2025年2月26日水曜日

Snow Day!


 雪が降りました! と言っても、もう一週間も前のことでした。

先週の水曜日のお昼ごろから降り出した雪は夜半まで降り続き、翌朝には30㎝ほど積もっていました。翌日も外の気温は氷点下のままで雪はまったく融けず、たいがいの学校やお店や会社はお休みだったようです。我が家では駐車スペース(driveway) だけは雪が凍ってしまうと大変なので雪かきをしたものの、家の前の道路の雪はガチガチに凍っていて外出は無理でした。そんな状態が土曜日まで続き、その間は家に閉じこもって、本を読んだり、Netflixを観たり。こういう時にこそ家の片付けなどをすればいいのに、ね。

これは雪が降る前だったかもしれませんが、この方たちがまた庭で暴れています。庭にこんなコンクリートブロックが置いてあるのも謎ですが(いや、理由はあるんです)、陽が当たるとブロックが暖かくなるのか、リスたちはいつもここにちょこんと座っています。この日はピーナッツなんか食べたりして。

このピーナッツも謎なんです。いったいどこから来るのか…。リスたちがどこかから探してきて、うちの庭や畑やプランターや土の入った袋の中に埋めていくのだけれど、その数が半端ないのです。畑や枯葉コンポストを掘り返すとピーナッツがゴロゴロ出てきて、プランターや土袋からは毎年いくつかが発芽して、放っておくとしっかりピーナッツが収穫できます。 発芽するということは市販の殻付きローストピーナッツではないから、どこかにピーナッツが植えてあるのかとも思うのだけれど、こんな住宅街にピーナッツ畑やピーナッツ農家はないし…。謎です。

そして、このヒョロヒョロしたものは何だと思いますか?(ピーナッツではありません)これはミカン(Mandarin)の種が発芽したものです。

昨年末にミカンを食べていたら、種がたくさん入っていたのです。そこで、カッターを使って種の固い皮をはがし、湿らせたペーパータオルに包んでから密封できるプラスチック容器に入れて、工具などが入っている真っ暗なクローゼットの中に入れておきました。別の日に食べたミカンにも種が入っていたので、3つほど同じように作りました。1週間ほどして開けてみると、短い根が出ています。3つの容器のうちのひとつにはカビが生えてしまったので処分しました。 その後、私はシンガポール旅行に行き、ミカンのことをすっかり忘れていたのだけれど、ある日急に思い出して容器を開けてみると、まるで大豆のモヤシのように白くヒョロヒョロした芽が出ていたのです。3週間ぐらい放置していた結果です。

それをペットボトルを切ったカップに植えて日当たりのよい室内に置いたら、白い茎や葉が次第に緑色になってきました。まだヒョロヒョロですが。


そして、さらに一週間後、有望選手が出てきましたよ~(上部左から3番目)。

最終的にいくつ残るかはわからないし(実生のイチゴは12株中1株でした)、ここの気候ではミカンは露地植えにはできないでしょうが、鉢植えにして室内に置けばいつかはミカンが収穫できるかもしれません。実生のミカンは収穫できるまでに10年ぐらいかかるとも聞きますが。


2025年2月18日火曜日

浦安/シンガポール/横浜 横浜編

 

 

シンガポールから羽田までは夜行便で、羽田には早朝5時半ごろに到着しました。リムジンバスで横浜駅のバスターミナルに向い、そこからタクシーで山下公園に近いホテルに直行。着いたのが朝の7時台だったのに、娘のホテルの特典ですぐにチェックインできました。二人とも飛行機の中でほとんど眠れなかったから、通常通りに午後3時ごろまでチェックインできなかったら、眠いままどこかで時間をつぶさなければいけなくて相当つらかっただろうと思います。チェックインしてすぐに2時間ほど仮眠をとりました。

横浜での滞在は一泊二日。翌日の夜には羽田からそれぞれ出発することになっています。時間がないので優先順位をしぼって、まずはまっすぐ横浜駅に向かいました。ホテルの窓からは懐かしい横浜スタジアムの一角が見えて、そちらにも行ってみたかったし、もっと時間があったら数年前に住んでいた家の近くにも行ってみたかったけれど、とにかくアメリカに持って帰るものやお土産を買わなければ。根岸森林公園ではアイスチューリップがきれいに咲いているだろうなぁ、と思いながら。

横浜駅ではまずランチを。娘のおススメのお茶漬け屋さんに行きました。私はシャケと高菜のお茶漬けと鶏の和風から揚げのセットを。ごはんをお茶碗によそって、具材を載せ、テーブルに置いてある刻みのりやあられやわさび漬けをトッピングして、ポットの出汁を注ぎます。出汁がよいお味で、美味しいお茶漬けでした。から揚げも大根おろしや青じそが載っているあっさり味で美味しかった。お高いキャベツの千切りも残さず食べましたよ。娘はお肉の載った丼のようなお茶漬けを食べていました。

 ランチの後は食材や文房具や洋服などのお買い物と、デパ地下でお土産のお菓子を買い、夕方にお寿司をたべてから、みなとみらいを散歩しながらホテルに戻りました。夫の昔の職場までの道筋の一部を歩いていて、なんだか時間がフラッシュバックしたような気がしました。ずっとそこにいたような…

翌日の午前中は娘と別行動。私はお買い物も済んだのでふらりと山下公園へ。横浜の1月、2月は快晴の日が多く、歩いていると背中に当たる日差しが暖かくて、大好きな季節でした。この日も透き通るような青空。

 
 
山下公園の氷川丸。私の祖父が終戦後に南洋から帰還した船だそうです。
 
あ、そういえばホテルの近くのコンビニに、こんなものが。
 

これ、私が子供の頃によく食べていたパンです。長野のご当地パンだとは知らずに食べていました。しかし、ずいぶん小さくなったような。この倍ぐらいの大きさじゃなかったかなぁ。それとも自分が小さかったから大きく見えただけ? 牛乳パンは、四角いパンの真ん中にクリームが挟んであるだけの素朴なパンなのだけれど、とにかく大きくて安いのが最大の取り得だったと思うのです。おなかを空かせた子供たちの最大の味方でした。今の私には糖質過多かもしれませんが、懐かしかったので買ってしまいました。
 
横浜滞在はあっという間に終わってしまいました。この日の夕方にはもうアメリカに出発です。
 
ちなみに、私は昨年の四月にグリーンカードの更新申請手続きを行ったのですが、まだ新しいカードが手元に届いていません。先日サイトで確認したところでは、私のカードはあと18ヵ月もかかるそうです。それまでは連絡してはいけないとも書いてあります。申請した時点で期限切れのグリーンカードを24ヵ月延長するという手紙が届いて、それがあれば国外に旅行もできるのだけれど、航空会社のアプリにグリーンカードの情報を保存できないから、オンラインのチェックインができず、毎回、航空会社のカウンターに出向いてチェックインをしなければなりません。だから空港には少し早めに行かなければいけないし、結構面倒です。 今の新政権の入国管理のゴタゴタで、もっと延びる予感もします。やれやれ。
 
あ、でも、いいこともあって、帰りの便もなんと3席一列独り占め。 ラッキー!
 

2025年2月13日木曜日

浦安/シンガポール/横浜 シンガポール食事編

 食事もシンガポールでの楽しみのひとつです。シンガポールはアジアのメルティングポットと呼んでもよいくらい多様な民族と文化が融合していて、それは食文化にも反映しています。

 最初に泊まっていたホテルの近くにあったお店で食べたワンタン麺。タイ風ということで好みでナンプラーやチリソースを入れるとのこと。私はあっさり味が好きなので、そのまま食べました。麺に青菜が入っているとは知らず、青菜の炒め物まで注文してしまいましたが、野菜が食べたかったので二人ですっかりたいらげました。
 

 リトル・インディアでのランチは、ビリヤーニ、パラク・パニール(ほうれん草とパニールのカレー)、ゴビ・パコラ(カリフラワーのフライ)。大きなお皿の上にはバナナの葉が敷いてあり、各自お料理を取り分けて食べます。本当は手で(厳密には右手で)食べるのが正しいのでしょうが、観光客が多いこのお店ではカトラリーが最初から置かれていました。

今でこそビリヤーニは日本でも人気ですが、何年か前に日本でビリヤーニが食べられるお店を検索したら、 横浜あたりでは一軒ぐらいしかなかったように思います。こちらのインド料理店でずいぶん前にビリヤーニを食べて以来、大好きなお料理です。でも、このリトルインディアで食べたビリヤーニはもっと本格的で、付け合わせの赤タマネギのヨーグルト和えがビリヤーニの辛さにマッチして本当に美味しかった。そしてカリフラワーもフライなのにまったく重くなく、いくらでも食べられちゃいそうな美味しさでした。

こちらはどこかのフードコートで食べた、なんとか麺。マレーシアのペナン島発祥の麺というようなことがお店の看板に書いてあったのだけれど、麺の名前を失念しました。最近、歳のせいなのか、外食をすると何でもしょっぱく感じるのだけど、この麺のスープは薄味で美味しかった。

 
 そしてこちらは、鼎泰豊(ディンタイフォン)。言わずと知れた小籠包で有名な台湾発祥のお店ですが、今回、鼎泰豊に出かけたのは、有名だからではなく、思い出があるからです。
 
20年前にシンガポールを訪れたときは、オーチャード通りのホテルに泊まっていて、ある日、夫と息子がホテルのプールに行っている間に、私と娘は近くに散策に出かけたのでした。といってもオーチャード通りは日本の銀座のような場所で、ウインドウショッピングぐらいしかすることはありません。そうしてふらっと入ったショッピングセンターの中に、ガラス張りの厨房が丸見えで、調理師が餃子やシュウマイのようなものを一つ一つ手作りしている姿や蒸籠からもくもくと蒸気が上がっている様子が通路から見えるお店があったのです。平日の午後でショッピングセンターにもそのお店にも人は少なく、 ぽつぽつと座っているお客さんのテーブルには何段にも重なった蒸籠が置かれています。それを見て、ちょっと入ってみようか、ということになったのでした。
 
メニューを見て、あれもこれも食べたくなり、小籠包や蒸し餃子や雲吞や中華まんなどを注文して、$20ぐらいで二人でお腹がいっぱいになるほど飲茶を満喫しました。美味しさはもちろんだけれど、その安さにも感動しました。

その時に鼎泰豊というお店の名前は覚えたのだけれど、有名なお店だったとは露知らず。しばらくして、英字新聞だったか、英語の記事だったかで、ニューヨークでも話題のDin Tai Fungというお店のことを知ったのでした。
 
それから20年が経ち、あの時の感動をもう一度!と出かけたものの、今や鼎泰豊はありとあらゆるショッピングセンターの中にあり、どこも行列ができるほどの人気です。本当は以前行ったお店に行きたかったのだけれど、ホテルから少し遠かったので、もっと近いお店にしました。そこも待ち時間が40分。モールの中をふらふらして時間を潰し、戻ってきて通された席は隅っこの二人掛けテーブル。この混みようだから仕方がありません。いろいろ注文してもテーブルに乗りきらない!でも味は確かでした。うん、美味しかった。前回と同じくらい食べたと思うのだけれど、お会計は…4倍以上でした。とほほ。
 
今となっては、20年前の思い出をそのままにしておきたかった、と思ったりして。 

ホテルの朝食もバラエティー豊かなお料理がたくさん。卵やソーセージやパンやクロワッサン、シリアル、ヨーグルトなどのよくある欧米系の朝食に加えて、中華料理、インド料理、アラブ料理なども所狭しと並んでいます。ヌードル・バー(というのかな?)ではお好みの具材と麺の種類、スープを選ぶと、目の前でそれを調理して器に盛ってくれて、最後は好みのトッピングを自分で載せるというシステムでした。これが結構人気で、みなさん朝から麺を食べていました。数日泊ったので、今日は中華、今日はインド料理、と日替わりでいただきました。

こちらはカヤ・トースト。カヤとは、パンダンという植物の葉で風味をつけたカスタードクリームのようなものですが、牛乳ではなくココナツミルクを使っているのだと思います。そのカヤとバターを、トーストしたパンにはさんだものがカヤ・トーストです。

このトーストを、一緒についてくる半熟玉子にディップして食べるのが正しい食べ方なのだそうです。玉子にお醤油を少し垂らすので、甘さやしょっぱさやいろいろな味がします。カヤは以前娘がお土産として買ってきてくれたことがあって、トーストに塗って食べたりしたことはあったけれど、こういう食べ方があったとは知らなかったなぁ。

また、この時に飲んだミルクティーが濃厚でとっても美味しかったのです。つい先日、ミルクティーとロイヤルミルクティーの違いというのを知ったのですが、これはまさにロイヤルミルクティーでした。シンガポールにはTWGという有名なお茶屋さんがあって、そこで幾つか紅茶や烏龍茶を買ってきました。その中にミルク烏龍茶というのがあって、これはミルクが入っているわけではなく、発酵する過程で自然にミルクのような香りを発するようになるのだそうです。ちょっと面白いお茶です。

最後は海南鶏飯。海南チキン(Hainanese chicken rice)ともシンガポールチキンライスとも呼ばれる、シンガポールではホーカーセンターやフードコートなどには必ずあって大人気のお料理です。なんとワタクシ、初めて食べました。

シンガポールはあちこちにホーカーセンターと呼ばれる屋台や小店が並んだ大型フードコートのような場所があるのだけれど、注文するのをちょっと躊躇するような、衛生的にどうなのかな、というところも無きにしも非ず。地元の人たちはそういう場所で美味しそうに食べているし、実際にとても美味しそうなんです。私は胃腸は結構強い方だから余程のことがない限り大丈夫だと思うのだけれど、夫などはお腹が弱いうえに、食べる前からイメージだけでお腹が痛くなっちゃうタイプです。

今回娘が連れていってくれたホーカーセンターはなかなか小ぎれいな場所でしたが、お客さんの大半は観光客でした。観光客相手のお店というのはどうなんでしょうね。 今回食べた海南鶏飯は、ご飯にも鶏の味がよく染みていてとても美味しかったけれど、初めて食べるので他と比較しようがありません。次は地元の人たちが食べている海南鶏飯にチャレンジしてみましょうか。

2025年2月11日火曜日

浦安/シンガポール/横浜 シンガポール 観光編

 今回の旅行は、残念なことに写真があまりありません。娘がたくさん写真を撮っていたから後で写真をAirDropしてもらおうと思っていたのに、忘れてしまったのです(泣)少ない写真でシンガポールでの足取りを追っていきましょう。

まずはリトル・インディア

 
 
町全体がとてもカラフルでした。
 
 
町の中心街はインドの伝統的な衣服を扱う服飾店とゴールド・アクセサリーのお店ばかりで、辺り一面がキラキラ輝いていました。
   

かわいいプルメリアの鉢植えがありました。私はこういうものばかりに目が行ってしまいます。
 
シンガポールには大きな植物園があると聞いていたので、植物園に行こう!と娘に提案したら、あいにくの雨。そこで、屋内植物園を擁するGardens by the Bayという巨大な公園に出かけることにしました。

雨が降ったりやんだりしていて、広い公園内すべてを散策することはできなかったけれど、↑の不思議なタワーは夜になるとライトアップして、ライトショーもあるのだとか。午後の早い時間にでかけたのでライトショーは見られず、残念でした。

公園の中にはFlower DomeとCloud Forestという二つの屋内植物園があります。

Flower Dome(写真なし)は、ちょうど中国の春節が近かったことから、それにちなんだ、無数のランや南国の花を使った飾り付けが見事でした。ホールではモネの絵をプロジェクションで映した「Impressions of Monet」というのが開催されていて、Flower Domeのチケットで入場できるというので覗いてみました。 

 

こちらはCloud Forest

ガラス張りの巨大な温室の中央に人工の山があり、 まずエレベーターで上まであがって、山のまわりの通路を徒歩でぐるぐる廻って降りてくる仕組みです。Forest(森)というけれど、どちらかというとジャングルの中にいるような感じでした。




 
エレベーターに向かうまでの通路には、見事な蘭の花がたくさん飾られていました。
 
そして、別の日に訪れたのは、アラブストリート
こちらはホテルの近くだったので、お散歩がてら、ふらふらと 

 

 
 
 
ペルシャ織りの絨毯?や様々な織物が所狭しと並んでいて、あれもこれも欲しかったのだけれど、気に入ったものを少しだけ買いました。中でもトルコ風のタイルがとっても素敵でした。でも、タイルなんて重くてとても持ち帰れません。

お昼はファラフェルのラップサンドイッチをテイクアウトテイクアウェイしてホテルに戻って食べました。
この壁、全部、平面に描かれた絵なんですよ。 隅っこに本当におじさんが座っているみたい。左側で調理している人がこの絵のおじさんによく似ていて、描かれているのはご本人かお父さんかもしれませんね。 
 
そしてまた別の日は、Peranakan Museum(プラナカン博物館)へ。
この博物館の建物もコロニアル風で趣があり、その周りの建物も古風だけれどお洒落な感じでした(また、写真がない)
 
ちょうどこの日はバティック染めの特別展示が開催されていました。バティック染めというと、シンガポール航空のフライトアテンダントの制服が有名ですね。この展示では三世代の作家たちのバティック染めの移り変わりをテーマに、繊細に描かれた数々のデザインが展示されていました。 


体験コーナー。これを見て娘は、「こういうおもちゃが家にあったよね」と。
ぷぷぷ。それ、私のおもちゃだったのよ。何かというと、キャンディ・キャンディのミスマンガ家という、光る台の上でキャンディ・キャンディの絵を写し絵するというもの。まさにこれ↓ どこにいっちゃったのかな、あれ。
 

とまぁ、観光はこんなところでしょうか。写真がないのが残念です。
 
観光じゃないけど、↓はホテルの廊下
娘は開口一番、Redrum, redrum...
 
 


 

2025年2月6日木曜日

浦安/シンガポール/横浜 シンガポール編1

 シンガポールを訪れるのは20年ぶりです。あの時は夫が出張でシンガポールに3週間ほど出かけていて、確か、帰る頃がちょうど感謝祭の週末と重なったので、私と子供達が休みを利用してシンガポールに行ったのではなかったかと思うのだけれど、10月だったような気もします。あの頃はシンガポールのことなど何も知らずに、何を見ても珍しく感じたことを覚えています。屋台が並ぶホーカーセンターで珍しい料理を食べたという話を現地の夫の職場のアメリカ人女性に話したら、「You are brave(勇気あるわねー)」と言われたことも。

さて今回20年ぶりに訪れたシンガポールは、大都会でした!

シンガポールではアラブストリートに近い場所にあるホテルとオーチャード通り辺りのホテルに泊まったのだけれど、どちらも近くにモールのようなショッピングセンターが幾つもあって、平日でもとにかく人出が多く大賑わいでした。これだけの人が毎日毎日買い物や飲食をしているというのは、経済が上向きな証拠なのでしょう。20年前には見た覚えのない高層ビル群や整備された公園など、発展している国というのは20年でこんなにも変わるものなんだなと感じました。そうそう、20年前はまだあの有名なマリーナベイサンズがなかったんですよ。

さて、初日はシンガポールに着いたのがすでに夕方で、ホテルにチェックインしてから軽く食事をして早々に寝てしまいました。

翌朝はホテルで朝食を済ませて、また空港に向かいました。チャンギ空港に隣接する施設「Jewel」内の巨大な滝を見に行くためです。というか、その日のメインイベントに向かう通り道だったということもあるのかな。今回の旅行も娘がほとんど計画して、私は彼女のあとを付いていくだけという恰好でした。

 

 

 

周りを囲む壁には熱帯の花や植物が植えられ、5階ぐらいの高さから階段や通路を伝って下に降りられるようになっています。その真ん中には天井から水が落ちる圧巻な滝があります。娘もここは初めてとのこと。フライトの発着時についでに見ればいいのかもしれませんが、出発前や到着後はバタバタしていることが多く、そんな余裕はないかもしれませんね。

午後はフェリーに乗ってウビン島という小島に渡りました。フェリーというと聞こえはいいけれど、釣り船みたいな船で、乗船客も私たちを含めて10人ほど。出航時刻というものはなく、乗り場に10人ぐらい集まらないと船は出ないようでした。

20分ぐらい(うろ覚え)船に揺られていると、島に着きました。海の上からはすぐ近くにマレーシアが見えます。港の近くにある貸自転車屋さんでレンタサイクルをして、島の中を自転車で駆けまわりました。島を縦横する舗装された道や砂利道ではほとんど車に出会うこともなく、近くの石切り場に出入りすると思しきトラック何台かとすれ違っただけでした。道のまわりは背の高い木々や熱帯植物が生い茂る森で、聞こえてくるのは、キーキーと啼く鳥の声と木の葉が風でさらさらとそよぐ音ばかり。途中で同じように自転車に乗った観光客数人に会ったけれど、それ以外は私と娘の二人だけの世界でした。上り坂ではふうふう言いながらペダルをこぎ、下り坂はブレーキもかけずに猛スピードで駆け下りました。そうしているうちに島の対岸についてしまい、そこからは来た道を戻るしかないらしく、猛スピードで下りて来た道を、今度は懸命にペダルをこいで上がって行きました。すると雨が降ってきたので、道端に設置されている屋根付きの休憩所のような場所でしばらく雨宿り。シンガポールはちょうど雨季で、滞在中は一日に何度も短い雨が降ったりやんだりしていました。

夕立のように激しく降る雨が熱帯植物の大きな葉を打ちつける様子を見ながら、モームの「雨」を思い出しました。あれは南太平洋のどこかの島の話だったけれど、あの雨もそのときに私が見ていたような熱帯の激しい雨だったのかな、と。若い頃にこの短編を日本語訳で読んだ時には結末がさっぱり分からなかったのだけれど、今回の旅行から帰ってきて英語の原作を読んでみたら、結末を示唆するような遠回しな表現があちらこちらにあることに気付いて、結末が分かったような気がしました。(検索すれば、結末が何を意味しているのかという解説があるとは思うのだけれど、それは敢えて見ないことにします)

雨が止み、また来た道を戻って行くと、道端に何匹かのお猿がいました。親猿もいてちょっと怖いので私はゆっくりと通り過ぎたのだけれど、森の中からはキーキーと騒ぐ相当数のお猿の声が聞こえてきます。バナナの木もあったみたい。ある程度の距離を置いて振り返ると、私の後ろから来た娘がお猿のすぐ横で写真を撮っています。えっ、お猿の大群が襲ってきたらどうしよう。私が助けに行かなきゃいけないの?いやだー、早く来て~。そんな私の心配をよそに、娘は悠長に写真を撮っています。私はじっとそこで娘を待っていました。しばらくして娘が私の横に来て、

「ベイビーがいたよ、親猿のお腹のところに。見た? モンキーにもカンガルーみたいにお腹に袋があるなんて、知らなかったなー」

と言います。

あのー、モンキーは有袋類じゃないから袋はありません。しがみついていただけです。

娘ちゃん、ときどきこういう天然発言するのよねぇ。

 

こうして島の中を3時間ほど自転車で走りまわったのでした。岸辺のマングローブの林にはワニもいると聞いていたのだけれど、幸か不幸か遭遇することはありませんでした。何があるという訳でもない島で、自然の中を自転車で走りまわっただけなのに、なんだかすごく楽しかった。シンガポール観光というと都会的なことばかりのようなイメージだけど、こういう楽しみ方も新鮮でした。(つづく)

2025年2月4日火曜日

浦安/シンガポール/横浜 浦安編

 

112日から22日までの10日間、日本とシンガポールに旅行に行ってきました。

うちの娘は毎年、自分の誕生日のあたりに旅行に出かけることにしていて、昨年のメキシコシティーに引き続き、今年も私が同行させてもらえることになりました。彼氏のH君はスイスでのマラソンで有給休暇を使い果たしてしまったそうで、今回は残念ながらお留守番でした。

今回の旅行先は日本経由のシンガポール。娘は昔からシンガポールが大好きで、今回は6度目の訪問だそうです。せっかくそちらのほうに行くのだから、日本にも寄っていきましょうということになり、日本に3泊、シンガポール5泊、機内1泊、日本1泊という予定をたてました。ハワイから来る娘とは羽田空港で落ち合うことに。

ところが、いざ出発の日、降雪で私のフライトがキャンセルになってしまったのです。最寄り空港の午前中の便はすべて欠航のため、メジャーな空港のどの日本行きの便にも当日は乗り継ぎができないとのこと。ふぅぅ、なんてこと。

 

仕方がないので、その旨を娘に連絡して、翌日の便で向かうことにしました。ラッキーなことに、日本行きの便では3席の座席一列独り占め。10数時間のフライトで、これはかなり嬉しい。

日本滞在はなぜか浦安です。娘のホテルの特典か何かで部屋のアップグレードができることと、空港からホテルまでリムジンバスで移動できるということが理由のようです。浦安といえば東京ディズニーランドですが、実際に私たちの泊まったホテルにもいわゆるインバウンドのカップルや家族連れの宿泊客が多く見られました。

 


私は浦安と聞くと、槇村さとるの「半熟革命」というマンガを思い出してしまうなぁ。昭和のちょうどバブル期の頃のマンガです。東京に憧れて原宿あたりのファッション系専門学校に通うことになったハナちゃんは、浦安を東京だと思い込み、大きな一軒家を格安な家賃で借りるのだけれど、外国に住んでいるはずの大家さんが何かの手違いで戻ってきてしまい、同居する破目に。ハナちゃんは浦安が東京でないことを嘆き、和食と浦安をこよなく愛する大家のジロさんをダサいと軽蔑するのでした。でも実際、ジロさんはハナちゃんの憧れを想像以上に超えたスゴい人だったのです。そしてハナちゃんの心も次第に変わっていくというお話です。ハナちゃんが想いを寄せるカズオ君はイアン・マッカロクがモデルかな。そういう時代でしたね。

今回私たちが泊まったホテルは新浦安地区というところにあって、新しいマンションやホテルが立ち並び、道も広くきれいで、新しい街というイメージでした。昼間も人が少なく、閑散とした感じでした。「半熟革命」の舞台の猫実町というところにも行ってみたかったけれど、今回はフライトがキャンセルになって1日削られてしまったこともあり、叶いませんでした。娘は1日目はニューヨークの友達が表参道で開いていた家具の展示会に行ったそうです。

翌日はホテルで朝食を済ませて(私は和食ばかりをいただきました、白米が美味しかった~)から「ららぽーと」というショッピング・モールへ。あれもこれもお買い物をしたかったのだけれど、翌日のシンガポール便にはスーツケース1個しか預けられないことになっていたので、ここでお買い物をしてしまうと、シンガポールでは何も買えなくなってしまいます。ここは見るだけにして、最終日に買うものをチェックしました。ブックオフに買いたい本がたくさんあったのだけれど、本なんて重くてとても買えません、泣。「ららぽーと」はちょっとアメリカのモールみたいな造りでした。この日は平日だったからなのか、アメリカのようにモール文化は衰退しているのか、人はまばらでした。

お昼はモール内の大戸屋で食事を。娘はアジフライ定食(シブい)を、私はお豆腐のサラダのような定食をいただきました。二人でお腹いっぱいに食べて2000円ちょっとくらいでしたが、後でカードの明細を見てこれまたびっくり!なんと2人分、$13ぐらい。円安のおかげですが、アメリカではアジフライ定食だけでも13ドルではとても食べられません。アメリカ人向けの不思議な巻き寿司(裏巻きでマヨネーズや辛いソースやウナギのたれが大量にかかったシロモノ)1本が13ドル以上しますから。今後アボカドに関税がかかると、もっと高くなるでしょうね(あんなものが、という比較対象であって、私は食べませんが)

翌日はもうシンガポールへ出発です。

搭乗ゲートの壁には、今永くんが。


この方々も 



100万年ぶりくらいに全日空便に乗りましたが、機内食が天丼だったのには感動しました。もう100万年もアメリカ系航空会社の便にしか乗っていなくて、その機内食にはがっかりさせられることばかりなので。

そうして無事にシンガポールに到着しました。つづく(本当に?)