してからメキシコ入り、H君はハワイからヒューストン経由で娘と一緒にメキシコにやってきました。私の便はシカゴ経由。シカゴからのフライトは予定より1時間ほど長くなるとアナウンスがありました。なんでもメキシコ・シティーの近くの山で火山活動が活発になってるとのこと。えー、地震なんかが起きたら厭だなぁ、とちょっと不安になりました。メキシコ・シティーはもともと湖だったところの水を抜いてできた都市なんだそうで、地盤が緩いらしいのです。

滞在2日目か3日目にUberで移動中、急にどこかでサイレンのような音が鳴り出して、交通がすべて止まり、沿道に人が大勢集まり始めました。私たちは何も分からずに車の中でキョロキョロしていると、運転手さんがちょっと困ったように「Habla Espanol?(スペイン語を話しますか?)」と訊いてきました。幸い、我らがH君はスペイン語が堪能なのですよ。運転手さんが説明してくれたところによると、どこかで地震が起きて、建物の中にいる人は全員屋外に出ないといけない決まりなんだそうです。車の中だったからなのか、私たちは揺れをまったく感じませんでした。調べてみると、震源地はずいぶん遠い、カリフォルニアに近い場所で、マグニチュード4.7。日本だと日常的な地震だと思いますが、メキシコ・シティーは1980年代に大きな地震で壊滅的なダメージを受けたことがあるそうなので、警戒には慎重を期しているのかもしれませんね。

到着日と翌日は曇天でホテルの窓からの景色もどんよりしていたのだけれど、ある時ふと窓の外を見ると、冠雪の山々が出現していました。もしや、あの山のどちらかが例の火山なのでは…と調べてみると、案の定、右側の山がポポカテペトル火山でした。薄い雲のようなものが見えるけれど、噴火しているようには見えません。


 

ところが、数日後、またふと窓の外を見ると、こんなことになっていました。最初は小さいモクモクだったのが、数分後にはこんなに高くまで噴煙が上がっていました。

 

と、ここまでは日曜日(一昨日)に書いたのだけれど、例のマラソンを3週間後に控えているため、日曜日はロングランに出かけなければならず、帰ってきたら続きを書こうと思っていたのです。ところが、ランニングから帰ってきたらインターネットが使えなくなっていて(プロバイダーの過失)、接続できない状態がなんと24時間も続きました。そんなわけで、このブログも放置状態のまま、庭仕事などをしていたのでした。冬も(いや、特に冬は)庭木の剪定など、いろいろとしなければならないことが多いもので。

ということで、メキシコ・シティーの話は小出しにすることにしました。(本当に書くのか???)

ところで、ランニングといえば、メキシコ・シティーでもホテルの近くの公園で少し走りました。マラソンが近いので、1週間も走らないのは不安だったのです。同じくH君も近くハーフマラソンを走る予定があったので、日曜日の朝は二人ともランニングに出かけました。

メキシコ・シティーでは日曜日の一定時刻にレフォルマ通りという大通りを市民に開放して、歩行者やランナーや自転車のみの通行になるのだそうです。ホテルからレフォルマ通りまでは3kmぐらいの距離で往復するだけで6kmになってしまうので、私はそこまで長く走るつもりもなかったから近所の公園に向かったのだけれど、H君は20kmぐらい走る予定とのことでレフォルマ通りに出かけていきました。

近くのパルケ・メヒコ(Parque Mexico)は公園をぐるっと囲む車道の中央(分離帯)にウォーキング/ランニング用の小径があって、多くの市民や私のような観光客が歩いたり走ったりしていました。

いつものようにゆるゆると走り始めると、胸が痛くなるほど呼吸が苦しくなって、そんなに速く走っているような感じじゃないけどペースが速くなっているのかなとガーミンで確認すると、とんでもない、いつもより30秒から1分ぐらい遅いペースです。ええっ、なんでこんなに苦しいの? 旅の疲れかしら?水曜日から走ってなかったから?あ、シューズが違うからかも。いつもなら1kmも走れば呼吸は安定するのに、呼吸はちっとも楽になりません。仕方がないからさらにペースを落として、走っているのか歩いているのかわからないような感じのまま10kmほど走って、ホテルに戻りました。

シャワーを浴びて、娘とホテルの朝食に向おうとしたら、ランニングから戻ってきたH君とホテルのロビーで会いました。顔面蒼白で、「吐きそう」と言っています。H君は部屋に戻り、私たちは朝食に。

朝食後、部屋に戻ると、H君がやはりランニングがきつくて、10数kmで走れなくなったと言っていました。「標高のせいかも」というH君の言葉を聞いて、メキシコ・シティーは標高が高いことを初めて知りました。ホテルの部屋からの眺めも見渡す限り平野なので、高い所にいるという感覚がまったくなかったのです。

ガーミンのアプリに出てくるElevation(標高)を見てみたら、ひゃー、2235m-2248mになってます!これって、富士山5合目(2300m-2400m)ぐらいの高さです。5合目って下に雲海が見えるんですよ。苦しいわけだ!図らずして、高地トレーニングなんぞをしていたんですね。(ちなみに、我が家のまわりは1m-6mぐらい)

 

しかし、富士山5合目相当の盆地からあれだけ高く見えるポポカテペトル山はいったいどのくらいの高さなんだろう、と調べてみたら、5426mだそうです。あっぱれ。

2024年2月11日日曜日

忘れていた音楽

 

先週は激しい頭痛で3日ほど寝込んでおりました。

日曜の夜にテレビでグラミー賞なんぞを見ながら赤ワインを少し飲んだから、二日酔いだったのかとも思うのだけれど、グラスに数センチ程度注いだだけの量で二日酔いになるとも思えないのですよね。でも頭痛や吐き気という症状は二日酔いにそっくりで、私は寝込むと何も食べられなくなる質なので余計に衰弱するという負のスパイラル。さすがに3日目には吐き気を抑えつつ軽い食事をして少し動けるようにはなったのだけれど、頭痛は一向に治まる気配がありません。変だなぁと思いながらも、3日ぶりにコーヒーを飲んだら、ものの10分もしないうちに頭痛がスーッとひいていくのがわかりました。え“え”っ、まさかこの頭痛はカフェイン禁断症状だったの?

3日も何も食べずに寝込んでいたせいで立ち眩みがするほど弱ってしまったのだけれど、ワタクシにはそんなことをしている余裕はないのでした。何を血迷ったか、3月に地元で開催されるフルマラソンにエントリーしているのです。もう1ヵ月ちょっとしかありません。本当ならば今頃は週末に20km30kmを走り込んでいなければいけないのに、今頃になって体調は崩すは、来週は旅行に出かけるは、で不安は募るばかりです。

ハワイから帰ってきた頃に、地元のマラソン主催団体がフルマラソンの3か月トレーニングプランをメールで送ってくれました。週3日のプランで月曜と土曜はスローラン、水曜日は「プログレッシブ」ランで少し速めのペースで走ることになっています。速めのペースはなかなか自分ではコントロールできないので(すぐに苦しくなって止まってしまうから)、レクセンターのランニングマシンでペースを上げて走ることにしました。そこで最近使っているのが、こちら(↓)

 


これ、何か分かりますか? お若い方は知らないかもしれませんが、iPhoneが世に出る前にiPodというものがあったのですよ。この中に何千曲もの音楽を保存できるという、当時としては非常に画期的なアイテムでしたね。私がランニングを始めた頃はもっと安価なMP3プレーヤーを使っていましたが、いつの頃からかこのiPod Nanoになり、そのうちに走りながら音楽を聴かなくなってしまいました。このiPod、もう何年も電源を入れたことがなかったのだけれど、ずっとパソコンデスクの隅の方にちょこんと置かれていたのです。昨年、ふと思い立って充電してみたら、ちゃんと電源も入るし、音楽も聴けることがわかりました。「Running」というプレイリストもそのままで、十数年ぶりに聴く曲もたくさんあって、昔走っていた海岸沿いの道路の風景がよみがえってきました。いやー、男らしい曲ばっかりだ!(???)

ただ、このiPodはまだBluetoothがなかった時代の製品なので有線イヤフォンしか使えず、走っているときにワイヤーが邪魔になるのが難点だったのです。そこでBluetoothアダプターというものを購入して無線イヤフォンで聴けるようにしました。ランニングマシンは本当に退屈だから、これが使えるようになってよかった。スマホでSpotifyを聴いていてもいいのだけれど、ランニングを始めた頃に聴いていた曲というのが今は新鮮なんです。“I will go on until the end(Breaking Benjamin)”とか、“Falling is easy, it’s getting back up that becomes the problem(Staind)”などと、鼓舞してくれるから。これで来月のフルマラソンも少し楽しみになってきました。「Running」プレイリストには10+時間分の曲が入っているから、フルマラソンでも大丈夫。というか、マラソンの制限時間は7時間ですってば。

先日のグラミー賞でトレイシー・チャップマンが、彼女の曲をカバーした何某というカントリーシンガーと一緒に「Fast Car」を歌っていたのだけれど、その後、その曲が売れに売れているという記事をどこかで読みました。

 


この曲は80年代の終わり頃にラジオでもMTVでもヘヴィロテで流れていて、いまでもラジオで時々かかるけれど、確かに今の40歳以下の若者たちは知らないかもしれませんよね。結構カバーされていたりもして、さっきちょっと見たら、ジャスティン・ビーバー版がありました。私が好きなのは、Vertical Horizonというバンドのライブ・カバー・バージョンで、ずーっと昔にある人にシェアしてもらったMP3を持っていました。もう忘れていたのだけれど、グラミー賞を見て思い出して、iPodのリストを見たら入っていました。懐かしいなぁ。(音声のみ↓)


 

2024年1月26日金曜日

おひとり様でP&Q

 

 

 先週のマイナス気温から一転して、今日は気温が76℉(25℃近く)まで上昇しています。外は春のような陽気で屋内の暖房も入らないから、窓をあけて換気をしています。今朝ふと庭の隅を見ると、水仙の葉がニョキニョキと現れて、花芽まで付いていることに気付きました。

さてさて、ワタクシ、只今ひとりでP&Q(Peace and quiet)を満喫しております。数日前から夫がプライベート(野球関係のお楽しみ)でニューヨークに1週間ほど出かけていて、息子とSちゃんもお友だちの誕生日のお祝いにお隣の州に出かけてしまいました。 いやー、久しぶりの独身生活、楽しいなぁ。

さぁ、何をしようか…と思って始めたのは、キッチンの掃除。どうして?

そして今朝は米麹づくりを始めました。以前、戴き物の米麹を使って共麹を作ったことはあったのだけれど、 あまり上手に出来なかったので麹菌を購入して本格的に作るつもりでいたのです。でも、初心者だからそれぞれの工程に集中しなければいけないのが面倒で先送りしていました。家族が留守の今なら、家事をしなくてもいいから、作るなら今しかないと思って始めました。アタフタして写真を撮る余裕なんてまったくなかったので、電気毛布で保温中の姿を…。

 

 今週は私もあまり仕事が入っていなかったので、夫と一緒にニューヨークに行ってもよかったのだけれど、今回は日本から夫の友人が来ていろいろなスポーツイベントに出かける予定だと言うので、まあ、ブロマンスの邪魔をしてはいけないなと私は家に残ったのでした。

案の上、夫たちは昨夜はプロバスケ(New York Knicks)の試合に出かけたそうで、「近くの席にダラス・カウボーイズのチアリーダーが座ってた」と嬉々としてメッセージを送ってきました。「(友人の)Y(さん)が喜んでた」と言うから、「いや、アナタもでしょ」と思ったんだけど、That's great!と返信しておきました。まぁ、今に始まったことじゃなく、日本でも横浜スタジアムに友達と出かけると、ビールの売り子さん(と言うのかな)と仲良くなったというような話ばかりで、肝心の試合の話をあまり聞いたことがないという。くくく。

私は私で、来月に旅行の予定があるのです。誕生日ということもあり、娘と彼氏のH君が私を旅行に連れて行ってくれるのですって。でも、行先は娘が決めるのです。というか、もともとは二人の旅行の予定だったのだけれど、ちょうど私の誕生日の頃だから一緒に行こうという話になったのでした。どこに行くかというと、外国です。「海外旅行」じゃないのは、海を渡らないから。というと、カナダかメキシコしかありませんが、今回はメキシコの首都、メキシコ・シティに行ってきます。

メキシコ・シティと聞いた時、ふうむ、そこには何があるのだろう…とちょっと戸惑いました。メキシコのことなんて、何にも知らないな、と。娘たちのあとを付いて行けば、美味しい物も食べられるだろうし、素敵なものやキレイなものも見られるに違いないけれど。

ずっと前にソウルに行った時も、その頃は韓国ドラマも見ていなかったし、ハングルだって読めなかったし、歴史も知らなくて、ただただ観光名所を訪れただけだったのだけれど、今思えば、国立中央博物館には少し前に「風の絵師」というドラマで見た金弘道(キム・ホンド)の本物の絵があるのに、当時は何も知らずに前を通り過ぎていたんだろうな、と思ったりするのです。

だから、今回はメキシコについて少しでも知識を得て行こうと思ったのでした。最初にHistory of Mexicoという教科書のような本を図書館で借りて、とりあえず歴史の概要を学び、次に「古代マヤ・アステカ不可思議大全(芝崎みゆき著)」という本を読みました。これが、とっても面白い本でした。昔なつかしいガリ版刷りのような手書きの文章とイラストで、マンガのようでもあるけれど、内容は史実をもとに詳しく説明されています。マヤ文明についてもアステカ文明についても私は何も知らなかったけれど、旅行の基礎知識としてはこれ一冊で十分かもしれません。興味のある方にはオススメです。

   古代マヤ・アステカ不可思議大全  Fifth Sun: A New History of the Aztecs

そして今読んでいるのは、「Fifth Sun」(by Camilla Townsend)という、スペインの侵略者たちがやってくる前後の出来事をメキシコの先住民の記録から検証したという本です。これは購入した本だから返却期限がないので、ちっとも進みません。ちなみに、アステカ文明ではこれまでにある周期を経て4回太陽が消滅し(すなわち人類も)、今私たちは5つ目の太陽の下に生きていることになっています。この5つ目の太陽が消滅する日は分かっていないものの、地震が原因となるとはっきり伝えられているそうですよ。

そして、今まで韓国ドラマを観ていた夜の時間には、Great Courses というレクチャーシリーズで30分程度の講義が48回分もあるマヤ・アステカ文明の講義を視聴しています。これは本当は有料の講義なのだけれど、Kanopyという図書館の映像配信アプリで無料で見られます。Great Courses には他にもいろいろな講義があって、これを使わない手はないな、と思いました。メキシコ文明の権威ある大学教授の一般人向けのレクチャーなのだけれど、かなり詳しく説明していて(48回もあるので)、その多くが前述した「古代マヤ・アステカ文明不可思議大全」とオーバーラップしています。

と、私のひとときの独身生活はメキシコ一色なのでした。

2024年1月22日月曜日

寒波到来

 

寒いです。数日前から朝の気温がとうとう氷点下になりました。この冬、アメリカ東海岸にはすでに何度も冬の嵐がやってきて、幸いこの地域ではまだ雪は降らないものの、もう少し北の方に行くと大雪で交通機能が麻痺したり、人的被害も発生しているそうです。

我が家の畑の野菜はすべてガチガチに凍ってしまいました。触るとポキっと折れてしまいそう。これまでに何度か霜に当たったときには、気温が上がるとまた元気になっていたのだけれど、今回はどうでしょうか。ルッコラはかなり丈夫で放っておいても冬を越すと言うし、小松菜やホウレンソウは‐15°まで耐えるそうで、むしろ寒さに当たったほうが美味しくなるのだそうです。凍って枯れないように必死に糖を作るのだとか。素晴らしい生命力です。でも、連日のマイナス気温には耐えられるのかなぁ。天候に関しては私には何もしてあげられないから、毎朝「がんばれー」と声をかけてあげるだけです。本当かどうかは知りませんが、植物には人間の声が聞こえているというから。

そういえば、コロナ禍で2年近く留守にしていたこの家に帰って来た時、室内のモンステラが可哀想な姿になっていました。息子が水遣りをしてくれなかったから。小さな葉が2枚ぐらい残っていただけだったのだけれど、私が水遣りを再開したら、また新しい葉が出てくるようになりました。ある日、Sちゃんがそれに気づいて、「わぁ、こんなに戻ったんですね」と言うから、モンステラに私の声が聞こえて「わーい、あの人(水遣りをしてくれる私)が帰ってきた!」って喜んでるんだよ、「でも、まだあいつ(水遣りをしない息子)の声もする」ってきっと思ってるよ、という話をしたのでした。

 

寒波が来る前に大根をすべて収穫しました。大根は水分が多いから地上に出ている部分が凍るとそこから腐ってしまうというし、あまり長く放っておいても、スが入って美味しくなくなってしまいそうだったから。

赤い大根はチャイナローズという品種で、実はスプラウト用の種ミックスの中に入っていた種を植えてみたものです。それにも2種類あって、一つは少し紫がかった赤で長いものと、二十日大根(ラディッシュ)が巨大化したような真っ赤なもの。二股に分かれてしまったのが紫系の紅大根で、これは路地植えであまり長くならなかったけれど、以前収穫した袋栽培のものは、長くてきれいな色でした。

丸い大根は紅芯大根。英語では緑の縁と赤い中心がスイカに似ていることからウォーターメロン・ラディッシュと呼ぶようです。よくサラダなどに使われていますね。採りたてをスライスして食べてみたら、甘かった!

 

そして、青首大根。大根よりも葉の方が立派に育ってしまったのは、土壌の窒素過多でしょうね。来年は肥料少なめにしないと。大根は袋栽培のほうがきれいにできることがわかりました。あと、知識不足でオクラの後に大根を植えてしまったため、路地植えの大根は表面にセンチュウの被害と思しき傷がついてしまったのが残念。センチュウが嫌がるというマリーゴールドをすき込んではおいたのだけど。野菜作りは日々学習あるのみ、です。

先日、銀色夏生さんという人の「自然農一年生 畑は私の魔法のじゅうたん」という本を読みました。著者の名前はどこかで聞いたことがある程度にしか知らなかったのだけれど、80年代や90年代に作詞家として数々のヒットソングを手掛けてきた人だったんですね。その後も作家としてたくさん本を出版されているようです。この本は、ご自身のお子さんが独り立ちする機に、東京を離れて九州のご実家の近くで自然農の畑を始めて、それを食する日々を綴ったエッセイです。

そのきっかけとなったのは、自然農園を営んでいる方が配信しているYouTubeの動画だったそうで、そこで紹介されていた言葉に共感して自らも自然農の畑で野菜を栽培することにしたといいます。

「野菜がわずかな量しか採れなくても、そこに質の高い生命(いのち)が凝縮していると捉えればいい。私たちの身体と心が質の高い生命を取り入れれば、ほんの少しの量で、健康で楽しくいきいきと生きていける。・・・」

野菜の生命力をいただいているという感覚、これは私も共感します。寒さで凍てついても枯れないように一生懸命に糖を作る野菜を食べてしまうことが申し訳なくて、一株まるごと収穫するのではなく、外側の葉から大事に大事に切り取ったり、根菜は葉も無駄にせずに食べたり、と。そして、この本の著者が野菜の成長を楽しみにして毎朝畑に足を運ぶ姿や、野菜の成長ぶりに一喜一憂する姿も、私自身の経験と重なって、うん、うん、と頷きながら読みました。

今週は少し気温が上がるというから、畑の野菜にはひと踏ん張りしてもらいましょう。 

紅大根の葉っぱの乳酸発酵お漬物 

 

2024年1月13日土曜日

スケジュール帳

 


ようやく、今年のスケジュール帳が届きました。

日本に住んでいたころ、毎年新年になると夫が取り引き先の会社からスケジュール帳をいただいていました。背表紙にはその会社の名前が刻印されていて、最後のほうのページには企業理念や行動基準のようなことが書いてあります。夫は、自分は使わないからといって、毎年それを私にくれるのだけれど、私にはスケジュール帳に書き込まないと覚えていられないような予定はほとんどなかったので、いつもどこかにしまったままになっていました。

ある時、ふと思ったのです。スケジュール帳という名前だから予定を書き込むものという固定観念があるけれど、予定じゃなくてその日にあったことを書き込んだらどうだろうと。時間割になっている部分には何時に何をしたと書き込み、メモ欄にはその日の体調や思ったことなどをちょこっと書いておきます。日記を書くとなると気張ってしまって何を書いていいのかわからないことが多く、私は日記が長続きした試しがありません。でもスケジュール帳にその日の出来事を書き込むだけなら簡単だし、そうして一日の出来事を振り返っているうちに、ああ、今日はこんなことを思ったんだっけ、と思い出したりします。それに、種蒔きをした日やお漬物を仕込んだ日のようにうっかり忘れてしまった日付を、後になって調べるのにも役立ちます。


こうして、数年前からスケジュール帳を愛用するようになったのだけれど、アメリカではそれまで使っていたようなスケジュール帳がなかなか見つかりませんでした。そこでいろいろ調べているうちに、先ほどの会社からいただいたスケジュール帳と同じブランドの別タイプ(といってもわずかな違い)のものがアメリカのアマゾンでも買えることが分かり、去年に引き続き、今年も同じものを購入しました。

商品が届き、スケジュール帳を開いてみると、背表紙の内側のカバーの中に名刺ほどの大きさの紙が入っていました。そこに書かれていたのは、

自分で自分を小さくしない。

いつもなら、行かない所へ。

いつもなら、会わない人と。

いつもなら、やらないことを。

はじめての何かに出会うたび

新しい自分が顔を出す。

意外と楽しい、意外と似合う。

自分らしさなんて、上書きすればいい。

あれれ、この前、わたし、そんなこと書きませんでしたっけ?