2025年8月29日金曜日

夏の畑を振り返る

あれよあれよという間に、夏も終わりが近づいてきました。気温だけを見ると、こちらはもうすっかり秋のような気候です。昨日、今日の朝の気温は16℃ほどで、外に出ると肌寒さを感じるほどでした。

日本は今年も猛暑とのこと。昨年9月に日本に帰ったときも、連日35℃くらいの暑さでしたが、この夏も相当暑いそうですね。ちなみに、今、夫が日本に行っています。毎年恒例の野球三昧プライベート旅行ですが、連日の猛暑で参っているかと思いきや、楽しすぎて暑気も吹っ飛んでしまっているようです。帰りはハワイ経由で娘の所に数日滞在してからこちらに帰って来る予定です。

さてさて、夏の畑もそろそろお終いです。今年収穫した野菜の写真を載せておきましょう。

今年は種を購入して、 ピーマンと加茂ナスと千両ナス(たぶん)を栽培しました。

最初に採れた加茂ナス。写真では小さく見えるけれど、直径9㎝ほどの大きさです。私の実家の近くは丸ナスが主流で、子供の頃はほとんど丸ナスしか食べたことがなかったので、懐かしさもあって、種類は違うけれど丸い加茂ナスの種を買ってみました。丸ナスと言えば、昨年、米ナスのブラック・ビューティーという丸ナスを植えてみたのだけれど、皮が堅くて大味で残念な結果となりました。

さて、高級食材の加茂ナス。確かに柔らかくて甘さもあり、上品なお味でした。しかし、栽培するにはちとデリケートすぎて、葉が触れただけで表面に傷がついてしまったりするのです。家で消費する分には見た目は関係ないし、傷がついたナスは傷を修復しようとする分、栄養価が高くなるともいうので、まあいいか。

こちらは千両ナス。Money makerという名前だったけれど、説明文に日本で最も一般的に栽培されている品種というようなことが書かれていたので、たぶん千両ナスでしょう。これも採りたてだから甘味があって、焼いて生姜醤油で食べたり、冷やしナス(蒸して冷やしてスライスしただけ)にして辛子醤油で食べたり、味噌炒めにしたり、焼き浸しにしたり、ナスのパルミジャーナにしたり、と大活躍しました。

 そして今年いちばん嬉しかった野菜がこのピーマン!こちらではこの日本のピーマンが手に入らないのですよ。ピーマンを使う料理はだいたいパプリカの緑版で代用するのだけれど、肉厚すぎてピーマンのシャキシャキ感がないのが残念なんですよね。風味も少し違います。だから、ピーマンが採れて本当に嬉しいのです。日本の市販の物より少し小ぶりだけれど、味は濃厚で、これもまた甘い!このまま幾つかを真っ赤に熟させて来年用の種を取りたい、のだけれど、F1(交配)種だから来年も同じものが育つとは限らず、近くのプランターに一株だけシシトウがあるのも不安要素です。(シシトウとピーマンの交雑種になっちゃうかも)



 今年はカボチャも栽培してみました。これは実がついてすぐの頃で、ウリ科の野菜に寄生するガの幼虫を防ぐために$1ストアで買ったカゴをかぶせています。今はこのカゴいっぱいぐらいの大きさになっています。茎の付け根がコルク状になったら収穫できるそうです。これは袋栽培なので、ツルが庭の草の上に伸びている状態です。



 今年はゴーヤを日当たりのいい場所で栽培したので、去年より元気に育ちました。このゴーヤはこの辺りのお店では売っていないらしく、貴重なゴーヤなんだそうですよ。うちではゴーヤは私しか食べないから一本もあれば十分なので、同時にいくつも採れた時には私よりゴーヤを堪能できる沖縄の方に差し上げています。

キュウリは今年は先ほどのガの幼虫にやられて、少ししか穫れませんでした。


ミニトマトもたくさん採れたのだけれど、後半はLeaffooted bug(検索しても日本語で出てこないから日本にはいないのかも)という果汁を吸い取る害虫が出没して、もうお手上げ。採れたものだけ、少し前に購入したフードドライヤーで乾燥させてドライトマトにしました。生食ではそれほど甘味を感じなかったものも、乾燥させたら甘味が増えて、このままポリポリ食べても美味しい!保存も利くので、いろんなお料理に使えそう。
 

5月のブドウ

6月のブドウ

 
7月末のブドウ
 
8月のブドウ

 
この量が3回ぐらい採れました。あー、香りをお届けできないのが残念。あちこちにお裾分けしたら、わぁー、日本のブドウの味と香りだぁ、と大変喜んでいただけました。アメリカ原産のブドウなんですけどね。去年は9月に入ってからもまだ完熟せずに、日本に出かけるまでに間に合わず、まだ色が少し薄い状態で収穫してしまったのだけれど、今年は8月初めに最初のブドウが収穫できました。気候の違いだったのでしょうか!?
 
さーて、最後は今年のメインイベント、スイカです。初めての栽培なので、栽培方法をあれこれ検索して、どうにか収穫に漕ぎつけました。
 
 スイカの実を発見!やった!
 
スイカはカラスに狙われると読んだので、ケージを作りました。
 
着果から約50日。直近の巻きひげと葉っぱが枯れるのを待って、いざ収穫。写真では大きさがわからないけれど、バレーボールほどの大きさです。翌日に友達が遊びに来ることになっていたので、その時に切って一緒に食べようと思ったのだけれど、いや、待てよ、切って中が赤くなかったら? 友達と二人で泣くしかないので、やはり先に切ってみることにしました。すると…

赤い!やったー!冷蔵庫で冷やして、翌日いただきました。甘い!美味しい!

家庭菜園は手間ひまがかかるし、虫や鳥や動物たちとの闘いばかりだけれど、この瞬間があるから続けられるんですよねー。 

ちなみに、このスイカは数年前に日本で食べた戴き物の高級スイカの種を発芽させたものです。おそらくF1種なので、これはF2スイカだと思います。だから小さいのか、袋栽培だから小さいのか? でも味は、こちらのスイカよりずっと美味しかった。甘さというより、風味が違う気がします。来年はこのスイカの種(F3)で作ってみようかな。

2025年8月10日日曜日

犬、じゃない?

先週までの猛暑はいったいどこへ行ってしまったのか、今週は気温がぐっと下がって過ごしやすくなりました。ガーミンのランニング記録を見てみると、朝の気温は22℃になっています。先週までは早朝でも30℃を越えていたから格段に涼しくなりました。このまま夏は終わってしまうのでしょうか。庭のブドウもいくつかは完熟していて、まだ8月の前半だというのに、すでに秋の気配を感じます。

昨日の朝、近所を走っていてすごいモノに遭遇したんです。なんと、コヨーテ!…だと思うんだけど。

昨日はロングランだったので、通りを越えた住宅地のほうまで走りに行ったのだけれど、道路に面した他所のお家の前庭の芝生の上に大きめの中型犬(だと思っていた)がいて、こちらを見ていました。ゆっくり走りながらその犬の近くまでくると、あれ?何か変だな、と直感的に違和感を覚えてよく見たところ、茶色と灰色が混ざったようなボサボサの毛並みで、体の大きさに比べて顔がずいぶん小さく、キツネのような顔つきで耳が立って鼻が細長く尖っていたのです。あれれー、もしかして、コヨーテ? 走りながら通り過ぎたので一瞬のことだったのだけれど、コヨーテかもしれないという考えが頭に浮かんでからは急に不安になって、振り返ることもせず、少しスピードを上げて走り去ったのでした。土曜日の早朝だったから住宅街は静まり返っていて、人の気配は全くなく、追いかけられたらどうすればいいんだろう、とちょっとドキドキしました。

家に帰ってからコヨーテの画像検索をしてみたら、先ほど見た動物によく似ています。近所にコヨーテがいるという話も聞いたことがあるから、おそらくコヨーテだったのでしょう。

まず、大きな犬が庭先にいるのに飼主さんが近くにいないというのは滅多にないことです。それに、庭先にいる犬はランナーを見ると必ず吠えます。それを飼い主さんがたしなめるというのが大体のシナリオ。先日は、ゴミ収集の日に道路の反対側にゴミ箱を回収しに行っていた近所の知らないおじさんに走りながら挨拶したら、そのおじさんの家のガレージから大きな犬が吠えながら走り出てきて、おじさんは飼い犬が私を追いかけると思ったのか、大慌てで「He's friendly, he's friendly!」と私の背後から叫んで、危険はないことを知らせてくれたのだけれど、案の定、私に走り寄ってきたワンコはいい子で、私も「Hi, there!」と頭をなでてオシマイ。でも飼主さんは「I'm sorry, I'm sorry」と、とても申し訳なさそうでした。

ランナーは犬に吠えられるのなんて日常茶飯事です。足音が聞こえるのか、家の中から吠えている犬もいます。いつも走っているコースにチェーンリンクの金網フェンスのお家があって、庭にピットブルがいるのだけれど、その犬は私が道路を走っていると庭の隅から猛進してきて、フェンスに前足をかけて吠える、吠える。金網を越えることがないのは分かっているけれど、うぁー、ピットブルだ、と最初はちょっと怖かったのです。でも、あまりにも毎日のことなので、ある日、そのピットブルがわんわん吠える中、私は犬のほうに顔を向けてニカーっと笑って手を振って走り去ったのでした。それを何日も続けていたら、なんとピットブル君は吠えなくなったんですよ!フェンスに来るまでにわんわんと何度か吠えて、フェンスに前足をかけるものの、しっぽを振ってはーはー息をしているだけになったのです。私が走り去るとまたわんわんと数回吠えるだけ。わーい、もうお友達になったんだね。

そうしているうちに、そのお家に新しい犬がやってきたようで、ある日、小型犬がフェンスに寄って来て、私にむかってキャンキャン吠えたてていたのです。そこにピットブルが走って来て、ピョンピョン跳ねながら小型犬の背中を鼻先で突き始めました。まるで「ぼくの友達なんだから、吠えないで!」と諭しているように。また別の日には、フェンスに寄ってきたピットブルが、「ぼくの友達(私)が来たから、早く来て!」とでも言うように、少し離れた場所にいた小型犬とフェンスの間を行き来していたこともありました。それとも、新しい友達(小型犬)を私に紹介したかったのかな。

走っていると暇だから、ついこんな妄想をしてしまうんですよねー。

なにはともあれ、犬はランナーに遭遇すると吠えたり追いかけたりするものだけど、あの動物はじっとこっちを見ていただけだから、やはりコヨーテだったんじゃないかなぁ。

 

2025年7月13日日曜日

朝活

毎日、暑いです。

日が昇ると気温がどんどん上がるので、朝のランニングはなるべく早い時間に出かけたいのだけれど、起きてすぐには走れないから、朝の5時に起きたとしても、コーヒー一杯をゆっくり飲んで、着がえたり日焼け止めを塗ったりしているうちに、出かけるのは6時過ぎになってしまいます。6時半ごろにはもう日が差してくるから暑いのなんの。なるべく日陰の道を選んで走るのだけれど、夏のランニングはきついですね~。それでも10月にハーフ、11月にフルマラソンの予定が入っているので走らないわけにはいきません。

私のランニングは一日置きなので、走らない朝の時間は読書に充てています。というのも、このところ600頁-700頁もある小説を図書館で立て続けに借りてしまって、それをそれぞれ3週間という期限内で読むためには一日に最低でも30数頁を読まなければならず、忙しくて全く読めない日もあることを考えたら50頁ぐらいは読んでおく必要があるからなのです。たいして人気のない本であればさらに3週間延長できることもあるのだけれど、あいにく今回借りた本は予約がぎっしり入っていて延長できませんでした。

では、前回以降に読んだ本について少し書いておきましょう

黒い雨 井伏鱒二

「黒い雨」を読んでみようと思ったきっかけが何だったのかは忘れてしまった。本棚にあったから手に取ってみただけだったのか、原爆関連の何かを読んでこの本のことを思い出したのか。いずれにしても、長い間ベッドサイドのスタンドに置いたままになっていたのは確かだ。

「黒い雨」は高校一年の夏休みの課題図書だったように思う。夏休みに部活に行く電車の中で読んだという記憶があるからなのだが、実際の本の内容は広島の原爆のこと、誰かの結婚が破談になったこと、くらいしか覚えていなかった。黒い雨は原爆投下後に降った重油のような雨のことだが、主人公の姪がこの黒い雨をあびたことから原爆症の疑いをかけられて結婚が次々と破談になる。その疑いを晴らすために主人公は原爆投下後に書いた自分の日記を清書して、姪の縁談相手に渡すことにするのだが、その日記の内容が当時の惨状を物語っており、本人が経験したこと以外にも、知人や通りがかりの人達の話も織り込まれている。地獄絵のような状況下で、人の心が麻痺してしまったような描写もある。ちょうどこの本を読んでいる時に、数年前にアカデミー賞を受賞した映画「オッペンハイマー」を観た。原爆投下後、マンハッタンプロジェクトのリーダーであったオッペンハイマー博士が狂乱したような観衆に称賛されるシーンがあった。つい先ほどまで読んでいた「黒い雨」の中には、赤ちゃんをかばって丸焦げになった母親の姿や、全身にやけどを負いながらも水を求めて彷徨う人々の描写がある。今でもアメリカや東アジアの一部の国の人の中には、原爆は日本の自業自得だという人たちがいる。虚しさを感じざるをえない。


Demon Copperhead - Barbara Kingsolver(デーモン・コッパ―ヘッド / バーバラ・キングソルヴァ―)

バーバラ・キングソルヴァ―は好きな作家のひとりで、今までにも「ポイズンウッド・バイブル」や「The Lacuna」やエッセイ集などを読んでいる。この「デーモン・コッパ―ヘッド」はタイトルからもうすうす分かるように、ディケンズの「デイヴィッド・コパフィールド」へのオマージュだという。アパラチアの山の中で母親と暮らすデーモン少年は、母親がドラッグ更生施設に入院するたびに里親のもとに送られ、そうした里親には優遇されず過酷な労働を強いられる。母親が更生施設を出て再婚すると、その再婚相手からは虐待を受ける。母親が薬品の乱用で亡くなると、父方の祖母を探し出し、祖母の知り合いのフットボールコーチの家に預けられ、高校ではフットボールのスター選手に成長するが、再起不能な怪我を負い、フットボールの夢をあきらめざるを得なくなる。怪我の治療で処方された痛み止めの薬を乱用するようになり、最愛のガールフレンドをドラッグで失う。アメリカの貧困やドラッグといった社会問題がデーモン少年を通して描かれている。最後は少し明るい未来が垣間見られるのがせめてもの救いである。デーモン少年が目指した場所は、私が住む町の海だった!


The City and its Uncertain Walls - Haruki Murakami(街とその不確かな壁 / 村上春樹)

待っていた本がようやく図書館で借りられた。「街とその不確かな壁」というタイトルを見たときに「これは、『世界の終わり』のことだろうか?」と思い、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の続編なのかと思っていた。ところが実際は「世界の終わり」が「街とその不確かな壁」を基にした場所だったらしい。「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を読んだのは20代前半のころだったと思う。一角獣がいて、住人は影を持たず、一角獣の頭蓋骨から記憶を読む…という不思議な世界に魅了された。その世界が「街とその不確かな壁」で再現されている。村上春樹の小説は、主人公がいつもきちんとし過ぎていて、少女が姿を消してしまって虚無感があるような描写でも、主人公は淡々として日々を過ごしている。これはもしかしたら作者自身がストイック過ぎて、あまり人間の弱さを知らないんじゃないかという気もする。別の小説だが、カフカ少年のような15歳は現実にいるだろうか。それといつも比べてしまうのは、宮本輝の描く少年や青年だ。人間として共感できるのは、こちらのように思う。なにはともあれ、ふたたび「世界の終わり」の世界に引き戻されて、楽しく読んだ。機会があれば、日本語でも読んでみたい。


青い壺 有吉佐和子

つい先頃、有吉佐和子の「青い壺」がベストセラーリストの1位になったというニュースを見た。1977年に出版された昭和の小説が新しい小説を抜いて1位になるとはどういうことなのかと興味を抱いて、電子書籍で購入してみた。有吉佐和子の本はこれまでにも何冊か読んだことがある。20代の頃に「海暗」や「華岡青洲の妻」「非色」「恍惚の人」などを読み、ある時は人から「複合汚染」のことを聞いて読んでみた。今年に入ってからは「女二人のニューギニア」というエッセイ/紀行文を読み、最近知人からもらった文庫本の中にも彼女の小説があり、これから読む本として今もナイトスタンドの上に置いてある。「青い壺」は、ある陶芸家が焼いた殊のほか風情のある青磁の壺がいろいろな理由から様々な人の手に渡り、その壺を手にした人々の人間模様を描いた小説である。特に優れた小説という印象は受けなかったが、昭和はこういう時代だったなと思い出すことがたくさんあった。若い人たちが読むと新鮮に映るのかもしれない。以前Netflixで「阿修羅のごとく」を見たときに、やはり忘れていた昭和のいろいろなことを思い出した。新しいドラマなのに時代背景がしっかりしていると思った。


Things in Nature Merely Grow Yiyun Li(イーユン・リー)

2025年上半期に出版された本でNPR(米国公共ラジオ放送)のスタッフが薦める本の中にこの本があった。二人の息子を自死で亡くした作家のエッセイというような紹介だったと思う。最初は気付かなかったが、イーユン・リーは昨年の夏に読んだ小説「The Book of Goose」の作者だった。彼女は長男を16歳で、次男を19歳で亡くしている。どちらも自死だったという。どれほどの悲しみを経験したことか。私には想像もできない。しかし本書の中で彼女は子供たちの死を冷静に見つめている。彼女の考えや物の見方は一般的ではないかもしれないが、その冷静さの裏に計り知れない悲しみがあるのだろう。タイトルのThings in Nature Merely Grow(自然のものはただただ育つだけ)には、子供たちを一個人として敬う作者の姿が表れているように思う。


 

2025年7月6日日曜日

戯言


 ある日突然、こんなツイートが私のフィードに入ってきました。ツイート主の方は存じ上げませんが、何か妙に共感したことを思い出しました。まぁ、私は「ジジイ」ではないけど、似たようなものです。

若者のロック離れと言うけれど、アメリカではもう社会全体がロック離れみたいなものです。テレビで放送されるアワード番組なんて、出演者はカントリーかヒップホップの人達ばかり。おまけ程度に一組ぐらいロックバンドが出てきても、これ、ロック?という感じで、嘆かわしい。いつぞやのグラミー賞では、最優秀ロックアルバムだったか、ロック系の賞は授賞式では放送していなかったくらいですから。昔のロックを知っている我々世代しかロックを聴かないというのは、本当なんでしょうね。

今の若者はカントリーやヒップホップを聴いて、何を感じるのかなぁ。私はこのどちらのジャンルからも、ロックに感じるようなドキドキ感やワクワク感を得ることができません。もっと言うと、胸が「くぅーっ」となる感じ。昔から私はこの表現を使っているけれど、これを分かってくれた人は未だかつて一人もいません。まぁ、音楽に関しては私は独りぼっちで、深い話のできる知人は一人もいないんだけど、それはそれでいいのです。変に音楽の話をしても、相手に合わせるのは簡単だけど、自分の中では「違うんだよなぁ」と落胆してしまうから。でも、スクリーンやモニターの向こう側には、私と似たような感覚の持ち主が少なからずいて、「そう、そう、そうなのよ」と画面に向かって頷いているのでした。

それでも、最近はトレンドが変わってきているらしく、アメリカではティーンエイジャーがガレージバンドを始める風潮が戻ってきているんだそうですよ。どこかで読んだ話では、Gen ZがCreed とNickelbackを聴いているともいうし。そういえば、このあいだ息子がCreedを聴いていて、おや?っと思ったことがありました。その時に息子とそんな話をしていて、「Nickelbackはすごく嫌われていた時期があったよね」と私が言ったら、それは、みんなが嫌いだというから他の人も後追いという形でみんなに合わせるために嫌いになった、という説があるんですって。Nickelbackにとっては大迷惑な話ですよね。でも、それってロック離れにも通じる話かもしれません。みんながカントリーを聴いているから、別に好きじゃないけど私も聴いておこう…というような。まぁ、流行りというのはそういうものだけど。

とは言うものの、私も新しい音楽はほとんど聴いていません。もうあの「くぅーっ」という感じがないんだな、新しい音楽には。2000年代が限界かも知れません。Greta van Fleetは最初聴いたときに、へー、かっこいいね、と思ったけれど、レッド・ツェッペリンやジャニス・ジョップリンの二番煎じみたいでちょっと物足りない。たぶん聴かないけど、新しいガレージバンドの活躍を楽しみにしています。私は昔の音楽だけでいいや。

昨日あたりから私のSNSフィードはOasisの再結成コンサートの投稿であふれています。「リアム、やったね。やればできるじゃん」というのが私の感想(すみません、上から目線で)。大人になったんだね。おそらくOasisの歴史の中で一番のコンサートだったんじゃないかと思います。セットリストも素晴らしい。

誰かが書いていたんだけど、ギャラガー兄弟の仲たがいの一因は、兄のノエルのフラストレーションにあって、それは弟リアムが類まれな才能をアルコールやドラッグで無駄にしていることを我慢できなかったからだと。昔のOasis時代にリアムは明らかにアルコールかドラッグかの影響下でステージに立ち、ステージ上で兄弟げんかを始めて、リアムが姿を消してノエルが残りの全曲を歌うことになったり、というハプニングが絶えなかったから、それも一理あるなという気がします。ノエルは口は悪いけど、実はすごく真面目で音楽に真摯に向き合っている人なんじゃないかという気がするから、リアムに対してそういう感情を抱いていたとしても不思議じゃないし、だからこそ今回のステージでのリアムの姿はノエルにとって感慨深いものだったことでしょう。

私がよく読んでいる音楽ブログの主さんは、Oasisを聴くことをGuilty Pleasure(言うのがちょっと恥ずかしいような、人に知られたくない楽しみ)と言っていたけれど、堂々と好きと言っていいくらいにいいステージでしたよ。私にもGuilty Pleasure的なバンドがいくつかあるんだけど、それはまた別の機会に。

そういえば、同じ頃にオジー・オズボーンのファイナル・コンサートがあった模様で、こちらに参加したミュージシャンも錚々たる面々。まぁ、私はオジーもブラック・サバスも聴かないけれど、ロックもまだまだ捨てたものじゃないのかもしれませんねー。

と、まぁ、Oasisの映像を見ていたら、いろんな考えが頭の中に浮かんできて、戯言を述べてみた次第です。 あしからず。


2025年6月15日日曜日

アジサイと長芋と父の日の料理

  

庭のアジサイが満開になりました。

今年の花はいつになく青いような… そういう品種なのか、土が酸性に傾いているのか。 

このところずっと雨の日が続いていて、日本の梅雨のようなお天気です。それが幸いしたのか、例年はほとんど咲かない裏庭のガクアジサイが大きな花を咲かせました。



アジサイは日本原産の植物だから、やはり梅雨のような気候が合っているのでしょうね。皮肉なことに、このアジサイはこれまでにないほど元気なのに、その後ろの常緑樹(うちの敷地内)はお隣の庭の塩害で瀕死の状態です。よい日陰を作ってくれるありがたい木なのになぁ。

庭の畑もほぼ夏野菜に移行して、1の箱はトマト、バジル、モロヘイヤ:2の箱はニラ(ジャングル化してる)、三つ葉(ほぼ終わり)、ミニトマト:3の箱は葉ネギ、ピーマン(パプリカじゃなくて日本のピーマン)、つるありインゲン、枝豆(予定):4の箱はナス2種類(加茂ナスと普通の長ナス)、キュウリ(もちろん日本の)、ケール(ほぼ終わり)

一番日当たりのいいフェンス脇の露地にゴーヤ

他にも袋栽培のジャガイモ(そろそろ収穫)、サツマイモ、ズッキーニ、ゴボウ、カボチャ、ホースラディッシュ、スイカなどがあります。プランターではパセリ、小松菜、時なし小カブ、ツルムラサキ、スイスチャード、シシトウ、四川トウガラシが育っています。

…そして、今年初栽培+いちばん期待しているのが、長芋です(↓)


アジア系スーパーで買ってきた20㎝ぐらいの長芋を4つに切って芽出しをしたものを、80㎝ぐらいの高さのある米袋に土を入れて植えました(もう一袋あります)。今のところ順調ですが、どうなるのかなぁ。長芋はお店で買うと高いから、自家栽培ができたら嬉しいのだけれど。

さて、今日は父の日ですね。

夫は今日は用事があって出かけているのだけれど、金曜日の夕方に娘がオーダーしてくれた食材が届き、昨夜、一足早く父の日のディナーをいただきました。

ジャーン、


 ケイジャン・シーフード・ボイル

シーフード(タラバガニ、エビ、ムール貝それぞれ個別に)、じゃがいも、とうもろこし、アンドゥイユソーセージ、レモンといった食材だけじゃなく、ケイジャンスパイス、ハーブバター、パセリまで、まるでスーパーに買い物に行ったように届きました。家にあったものを使ったのは、ガーリックとタマネギとオリーブオイルだけ。ありがたいことです。

優に5-6人分はあったと思いますが、夫婦ふたりでたらふく食べて、半分以上なくなりました。美味しかったー。

リングイーネも届いたので、今夜は残りのシーフードでペスカトーレにしましょう♪


2025年5月29日木曜日

お味噌の蔵出しとフォカッチャ・アート

昨年の10月頃に仕込んだお味噌を蔵出ししました。

今回は、柔らかく茹でた大豆を熱いうちにジップロック袋に入れて、袋の中で大豆を潰し、冷めてから塩切りした米麹を混ぜ込んで、しっかりと空気を抜いて冷暗所に置いておきました。なるべく空気に触れさせないことでカビの発生を防ぐためです。袋の中で大豆を潰したから、豆の形がそのまま残っているものもあるけれど、家で使うだけだから問題なし。家のキッチン工事が長引いて、普通より長く熟成させてしまったけれど、それはそれで味に深みが増して美味しくなったんじゃないかと…

前回作った黒豆のお味噌がまだ残っているので、そちらを使い終えるまで冷蔵庫の奥に待機していてもらいましょう。

さらに、母の日に娘がWhole Foodsからいろいろな食品を届けてくれたのだけれど、その中にお味噌があったのです。White Misoと書いてあるから「白みそ」なのかと思ったら、「made with traditional Shinshu fermentation method (信州の昔ながらの発酵方法で製造)」と書いてあります。いや、信州味噌は白味噌のように甘くないのに…と思ったんだけど、これは果たして信州味噌なのか、白味噌なのか??? まだ開封していないので、開けてみてのお楽しみ♪ しかし、こんなにたくさんお味噌があって、どうしよう。次のバッチを作ろうかと思ったけれど、しばらく待つことにします。

そして過日、前々から作ってみたいと思っていたフォカッチャ・アートに挑戦しました。フォカッチャ生地はなんでもよかったので、なるべく気泡の多そうなものをネットで検索して、本当は一晩冷蔵庫で発酵させた方がよかったのだけれど、時間がなかったので室温での方法にしました。

発酵を待つ間に野菜を準備します。紫タマネギやパプリカは定番。茎や葉の部分は庭から採ってきたケールやルッコラやパセリやニラを使いました。一度生地の上に野菜を置いてしまったら、生地から野菜を剥がすことは難しいので、ここは慎重に考えて配置しないといけません。…と言いながら、かなりテキトーに置いたんですけどね。

オーブンに入れて焼くこと約30分。タマネギやパプリカの焼ける香ばしい匂いがしてきました。

うーん、焼かないほうがきれいだったな。でも、焼かないと食べられないし。あー、ジレンマ。茎はもう少し水分のあるアスパラガスのほうがよかったかもしれません。葉はバジルかな。

焼きあがったフォカッチャは、しばらく愛でてから四角く切って、フレッシュモッツァレラとトマトとバジルソース(バジルの葉がなかったので)を挟んで食べました。 野菜のいろんな味がして美味でした。

2025年5月13日火曜日

ユッカヌヒーとエンドウ豆

 先日、沖縄出身の知人に戸籍謄本の翻訳を頼まれました。

戸籍の翻訳も簡単になりましたよねー。戸籍の書式自体が簡単になったということもあるけれど、 翻訳用のテンプレートも探せばあちこちにあって、名前や生年月日などの変数を記入すれば完成してしまうのだから。昔の戸籍は文章形式で、何月何日に何某により届け出、といった感じで、日付も旧式の壱日(1日)や弐拾参日(23日)のような表記でしたものね。

その預かった書類が入っていたクリアファイルがこちら。

家族の呼び方や沖縄の風習などが書いてあって、面白く読ませていただきました。


へー、5月には「ユッカヌヒー」っていう祝日があるんだ!沖縄らしい響きだなぁ。…ん?ちょっと待って。「ユッカヌヒー」ってもしかして「4日の日(よっかのひ)」? なんか、いいなぁ、こういうの。

 

 アメリカっぽい感じもしなくもない。アメリカにも文字通り「7月4日」という日がありますから。正式には「独立記念日(Independence Day)」なのだけれど、「Happy Independence Day! 」より「Happy Fourth of July!」と言うほうが圧倒的に多いような気がします。

昔どこかにも書いた覚えがあるけれど、息子がまだ小学生だった頃、私が「日本にも7月4日(Fourth of July)ってあるのかな!?」と訊いたら、息子は呆れ顔で「ないよ、だってFourth of Julyはアメリカの祝日だもん」と答えたのでした。そんなこと訊くなんて信じられないといった様相で。そこで私は「へー、じゃぁ日本では7月3日の次の日は7月5日になっちゃうんだね」と、したり顔で言ったのでした。ヒドイ母親。

さてさて、ちょっと畑のことも書いておきましょう。

今は夏野菜への移行期で、畑にはケール、ルッコラ、ニラ、エンドウ豆ぐらいしかないのだけれど、今年は実エンドウがたくさん採れました。


 去年は袋栽培で苗が大きく育たず、数えるほどしか収穫できなかったので、幾つかを完熟させて種用に取っておいたのです。それを昨年の秋に路地植えにしたら、春にはぐんぐん成長して、たくさん実をつけました。最初は絹さやとして若いサヤを摘んでいたのだけれど、ちょっと見ない間に実がどんどん太って、立派な実エンドウになりました。


 実エンドウとして初めて収穫したのはこのくらい。


 お豆がかわいく並んでいます。


茹でたて。

これは日本の「うすいえんどう」という種類で、少しホクホクした食感で、甘みがあります。エンドウ豆は収穫してすぐに食べないと美味しさがどんどん失われてしまうのだそうです。だからアメリカでは冷凍のグリーンピースしか売っていないのかな。絹さや(Snow peas)は店頭で見かけるけれど、新鮮なグリーンピースは未だに見たことがありません。自家栽培の特権ですね。

実エンドウは収穫時期を逃すとどんどん堅くなってしまうので、毎日のように収穫して茹でています。私は毎日おいしく食べているけれど、家族はもう手を出しません。

エンドウもそろそろ終わりなので、残りは来年の種用に残しておいて、エンドウの後作にはトマトとバジルとモロヘイヤを植える予定です。