2023年3月3日金曜日

アテンション、プリーズ!

娘が送ってくれた日本のお土産の箱の中に、カエルの置物が入っていました。

昔、日本に住んでいた頃、よく行く駅ビルの中に「マライカ」というエスニックな雑貨屋さんがあり、そこで私がこの手のカエルの置物を気に入って買ったところ、毎年私の誕生日に子供たちがこのシリーズのカエルや猫やおサルの置物を少しずつ買ってくれるようになり、ちょっとしたコレクションになったのでした。

 

子供たちが中学生ぐらいの頃のことで、今ではそのカエルたちも箱に入ってどこかに仕舞われてしまっていますが、今年初めに日本に行った娘がどこかのお店で偶然このシリーズのカエルの置物を見かけて、懐かしくなって私に買ってくれたのだそうです。

お土産の箱が届いてしばらくはマントルピース(暖炉の上の棚)の上にカエルをちょこんと置いておいたのだけれど、ある日息子がカエルをあちこちに移動させ始めました。その都度、「お、今日はこんなところにいるね」と言っていたのだけれど、そのうちに姿が見えなくなり、「今日はどこにいるのかな」とかくれんぼのように探すような格好になってきました。最初のうちはすぐに見つかるような場所にいたのが、次第に難易度が高くなってきてちょっとやそっとじゃ見つかりません。私もそれほど暇じゃないからしばらく放っておいたら、ある日、夫が「今日はカエルはどこにいるんだ?」と訊くので、私は「知りません、もう探すのは疲れたので、しばらく放っておきます、そうすれば、無視されたと思って絶対に自分から出てくるから」というようなことを答えたのでした。すると、案の定、こんな分かりやすいところに出現しました。かまってちゃん、なのですよ。ぷぷぷ。


 

今日はこんなところに。

 

話変わって、昨日、パンがなくなってしまったので、また件(くだん)のピザ用の小麦粉でパンを焼きました。丸型のパンを作る時は発酵カゴに生地を入れて発酵させるのだけれど、焼く前にカゴをひっくり返して生地を天板に載せると、形が崩れてしまったり、衝撃で空気が抜けてしまったりするので、何かいい方法はないものかと考えたところ、フライパンにお皿をかぶせてひっくり返すのと同じように、何か板のようなものをかぶせてひっくり返せばいいんじゃないかと思いついたのです。そこで、まな板を使うことにしました。まな板の上にパーチメントペーパー(クッキングシート)を載せて発酵カゴにかぶせてからひっくり返して、パーチメントペーパーを天板にスライドさせるという計画です。

その通りに生地をひっくり返し、まな板ごと天板に載せて、さあ、まな板を取り出そうとした時、おっと、クープナイフを忘れていたと気付きました。引き出しからクープナイフを取り出して、慎重に慎重にクープを入れると、なかなか上手に切り込みが入りました。ホクホクしてパン生地をオーブンに入れて焼くこと40分。クープも開き、水分も抜けて、軽い仕上がりのパンが焼きあがりました。パンを持ち上げてふと見ると、パーチメントペーパーの下に何か白いものが。ぎゃー、プラスチック製のまな板を一緒に焼いちゃった!

こちらは、Pay attention, please!

9 件のコメント:

  1. 今日のタイトルを見て ふと昔子供の頃によく見てたテレビ漫画アテンションプリーズの話題かと勝手に思っちゃってました。笑
    まな板が溶けて形が変わってお餅みたいになってる~! もうこうなっちゃうとおさらばするしかないね。
    クープを入れるのに集中して パーチメントだけスライドさせるはずだったのをそのまま置いちゃったんだ。 でも Jさんでもこんな風にどじっちゃうことがあるんだなって思うと嬉しいな。 私達これから歳とともにこういう事も多くなってくるんでしょうね。

    カエルの置物、子供達はどこかでカエルを見ると、あ、お母さん好きだろうな!って思うんだろうね。 そういうのってすごく微笑ましいし、すごく好きだな。それにしても R君、遊び心いっぱいだね。なんだかクリスマスのElf on the shelfみたい。

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    1. 「アテンションプリーズ」と言ったら、空港でのアナウンスがまず思い浮かぶよね。そのことをちょっと念頭に置きながら、かまってちゃん(Attention seeker)なカエル(実は息子)の話題にしました。私は趣味や好みが変わっているから、子供たちはヘンなものを見ると私を思い出すことがあるんだって。そういえば、Sちゃんが「Elf on the shelf」みたいだって言ってました。

      まな板はやっちゃいました。まな板をはずしてからクープを入れることだってできたのにね。注意力散漫もいいところですよ。最近ね、昔はこんな失敗は絶対にしなかっただろうなということが増えている気がします。これからは何をするにも細心の注意を払っていかなければいけないんだろうなぁ。やれやれ、です。

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    2. 今朝、Ziggyさんのブログを読んで、今コメントしようとしたら、コメント機能がオフになっているのかな!? 私もZiggyさんと同意見です。私は福祉も民主主義も大切だと思うけれど、民主主義は結局多数決だから、政治家の観点からはどの層を優遇して、どの層の票を獲得するかしか考えていないんだろうな、と思ってしまいます。本当に国民のことを考えて行動している政治家はどのくらいいることやら。私も特にこのキャンセルカルチャーの風潮のなかでは否定的なことを書くのを躊躇うことがあるけれど、やはりこうした意見をはっきり書くことも大事なんだと思います。Ziggyさんのブログを読んで、知らなかったことを知った人も多いはずです。アメリカの大学では必ず教えているCritical thinkingやConstructive criticismとはこういうことなんですよね。

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  2. Jさん、実は私もカエルの置物いくつか持っているんですよ!笑 バブルヘッド様式で頭を振る感じの。もう20年くらい前に同僚からもらったものを気に入って 度重なる引っ越しで見えなくなったと思った時に お店で同じのを見つけて懐かしくて買ったら なんと失くしたはずのが出てきて 同じのが二つ 首を振ってます。
    私も 勉強してて集中力がかなり落ちたなって思います。歳をとるってこういう事なのかな。。。涙

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    1. カエルって愛嬌があってなんかかわいいよね。本物はイヤだけど。ふたつ並んで首を振ってる姿を想像しちゃった。笑

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  3. 度々すみません。今回の投稿は色々と考えた挙句、コメントをオフにすることにしました。。。というのも、まずポリティカルとか宗教とかのコンテントが入ってしまって こればかりは結構意見が分かれるし、私の独り言的な考えを書いたので 観も知らずの人にきついコメントをもらう事があったら お返事に困るなって思ったので。。。 ごめんね。
    私の思い違いかもしれないけどここ数年は特に リベラルとコンサーバティブ極端に分かれている気がして、それと同時に考え方も極端な人も増えて 特に若者の意見とか聞くと本当に驚きます(こういう書き方がもう 歳なんだよね~) もうちょっと お互いに寄り添いあって どこかで譲歩しあう事ができれば一番いいと思うんですけどね。 LAXの空港や各地の大学の女子トイレに Urinalが取り付けられ始めたようで、なんでわざわざ?って溜息しかでません。本当に、世の中の子供達の事が心配。ごめんね、もう愚痴始めるときりがない。

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    1. コメントがオフになっているのは全然オッケーですよ。私もきっとそうすると思う。Ziggyさんのモヤモヤする気持ちがよく分かるから、ここにちょっと書いておこうと思ったの。ここ数年で政治家ばかりじゃなくて国民も右と左に両極端に分かれてしまった感が否めないよね。中間がないというか。去年、「Death of Common Sense」という本を読んだの。1990年代に書かれた本で、法律のせいで世の中がおかしなことになってしまったということが書かれているのね。働かない人を解雇できなくなったとかね。今の世の中もそれに通じるところがあるなと思いました。

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  4. Jさん!私の友達もカエルを集めてます!
    ってえらく勢いついちゃったけども(笑)、昔アンティーキングを趣味にしていた頃にカエルをしばしば見かけたのでここでは何か意味があるのかなと思っていました。きちんとお座りしている様子が可愛いです。集まってると一際可愛い。息子さんはとてもお茶目さんですね。ほっこりしちゃいました。
    ちなみに、次女と私はブタを集めています。小さければ小さいほど可愛くて、古いブローチや昔のアメリカのガチャガチャ?に入ってたみたいな小さなフィギュアなどは可愛すぎて眺めているだけで幸せ。
    オーブンでぺちゃんこになったまな板が笑えました。
    というのもこれ、私も職場でやりました。笑
    サンプル分析のための器具を乾かすためのオーブンがあるのですが、高温オーブン不可の小さなプラカップが紛れ込んでいて、乾いたものを出す時に何やら変形したものが。
    謎解きしつつ溶けきったその姿に若い同僚達と大爆笑。
    おばさんもこういう間違いをするのかと思われたのか、その後は一気にみんなと距離が縮んで我ながらそれもおかしいです。
    キャラクターは変えられないのでこのまま生きます。苦笑

    こちらで失礼しますがZiggyさんへのコメントにあった本に興味が沸きました。図書館で探して読んでみます。
    90年代の本ということですが、人間根っこのところは変わらないのかも知れないですね。しかも現代はテクノロジーの進み方の方が速過ぎて、人間の精神性がそこに追いつくのに時間がかかっている気がしています。またどの辺りまで許容、容認する必要があるのか。
    私はまた最近になって歴史を再考する機会が訪れていて今はブッダについて読んでいるのですが、現代に当てはめてみて人間の面白味を見出しているところです。答えがでそうで出ない、だからまた戻ってみる、みたいな感じでしょうか。



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    1. ずっと昔にこのシリーズのカエルをお店で見かけて、愛嬌のある姿に一瞬で虜になりました。子供たちが買ってくれたカエルの中にはあんまり可愛いとは言えないものもあるのですが、それはそれでご愛嬌。「ブサカワ」と言うのかな!? Knotrieさんはブタさん派なんですね。ブタも可愛いものがいろいろありそう。こうした置物は、ちょっとしたものなんだけれど、ふと見た時に和やかな気分になれるのがいいんですよね。

      まな板はホントにドジなことをしてしまいました。他のことに気を取られているうちに大事なことを忘れてしまうということが最近増えていて困ります。Knotrieさんにも似たような経験があるんですね。ちょっと安心しました。あ、安心してちゃいけないか。笑 でも、こういうことで周りの人たちとの距離が縮むというのは微笑ましいです。

      「The death of common sense」はなかなか興味深い本でした。アメリカは誰もが知っている法律大国ですが、法律で物事を白黒はっきりと解決できる一方で、法にがんじがらめにされているが故に融通がきかないという一面を持つということを、様々な例をあげて示しています。今は90年代とは社会環境も変わっていますが、根本的なところはあまり変わっていないのかもしれません。目まぐるしく変わる環境に適応するのが難しいように感じるのは年齢的なものもあるのかもしれないと思いつつも、次々と現れる新しいテクノロジーは本当に必要な物なんだろうかと思ったりもします。
      歴史は私も興味のある分野ですが、仏陀や仏教についてはまったく未知の分野です。宗教というよりは哲学として読んでみたい気がします。なにかお薦めの本がありましたら教えてください!

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