毎日、暑いです。
日が昇ると気温がどんどん上がるので、朝のランニングはなるべく早い時間に出かけたいのだけれど、起きてすぐには走れないから、朝の5時に起きたとしても、コーヒー一杯をゆっくり飲んで、着がえたり日焼け止めを塗ったりしているうちに、出かけるのは6時過ぎになってしまいます。6時半ごろにはもう日が差してくるから暑いのなんの。なるべく日陰の道を選んで走るのだけれど、夏のランニングはきついですね~。それでも10月にハーフ、11月にフルマラソンの予定が入っているので走らないわけにはいきません。
私のランニングは一日置きなので、走らない朝の時間は読書に充てています。というのも、このところ600頁-700頁もある小説を図書館で立て続けに借りてしまって、それをそれぞれ3週間という期限内で読むためには一日に最低でも30数頁を読まなければならず、忙しくて全く読めない日もあることを考えたら50頁ぐらいは読んでおく必要があるからなのです。たいして人気のない本であればさらに3週間延長できることもあるのだけれど、あいにく今回借りた本は予約がぎっしり入っていて延長できませんでした。
では、前回以降に読んだ本について少し書いておきましょう
黒い雨 井伏鱒二
「黒い雨」を読んでみようと思ったきっかけが何だったのかは忘れてしまった。本棚にあったから手に取ってみただけだったのか、原爆関連の何かを読んでこの本のことを思い出したのか。いずれにしても、長い間ベッドサイドのスタンドに置いたままになっていたのは確かだ。
「黒い雨」は高校一年の夏休みの課題図書だったように思う。夏休みに部活に行く電車の中で読んだという記憶があるからなのだが、実際の本の内容は広島の原爆のこと、誰かの結婚が破談になったこと、くらいしか覚えていなかった。黒い雨は原爆投下後に降った重油のような雨のことだが、主人公の姪がこの黒い雨をあびたことから原爆症の疑いをかけられて結婚が次々と破談になる。その疑いを晴らすために主人公は原爆投下後に書いた自分の日記を清書して、姪の縁談相手に渡すことにするのだが、その日記の内容が当時の惨状を物語っており、本人が経験したこと以外にも、知人や通りがかりの人達の話も織り込まれている。地獄絵のような状況下で、人の心が麻痺してしまったような描写もある。ちょうどこの本を読んでいる時に、数年前にアカデミー賞を受賞した映画「オッペンハイマー」を観た。原爆投下後、マンハッタンプロジェクトのリーダーであったオッペンハイマー博士が狂乱したような観衆に称賛されるシーンがあった。つい先ほどまで読んでいた「黒い雨」の中には、赤ちゃんをかばって丸焦げになった母親の姿や、全身にやけどを負いながらも水を求めて彷徨う人々の描写がある。今でもアメリカや東アジアの一部の国の人の中には、原爆は日本の自業自得だという人たちがいる。虚しさを感じざるをえない。
Demon Copperhead - Barbara Kingsolver(デーモン・コッパ―ヘッド / バーバラ・キングソルヴァ―)
バーバラ・キングソルヴァ―は好きな作家のひとりで、今までにも「ポイズンウッド・バイブル」や「The Lacuna」やエッセイ集などを読んでいる。この「デーモン・コッパ―ヘッド」はタイトルからもうすうす分かるように、ディケンズの「デイヴィッド・コパフィールド」へのオマージュだという。アパラチアの山の中で母親と暮らすデーモン少年は、母親がドラッグ更生施設に入院するたびに里親のもとに送られ、そうした里親には優遇されず過酷な労働を強いられる。母親が更生施設を出て再婚すると、その再婚相手からは虐待を受ける。母親が薬品の乱用で亡くなると、父方の祖母を探し出し、祖母の知り合いのフットボールコーチの家に預けられ、高校ではフットボールのスター選手に成長するが、再起不能な怪我を負い、フットボールの夢をあきらめざるを得なくなる。怪我の治療で処方された痛み止めの薬を乱用するようになり、最愛のガールフレンドをドラッグで失う。アメリカの貧困やドラッグといった社会問題がデーモン少年を通して描かれている。最後は少し明るい未来が垣間見られるのがせめてもの救いである。デーモン少年が目指した場所は、私が住む町の海だった!
The City and its Uncertain Walls - Haruki Murakami(街とその不確かな壁 / 村上春樹)
待っていた本がようやく図書館で借りられた。「街とその不確かな壁」というタイトルを見たときに「これは、『世界の終わり』のことだろうか?」と思い、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の続編なのかと思っていた。ところが実際は「世界の終わり」が「街とその不確かな壁」を基にした場所だったらしい。「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を読んだのは20代前半のころだったと思う。一角獣がいて、住人は影を持たず、一角獣の頭蓋骨から記憶を読む…という不思議な世界に魅了された。その世界が「街とその不確かな壁」で再現されている。村上春樹の小説は、主人公がいつもきちんとし過ぎていて、少女が姿を消してしまって虚無感があるような描写でも、主人公は淡々として日々を過ごしている。これはもしかしたら作者自身がストイック過ぎて、あまり人間の弱さを知らないんじゃないかという気もする。別の小説だが、カフカ少年のような15歳は現実にいるだろうか。それといつも比べてしまうのは、宮本輝の描く少年や青年だ。人間として共感できるのは、こちらのように思う。なにはともあれ、ふたたび「世界の終わり」の世界に引き戻されて、楽しく読んだ。機会があれば、日本語でも読んでみたい。
青い壺 有吉佐和子
つい先頃、有吉佐和子の「青い壺」がベストセラーリストの1位になったというニュースを見た。1977年に出版された昭和の小説が新しい小説を抜いて1位になるとはどういうことなのかと興味を抱いて、電子書籍で購入してみた。有吉佐和子の本はこれまでにも何冊か読んだことがある。20代の頃に「海暗」や「華岡青洲の妻」「非色」「恍惚の人」などを読み、ある時は人から「複合汚染」のことを聞いて読んでみた。今年に入ってからは「女二人のニューギニア」というエッセイ/紀行文を読み、最近知人からもらった文庫本の中にも彼女の小説があり、これから読む本として今もナイトスタンドの上に置いてある。「青い壺」は、ある陶芸家が焼いた殊のほか風情のある青磁の壺がいろいろな理由から様々な人の手に渡り、その壺を手にした人々の人間模様を描いた小説である。特に優れた小説という印象は受けなかったが、昭和はこういう時代だったなと思い出すことがたくさんあった。若い人たちが読むと新鮮に映るのかもしれない。以前Netflixで「阿修羅のごとく」を見たときに、やはり忘れていた昭和のいろいろなことを思い出した。新しいドラマなのに時代背景がしっかりしていると思った。
Things in Nature Merely Grow Yiyun Li(イーユン・リー)
2025年上半期に出版された本でNPR(米国公共ラジオ放送)のスタッフが薦める本の中にこの本があった。二人の息子を自死で亡くした作家のエッセイというような紹介だったと思う。最初は気付かなかったが、イーユン・リーは昨年の夏に読んだ小説「The Book of Goose」の作者だった。彼女は長男を16歳で、次男を19歳で亡くしている。どちらも自死だったという。どれほどの悲しみを経験したことか。私には想像もできない。しかし本書の中で彼女は子供たちの死を冷静に見つめている。彼女の考えや物の見方は一般的ではないかもしれないが、その冷静さの裏に計り知れない悲しみがあるのだろう。タイトルのThings in Nature Merely Grow(自然のものはただただ育つだけ)には、子供たちを一個人として敬う作者の姿が表れているように思う。