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2026年7月27日月曜日

東京マラソン - 本編

東京マラソンからすでに4ヵ月以上が経ち、記憶もおぼろげになってきた今日この頃。もう書かなくてもいいか、とも思うのだけれど、思い出せることだけでも書いておきましょうか。

マラソン前夜は、常宿にしていた港区のホテルから新宿に移動して、娘が手配しておいてくれたホテルに一泊しました。娘と彼氏のH君はその日の夜にホテルに到着。私はすでに近所のパスタ屋さんで夕食を済ませていたので、娘たちとは少しだけ話をして、自室に戻って翌日の用意をして早々と寝てしまいました。といっても、眠ったのか、眠っていなかったのか。マラソン前夜はいつもそんな感じで睡眠不足なのだけれど、それで走れなかったということはないから大丈夫なのでしょう。


 3月1日の東京は快晴でした。気温も20℃近くまで上がるという予報で、それまで‐1℃や‐2℃という気温でランニングをしていた私には、暑すぎるという不安要素でしかありませんでした。マラソンじゃなかったら超快適な気温なんですが。


 

ホテルの窓から下を覗くと、東京マラソンのスタートラインが見えます。3つの箱のようなものの間を通る線を超えると、ランナー各自のタイムがスタートします。これはまだ朝の7時ごろだったので人もまばらですが、しばらくすると続々と人が集まってきました。私も支度をしてホテルを出ましたが、スタートラインはホテルの目の前なのに、私自身のコラル(待機エリア?)はずっと後ろなので、地下通路のようなところをぐるぐる回り、優に10分以上は歩いて私のブロック専用の入場ゲートに着きました。手荷物を預けて、お手洗いに行くと、途方もない長蛇の列。まだ時間があるから大丈夫と思って並んでいたのだけれど、列はちっとも進まず、各自のコラルに行かなければいけない時間は迫るばかり。もうトイレは無理かなと思ったけれど、なんとか間に合いました。

  

 自分のコラルに着いて待機していると、先頭集団(エリートランナー)がスタートした模様です。でも、スタート地点は遠すぎてアナウンスが聞こえただけ。次々とコラルごとに出発していき、私たちがスタートしたのは先頭のスタートから20分以上あとでした。20分以上もとぼとぼと歩いたり止まったりしながらスタートラインへ向かいました。

 スタート直前。ちなみに右側の手前の建物が宿泊したホテルです。ぐるぐると近辺を歩いて戻ってきました。笑

さあ、いよいよスタートです。でも、私の頭の中は不安でいっぱい。シンスプリントを抱えた脚は、どうなっちゃうんだろう。

何度片足ケンケンをしてみても前脛がズキズキ痛んで、本当にこの脚でフルマラソンを走れるのだろうか。かといって、この期に及んで走らないという選択肢も私の中にはありません。

この段階で私にできることは、コンプレッションのカーフスリーブを履くことと、最終手段として痛み止めの薬を服用することぐらいしかありません。マラソンは腎臓に負担がかかるから同様に腎臓に負担のかかる非ステロイド系の抗炎症剤(イブプロフェンなど)の服用は危険だと言われているけれど、 アセトアミノフェンなら抗炎症作用はないものの痛み止めにはなり、腎臓にも負担がかからないそうなので、Extra strength Tylenolを2錠服用しました。あはは、ドーピング…

スタートしてすぐは、やはりかなりの痛みを感じて、これはまずいな…と思っていたのだけれど、周りに気を取られているうちに痛みのことを考えなくなっていたようで、10㎞過ぎぐらいに脛を気にした時にはほとんど痛みがなくなっていました。むしろ慣れないカーフスリーブを使用したからか、逆の脚のふくらはぎのほうが痛くなっていました。

娘とH君は10㎞過ぎの秋葉原のあたりにいるはずだったので、そのあたりでは沿道を気にしながら走っていたのだけれど、どこにもいる気配がありません。あれー?と思いながら、次の約束の16㎞ぐらいで会えるだろうとひたすら走り続けました。前回の記事に書いたビルさんが12㎞の給水所にいるはずなので、探して声をかけようと思ったら、その給水所は大混雑していて水を取ることもできませんでした。ビルさん、いたのかなぁ。

さすがに3万7000人も走る東京マラソンともなると、なかなか人がばらけることがなく、いつも周りが混雑している印象でした。地元のマラソンだと周りに人がいなくなってしまうこともあるのだけど…

16㎞付近では娘たちが待っていることを私が失念していて…というのも、先日のボランティアの方々が17㎞の給水所にいることを考えていたからなんですが、道路の真ん中あたりを走っていたら、急に大声で私の名前を呼ぶ声が聞こえてハッとして振り返ると、H君が周りの人たちがびっくりするような大声で叫んでいました。流れがあるから私は沿道には近寄れなかったけれど、 大きく手を振って応援に応えました。

沿道ではたくさんの方々が応援してくださっていましたが、日本のマラソンは沿道の応援が穏やかです。アメリカのマラソンだと吠えるような応援の人がいるし、鳴り物を鳴らす人もいるし、面白いプラカードを掲げている人もいるけれど、東京マラソンでは「頑張って~」ぐらいしか聞こえなかった気がします。たまに大声を出している人はほとんど外国人でした。

娘とH君は5か所くらいで応援してくれて、H君の大声もどんどんエスカレートしていってました。二人とも、東京マラソンのコースは応援に最適だと言っていました。電車でどこにでも行けるから…と。

走っている私はというと、自分が地図上のどこを走っているのかがあまり把握できていなくて、景観もあまり見ていなかったというのが正直なところなのだけれど、さすがに浅草の雷門や銀座の目抜き通りは気づきました。さらに私のガーミン(腕時計)が異常作動をしていて、ペースがまったく掴めなかったのです。私は明らかに走っているのに、ペースが12分/㎞と表示されていたりして、それって歩くより遅いペースですよ。後でチェックしたら、ルートもとんでもないことになっていて、ビルの上を走っていることになっていたり、ジグザグに走っていたり、極めつけは42.195㎞を走り切っていないことになっています。3万人以上が同時にGPSを要求すると、安いモデルは淘汰されてしまうのでしょうか? 以前、ホノルルでもそんなことがあったような。

走ること自体は、ガーミンさんに頼らず自分の感覚だけで走っていたこともあり、それほどきつくはなかったし、銀座のあたりでは、ああ、もうすぐ終わっちゃうんだな、とちょっと感傷的になったくらいでした。なにしろ昨年の9月からずっと楽しみにしていたマラソンですから。ところが残り10㎞を切ると、急に足が上がらなくなってきて、1㎞がどんどん長くなっていくような気がしました。それまでは10㎞、20㎞と数えていたのが、「あと何㎞」に変わると同時に、距離がちっとも減らなくなりました。それでも最後の1㎞は走りにくい石畳の道を最後の力を振り絞って全力で走り(といっても、見ている人にはまったく速くは感じられないスピードです)、最後のコーナーを曲がるとすぐそこにフィニッシュラインが。人だかりがすごくて、一瞬そこがゴールだと気づかなかったけれど、無事にラインを越えました。タイムもまぁ満足できるものでした。でも、もっともっと頑張れそうな気がします。

こうして私の東京マラソンは終わりました。本当に楽しかった。やっぱり走ることって楽しい!

マラソンの後は家族と落ち合って、私の妹といつの間にか27歳になった姪も合流して、とあるホテルのビュッフェディナーに出かけました。マラソンの後だから、何を食べてもオッケー。

最高の一日でした! 

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さてさて、新たなニュースがあります。

なんと、来年4月のロンドンマラソンに当選しちゃいました!

いやー、東京で運を使い果たしたと思ったけど、強運だ。来年のロンドンマラソンは2日開催で10万人が参加する予定とのことですが、133万人が応募したうちの10万人。東京マラソンより当選確率が低いんですよ。 やったね、私!

2026年5月15日金曜日

東京マラソン2026-EXPO編

 東京マラソンを走るためには、数日前から有明の東京ビッグサイトで開催されるExpo会場に受付(ゼッケンや当日に私物を入れて預ける袋などの受け取り)に行かなければなりません。

大会二日前の金曜日、東京ビッグサイトに向かうために大崎駅で国際展示場行きの電車を待っていると、電車の扉ひとつ分ほど離れたところにいた女性がなにやら手を挙げてこちらを見ています。どうも私に向かって手を振っているようなのだけれど、知らない人なのできょろきょろしてしまいました。するとその東南アジア系の若い女性が近づいてきて、英語で「この電車(目の前に停まっている)は国際展示場に行きますか?」と訊いてきました。その電車のことはわからないけれど次の電車は確実に行くのがわかっていたから、その旨を伝え、そのプラットフォームにいた大半の人たちがきっとそうであるように「あなたも東京マラソンを走るの?」と訊くと、彼女はボランティアの受付に行くとのことでした。同じ方向に行くことだし、一緒に行きましょうか、と連れ立って電車に乗りました。尋ねなかったけれど、不思議なのは、駅のプラットフォームには大勢の人がいたのに、なぜ私に話しかけたのか、なぜ英語が通じると思ったのか。私の見た目は普通の日本人だと思うんだけどなぁ。

彼女はタイのバンコクに住んでいて、東京マラソンのボランティアをするために前日に到着したばかりとのこと。日本は初めてと言っていたけれど、スマホを片手に難なく行動しているようでした。

ビックサイトではランナーとボランティアの受付は別の棟だったのだけれど、彼女がランナーの受付に一緒に行きたいと言うので、私の受付を済ませてから 同じ棟で開催されていたEXPOをひと通り見て(アシックスのブースは、特に外国人に大盛況でした)、記念に東京マラソングッズをほんの少し購入してボランティアの受付に私も同行しました。

 ボランティアの受付はランナー受付(長蛇の列)とは打って変わってこじんまりとしたホールで行われていました。金曜日だったからか受付に来ている人もまばらでした。ボランティアの受付もランナー同様にチェックインするだけだと彼女は思っていたようなのだけれど、実際には説明会があって、数人ごとにテーブルを囲んで説明を受けていました。私が同行した彼女、ビルさんもテーブル席に案内されて説明を受けるようだったので、私は「ここで待っているね」と声をかけると、それを聞いたグループリーダーの方が、私にも同じテーブルに座るように勧めてくださいました。ある程度の人数が集まるまで説明会は始まらないので、その間にリーダーを含めて雑談などしていると、リーダーさんはアフリカの出身(国名を失念しました。タンザニアだったかな)とのことで、周りの日本人の方とはとても流暢な日本語で会話をしていました。私たちのテーブルは外国人ボランティアの方々の説明会だったので、会話はほとんどが英語でした。「今日は付き添いで来たの?」と訊かれたので、私は実はランナーで、ビルさんとは駅で偶然に会って意気投合したのだと話すと、マラソンを走る人がボランティアの説明会に参加することはとても珍しく、ボランティアの活動内容を知ってもらえるのはうれしいとリーダーさんは言っていました。

実際、ボランティアはその存在なくしてはマラソン大会を開催できないほど重要だと、どんなに小さな大会でも感じることなのだけれど、この時にボランティアの説明会に参加して、その感謝の気持ちが何十倍にも膨れ上がりました。私たちが呑気に走っていられるのは、こうしたボランティアさんたちの奉仕のおかげなのだと。説明会の後にテーブルにいた4,5人のボランティアさんから「マラソン、頑張って!」と声をかけていただいたので、私もみんなへの感謝を伝えました。リーダーさんは背が高くて細身でケニアやエチオピアのランナーのようにかっこよかったので(ステレオタイプですみません)、リーダーさんもランナーなんですか?と訊いてみたら、ご自身ではマラソンはしない、と。でも体育教師だからアドバイスはできるよ、と言って、カフェインはいつ頃摂るといい、などと教えてくれました。

ビルさんは12㎞、リーダーさん他は17㎞の給水地点にいるということだったので、見かけたら声をかけるね、と約束して解散となりました。

そのあとは、ビルさんと遅いランチをすることになり、お台場のほうまで歩いていくと、Tokyoというサイン(彫刻?)の前で写真を撮っている外国人たちがいて、東京マラソンのシャツを着ていたので、「マラソン走るの?頑張って!」と声をかけると、相手も「ありがとう」と返す。いいなぁ、こういうの。ランナー文化だなぁ。

 (私たちも写真を)

で、肝心のランチは、彼女が食べたいというお好み焼き屋さんに行きました。私もお好み焼きは久しぶり。 食事をしながら日本のこと、タイのこと、アメリカのこと(ビルさんもアメリカに住んでいたことがあるとのこと)などの話に花を咲かせました。私が二人分のお会計を済ませると、ビルさんが抗議するので、ここは私の国だから私がおもてなしするけど、私がバンコクに行ったら、ご馳走してね。と伝えたのでした。

さて、マラソン当日、12㎞地点の給水でビルさんには会えたのでしょうか? (続く) 

2026年5月13日水曜日

100万年ぶりの投稿

もう5月ですって。2026年の1/3以上がすでに過ぎ去ってしまいました。私はいったい何をしていたのでしょうか?

そういえば、3月に東京マラソンを走るはずじゃなかったのかしら?

うふふ、もちろん走りましたよ、東京マラソン。一生に一度走れるかどうか、というマラソンですものね。

東京マラソンは3月1日だったのだけれど、その前に約1か月ほど長野の実家に帰省していました。2月の信州は寒い寒い。そのうえに、わが実家はいまだに昭和な建物で、個々の室内は暖房が効いているものの、一歩廊下に出ると外と変わらないほどの寒さで、屋内の寒暖差が尋常ではないものだから、私は実家に着いた当初、気象痛に激しく悩まされました。少し頭を下げるだけで後頭部がジンジンと痛み、何もしていないときにも目がチカチカして、黒い稲妻のようなものが見えるのです。1週間ほどそんな状態が続いたけれど、寒さに慣れたからなのか、いつの間にか治りました。

東京マラソンを数週間後に控えて、最後の30㎞走をしなければならなかったので、少し気温の上がった日に千曲川の土手を走りました。冠雪の北アルプスが遠くに見えて、川岸にはシラサギやアオサギの姿があり、対岸には長野オリンピックのフィギュアスケート会場だったホワイトリングが見えます。その頃ちょうどミラノ・コルティナオリンピックが開催されていました。


30㎞走は気持ちよく走れたのだけれど、その後からちょっと脚の調子が…。あれー、これはなんだか昔患ったシンスプリントのような疲労骨折のような痛み。最初は、ん?ちょっと痛いかな?程度だったのが、 10㎞走っている間中ずっと痛くなり、これ以上走るとマズいかな、という状況に。すでに走行量を減らすテーパリングに入っていたので、アイシングをしたり、数日走らずに様子をみたものの、一向に良くなる兆候は見えません。だからって、東京マラソンを欠場するという選択肢はありません。

緊急処置として脛のサポーターやコンプレッション・カーフスリーブを購入したけれど、不安はつのるばかり…

そうして迎えた東京マラソンは… (続く…のか?) 

2025年12月30日火曜日

2025年を振り返る

 

今年も残すところあと少しとなりました。一年を振り返ってみると、2025年は何だか振るわない一年だった気がします。いつの頃からか、気がついた時には「何もしたくない病」にかかっていて、「誰か~、やる気スイッチ押しておくれ~」と叫ぶものの、体のどこにもそんなスイッチはついていないので、ただ悶々と日々を過ごすしかありません。だからといって何もせずにいるわけにはいかず、厭だ~、厭だ~と言いながらも家事や仕事をするのだけれど、気持ちはまったく付いていきません。どうしちゃったのかな、私。

特に何が厭って、料理です。以前は張り切って珍しい料理や、自家製味噌やキムチや納豆などを手作りしていたのだけれど、最近はその工程を考えただけでやる気が萎えてしまうのです。そんなだから作っても失敗したり、美味しくないものが出来上がったりして、さらにやる気が失せるという悪循環。以前ある友人が、お料理をしたくなくなったら認知症の前兆かもしれないんだって…というようなことを言っていたけれど、まさか私も認知症だとか?

そんなことを娘と娘の彼氏のH君に話したら、H君が「それはまずいな(That’s not good.)」と。さすが、登録看護師のHくん、心配してアドバイスでもしてくれるのかと思いきや、

4月までには治しといてよね(You better fix that before April.)」と。なんだ、そっちかい。

というのは、娘とH君は4月に我が家に来ることになっていて、私が「何もしたくない病」を治さないとコロッケを作ってもらえなくなるという、彼にとっては死活問題なのです。

まぁ、そんな冗談を言って笑い合えるくらいなら、私もまだ大丈夫でしょう。

さて、今年は1月のシンガポール/日本旅行から始まり、3月には地元のハーフマラソンを走り、前年から工事がちっとも進まなかったキッチンと床とバスルームの改装が4月にようやく終わり、8月には所用で夫とサウス・カロライナに出かけました。サウス・カロライナへは95号線を延々と南下していくのだけれど、この道を運転するのは大学生だった頃にジョージア州のホストファミリーの家に長期休みの時に何度か出かけた時以来。何十年も経っているのに、まるで昨日のことのような気がしました。

10月以降はランニングの行事がいくつもありました。10月には橋を渡った隣りの市でハーフマラソンを走り、11月初めにはNYCマラソンを走るH君の応援にニューヨークへ。H君の兄弟姉妹や友達が30人ぐらい集って、沿道で大声援を送りました。楽しかったな~。H君を待っている間に私たちの目の前をあのキプチョゲ選手が走り去って行きました。H君が堂々のサブスリーでゴールしたあとは、みんなでイタリアンのレストランに移動して、大皿に大盛りで出てくるサラダやパスタやお肉料理をたらふく食べて、楽しい時間を過ごしました。その日はオレンジ色のケープに身を包んだ完走ランナーを街中のいたるところで見かけました。私もいつか走りたい!

11月中旬には私自身のフルマラソンがありました。バージニア州の州都リッチモンドという街でのマラソンです。当初はランニング仲間のSちゃんとそのお友達のAちゃんが一緒に走る予定だったのに、二人はトレーニング不足で来年に延期することになり、私一人での参加でした。でも、Sちゃんが一緒に来てくれて、25km付近の沿道とゴール直前で大きなプラカードを掲げて応援してくれました。しかし、このマラソンコースは坂が多くて参りました。

今年のホリデーシーズンは感謝祭もクリスマスも私の怠け病のせいで極簡単に済ませました。大掃除ならぬ小掃除も終わり、あとは新年を待つばかり。来年はどんな一年になるのでしょうか。何にしても、この「何もしたくない病」を克服するのが私の最優先課題です。

では最後に、毎年恒例の今年読んだ本の記録を書いておきましょう。

今年は36冊の本を読みました。和書20冊、洋書15冊、漫画1シリーズ

こうしてリストを見返してみると、前半は戦争小説が多く、後半はランニングの本ばかり。話題の映画「国宝」の原作(吉田修一著)も読みました。映画は原作とは別物だという話ですが。

いやー、毎年同じことを言っていますが、来年はもっと読書のことに触れたいと思います。というか、ブログ自体をちゃんと書きましょう。

では、良いお年をお迎えください。

2025年9月22日月曜日

抽選発表!


9月と言えば、東京マラソンの一般抽選発表!…となるのは、ランナーだけでしょうが、その抽選発表が先週の金曜日にありました。

東京マラソンは今ではワールドマラソンメジャーズ(World Marathon Majors)という世界7大大会のひとつで、海外からの参加者も多く、一般抽選の当選確率の低さは7大大会中で12位を競うという、もうスタートラインに立つこと自体が奇跡みたいなマラソンです。エリート選手を除く市民ランナーで自動確定になるのは、チャリティーにまとまった金額を寄付するチャリティーランナーと海外からのパッケージツアー購入者のみ(たぶん)。寄付もツアーも相当な金額です。まぁ、出場権を高額で買うということですね。その他の市民ランナーは応募者数が定員を超えた時点で抽選になるのだけれど、それにも段階があって、まず年会費を払ってOne Tokyo Global)の会員になると、会員枠の優先抽選会があり、それに外れた人は一般抽選枠での二次抽選に降りてきます。その他には都民枠の抽選があって、これは東京都民だけの優先抽選会で、ここで外れてしまった人も自動的に一般抽選に降りてきます。そして最後が、会員でも都民でもない私のような人の唯一のチャンスである一般抽選になります。

これが、当たらないんだなぁ。私は今回で4回目の挑戦だと思うのだけれど(うろ覚え)、10回以上落選とか10年連続落選という強者もいるほどで、私の過去の落選回数なんてまだまだかわいいものですよ。そんなわけで、今年もダメ元で応募してみたのでした。

今年はニューヨークシティー・マラソンも落選だったし、ランニングアプリ「Strava」が開催するNYCのヴァーチャルマラソンの抽選(これに当選すると来年のNYC 出場権が確定するのです)もダメだったし、マラソンの抽選運はゼロに等しい。娘の彼氏のH君は去年のStravaのヴァーチャルの抽選に当選して(私は落選)、今年11月のNYCマラソンを走るのです。私が東京マラソンに応募したと言うと、「じゃぁ、僕も応募しようかな。でも僕だけが当選しちゃう予感がするな」と落選続きの私を揶揄するのでした。どちらにしてもH君は4月にボストンを走る予定だから東京を走るつもりはなかったんだけど。それ以前に当選しないって。

ある日、どこかで星占いを見ていたら、今週はくじ運がいいから宝くじなどを購入するとよいかも…というようなことが書いてあって、あれれー、まさか東京マラソン当選しちゃうのかな、と一瞬ウキウキしたのだけれど、抽選日はその次の週でくじ運のいい期間内ではなかったのでした。なーんだ。

昨年の抽選発表の日はちょうど日本にいて、結果のメールはいつ来るんだろうと何度もメールをチェックしたものでした。X(旧ツイッター)では当選したとか落選したとか投稿している人がたくさんいるのに、私にはちっともメールが来なくてずいぶんヤキモキしながら待っていたことを覚えています。午後になってようやくメールが届くと、今度はメールを開くのが恐ろしくなって、しばらく放置していたような。でも結果はメールじゃなくて、大会公式ページにログインしなきゃいけなかったのでした。そしたらやはり落選で、予測はしていたけど、かなりがっかりしました。どこかに「もしかしたら」という希望が残っていたんでしょうね。

今年はアメリカにいるので、発表はこちらの時間では真夜中です。朝起きたらメールが来ているんだろうなぁ、ぐらいの感じで寝てしまい、実際に朝起きたらスマホの画面にメールのお知らせが表示されていました。すぐに開こうかとも思ったのだけれど、まぁ、ちょっとコーヒーを淹れてから、他のメールをチェックしてから、と愚図愚図して、少し頭が働くようになってから開きました。というのも、結果はほぼ分かっているから、朝からがっかりするのはイヤだなぁと思って後回しにしていたのです。

でも、そろそろランニングに行かなきゃいけない時間だったので、意を決してメールを開き、大会公式サイトにログインしました。海外から応募する人は日本人であっても英語のサイトから応募しなければいけないので、結果のページも英語です。まず表のようなものが表れて、英語がずらっと並んでいて、一瞬どこに結果が書いてあるのかわからず、しばらく字面を眺めていました。まだ少し寝ぼけています。少し下に行くと、赤い文字で

Selected

と書いてあります。え?え?え?どういうこと?

We have received applications exceeding the field size, and after a rigorous drawing you are Selected.

と。

二度見ならぬ、十度見、いや百度見ぐらいしたけど、これは「当選」だよね。

えー?えー?えー?ホントに?ひゃー

まだ朝の6時台だったので夫はまだ寝ていて、起こしてこの一大ニュースを伝えるべきかと迷ったのだけれど、いや、まだ誰もこの事実を知らないこの時間を独り占めしよう、と外に走りに出かけたのでした。なんと楽しいランニングだったことか。一番最初に伝えたかった娘とH君はハワイ時間の真夜中だったから、当選結果のページをスクリーンショットして無言で送っておきました。二人とも驚いていました。週末に二人と話したら、H君は「僕が使ってるエナジージェルを送るから、ジェルの練習(ジェルにお腹を慣らすこと)して」といい、娘は「新宿のホテルを予約しようか」と、二人ともすでに私のコーチとマネージャーになっています。

東京マラソンのスタートラインに立つチャンスがやってきました。しかし、一生分の運を使い果たした気もします。あとは、ケガをしないこと。


 

 

2025年8月10日日曜日

犬、じゃない?

先週までの猛暑はいったいどこへ行ってしまったのか、今週は気温がぐっと下がって過ごしやすくなりました。ガーミンのランニング記録を見てみると、朝の気温は22℃になっています。先週までは早朝でも30℃を越えていたから格段に涼しくなりました。このまま夏は終わってしまうのでしょうか。庭のブドウもいくつかは完熟していて、まだ8月の前半だというのに、すでに秋の気配を感じます。

昨日の朝、近所を走っていてすごいモノに遭遇したんです。なんと、コヨーテ!…だと思うんだけど。

昨日はロングランだったので、通りを越えた住宅地のほうまで走りに行ったのだけれど、道路に面した他所のお家の前庭の芝生の上に大きめの中型犬(だと思っていた)がいて、こちらを見ていました。ゆっくり走りながらその犬の近くまでくると、あれ?何か変だな、と直感的に違和感を覚えてよく見たところ、茶色と灰色が混ざったようなボサボサの毛並みで、体の大きさに比べて顔がずいぶん小さく、キツネのような顔つきで耳が立って鼻が細長く尖っていたのです。あれれー、もしかして、コヨーテ? 走りながら通り過ぎたので一瞬のことだったのだけれど、コヨーテかもしれないという考えが頭に浮かんでからは急に不安になって、振り返ることもせず、少しスピードを上げて走り去ったのでした。土曜日の早朝だったから住宅街は静まり返っていて、人の気配は全くなく、追いかけられたらどうすればいいんだろう、とちょっとドキドキしました。

家に帰ってからコヨーテの画像検索をしてみたら、先ほど見た動物によく似ています。近所にコヨーテがいるという話も聞いたことがあるから、おそらくコヨーテだったのでしょう。

まず、大きな犬が庭先にいるのに飼主さんが近くにいないというのは滅多にないことです。それに、庭先にいる犬はランナーを見ると必ず吠えます。それを飼い主さんがたしなめるというのが大体のシナリオ。先日は、ゴミ収集の日に道路の反対側にゴミ箱を回収しに行っていた近所の知らないおじさんに走りながら挨拶したら、そのおじさんの家のガレージから大きな犬が吠えながら走り出てきて、おじさんは飼い犬が私を追いかけると思ったのか、大慌てで「He's friendly, he's friendly!」と私の背後から叫んで、危険はないことを知らせてくれたのだけれど、案の定、私に走り寄ってきたワンコはいい子で、私も「Hi, there!」と頭をなでてオシマイ。でも飼主さんは「I'm sorry, I'm sorry」と、とても申し訳なさそうでした。

ランナーは犬に吠えられるのなんて日常茶飯事です。足音が聞こえるのか、家の中から吠えている犬もいます。いつも走っているコースにチェーンリンクの金網フェンスのお家があって、庭にピットブルがいるのだけれど、その犬は私が道路を走っていると庭の隅から猛進してきて、フェンスに前足をかけて吠える、吠える。金網を越えることがないのは分かっているけれど、うぁー、ピットブルだ、と最初はちょっと怖かったのです。でも、あまりにも毎日のことなので、ある日、そのピットブルがわんわん吠える中、私は犬のほうに顔を向けてニカーっと笑って手を振って走り去ったのでした。それを何日も続けていたら、なんとピットブル君は吠えなくなったんですよ!フェンスに来るまでにわんわんと何度か吠えて、フェンスに前足をかけるものの、しっぽを振ってはーはー息をしているだけになったのです。私が走り去るとまたわんわんと数回吠えるだけ。わーい、もうお友達になったんだね。

そうしているうちに、そのお家に新しい犬がやってきたようで、ある日、小型犬がフェンスに寄って来て、私にむかってキャンキャン吠えたてていたのです。そこにピットブルが走って来て、ピョンピョン跳ねながら小型犬の背中を鼻先で突き始めました。まるで「ぼくの友達なんだから、吠えないで!」と諭しているように。また別の日には、フェンスに寄ってきたピットブルが、「ぼくの友達(私)が来たから、早く来て!」とでも言うように、少し離れた場所にいた小型犬とフェンスの間を行き来していたこともありました。それとも、新しい友達(小型犬)を私に紹介したかったのかな。

走っていると暇だから、ついこんな妄想をしてしまうんですよねー。

なにはともあれ、犬はランナーに遭遇すると吠えたり追いかけたりするものだけど、あの動物はじっとこっちを見ていただけだから、やはりコヨーテだったんじゃないかなぁ。

 

2025年7月13日日曜日

朝活

毎日、暑いです。

日が昇ると気温がどんどん上がるので、朝のランニングはなるべく早い時間に出かけたいのだけれど、起きてすぐには走れないから、朝の5時に起きたとしても、コーヒー一杯をゆっくり飲んで、着がえたり日焼け止めを塗ったりしているうちに、出かけるのは6時過ぎになってしまいます。6時半ごろにはもう日が差してくるから暑いのなんの。なるべく日陰の道を選んで走るのだけれど、夏のランニングはきついですね~。それでも10月にハーフ、11月にフルマラソンの予定が入っているので走らないわけにはいきません。

私のランニングは一日置きなので、走らない朝の時間は読書に充てています。というのも、このところ600頁-700頁もある小説を図書館で立て続けに借りてしまって、それをそれぞれ3週間という期限内で読むためには一日に最低でも30数頁を読まなければならず、忙しくて全く読めない日もあることを考えたら50頁ぐらいは読んでおく必要があるからなのです。たいして人気のない本であればさらに3週間延長できることもあるのだけれど、あいにく今回借りた本は予約がぎっしり入っていて延長できませんでした。

では、前回以降に読んだ本について少し書いておきましょう

黒い雨 井伏鱒二

「黒い雨」を読んでみようと思ったきっかけが何だったのかは忘れてしまった。本棚にあったから手に取ってみただけだったのか、原爆関連の何かを読んでこの本のことを思い出したのか。いずれにしても、長い間ベッドサイドのスタンドに置いたままになっていたのは確かだ。

「黒い雨」は高校一年の夏休みの課題図書だったように思う。夏休みに部活に行く電車の中で読んだという記憶があるからなのだが、実際の本の内容は広島の原爆のこと、誰かの結婚が破談になったこと、くらいしか覚えていなかった。黒い雨は原爆投下後に降った重油のような雨のことだが、主人公の姪がこの黒い雨をあびたことから原爆症の疑いをかけられて結婚が次々と破談になる。その疑いを晴らすために主人公は原爆投下後に書いた自分の日記を清書して、姪の縁談相手に渡すことにするのだが、その日記の内容が当時の惨状を物語っており、本人が経験したこと以外にも、知人や通りがかりの人達の話も織り込まれている。地獄絵のような状況下で、人の心が麻痺してしまったような描写もある。ちょうどこの本を読んでいる時に、数年前にアカデミー賞を受賞した映画「オッペンハイマー」を観た。原爆投下後、マンハッタンプロジェクトのリーダーであったオッペンハイマー博士が狂乱したような観衆に称賛されるシーンがあった。つい先ほどまで読んでいた「黒い雨」の中には、赤ちゃんをかばって丸焦げになった母親の姿や、全身にやけどを負いながらも水を求めて彷徨う人々の描写がある。今でもアメリカや東アジアの一部の国の人の中には、原爆は日本の自業自得だという人たちがいる。虚しさを感じざるをえない。


Demon Copperhead - Barbara Kingsolver(デーモン・コッパ―ヘッド / バーバラ・キングソルヴァ―)

バーバラ・キングソルヴァ―は好きな作家のひとりで、今までにも「ポイズンウッド・バイブル」や「The Lacuna」やエッセイ集などを読んでいる。この「デーモン・コッパ―ヘッド」はタイトルからもうすうす分かるように、ディケンズの「デイヴィッド・コパフィールド」へのオマージュだという。アパラチアの山の中で母親と暮らすデーモン少年は、母親がドラッグ更生施設に入院するたびに里親のもとに送られ、そうした里親には優遇されず過酷な労働を強いられる。母親が更生施設を出て再婚すると、その再婚相手からは虐待を受ける。母親が薬品の乱用で亡くなると、父方の祖母を探し出し、祖母の知り合いのフットボールコーチの家に預けられ、高校ではフットボールのスター選手に成長するが、再起不能な怪我を負い、フットボールの夢をあきらめざるを得なくなる。怪我の治療で処方された痛み止めの薬を乱用するようになり、最愛のガールフレンドをドラッグで失う。アメリカの貧困やドラッグといった社会問題がデーモン少年を通して描かれている。最後は少し明るい未来が垣間見られるのがせめてもの救いである。デーモン少年が目指した場所は、私が住む町の海だった!


The City and its Uncertain Walls - Haruki Murakami(街とその不確かな壁 / 村上春樹)

待っていた本がようやく図書館で借りられた。「街とその不確かな壁」というタイトルを見たときに「これは、『世界の終わり』のことだろうか?」と思い、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の続編なのかと思っていた。ところが実際は「世界の終わり」が「街とその不確かな壁」を基にした場所だったらしい。「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を読んだのは20代前半のころだったと思う。一角獣がいて、住人は影を持たず、一角獣の頭蓋骨から記憶を読む…という不思議な世界に魅了された。その世界が「街とその不確かな壁」で再現されている。村上春樹の小説は、主人公がいつもきちんとし過ぎていて、少女が姿を消してしまって虚無感があるような描写でも、主人公は淡々として日々を過ごしている。これはもしかしたら作者自身がストイック過ぎて、あまり人間の弱さを知らないんじゃないかという気もする。別の小説だが、カフカ少年のような15歳は現実にいるだろうか。それといつも比べてしまうのは、宮本輝の描く少年や青年だ。人間として共感できるのは、こちらのように思う。なにはともあれ、ふたたび「世界の終わり」の世界に引き戻されて、楽しく読んだ。機会があれば、日本語でも読んでみたい。


青い壺 有吉佐和子

つい先頃、有吉佐和子の「青い壺」がベストセラーリストの1位になったというニュースを見た。1977年に出版された昭和の小説が新しい小説を抜いて1位になるとはどういうことなのかと興味を抱いて、電子書籍で購入してみた。有吉佐和子の本はこれまでにも何冊か読んだことがある。20代の頃に「海暗」や「華岡青洲の妻」「非色」「恍惚の人」などを読み、ある時は人から「複合汚染」のことを聞いて読んでみた。今年に入ってからは「女二人のニューギニア」というエッセイ/紀行文を読み、最近知人からもらった文庫本の中にも彼女の小説があり、これから読む本として今もナイトスタンドの上に置いてある。「青い壺」は、ある陶芸家が焼いた殊のほか風情のある青磁の壺がいろいろな理由から様々な人の手に渡り、その壺を手にした人々の人間模様を描いた小説である。特に優れた小説という印象は受けなかったが、昭和はこういう時代だったなと思い出すことがたくさんあった。若い人たちが読むと新鮮に映るのかもしれない。以前Netflixで「阿修羅のごとく」を見たときに、やはり忘れていた昭和のいろいろなことを思い出した。新しいドラマなのに時代背景がしっかりしていると思った。


Things in Nature Merely Grow Yiyun Li(イーユン・リー)

2025年上半期に出版された本でNPR(米国公共ラジオ放送)のスタッフが薦める本の中にこの本があった。二人の息子を自死で亡くした作家のエッセイというような紹介だったと思う。最初は気付かなかったが、イーユン・リーは昨年の夏に読んだ小説「The Book of Goose」の作者だった。彼女は長男を16歳で、次男を19歳で亡くしている。どちらも自死だったという。どれほどの悲しみを経験したことか。私には想像もできない。しかし本書の中で彼女は子供たちの死を冷静に見つめている。彼女の考えや物の見方は一般的ではないかもしれないが、その冷静さの裏に計り知れない悲しみがあるのだろう。タイトルのThings in Nature Merely Grow(自然のものはただただ育つだけ)には、子供たちを一個人として敬う作者の姿が表れているように思う。


 

2025年3月20日木曜日

ハーフマラソン

 


去る日曜日、地元のハーフマラソンに参加しました。

元々はフルマラソンに登録していたのですが、12月初めからフルマラソンのトレーニングを始めて最初の一カ月は月間走行距離も150kmと順調だったものの、年末にもらい風邪をひき、年が明けてからは腎盂腎炎なる病気になり、抗生物質を服用しながらシンガポール旅行にでかけ...と、1月はほとんど走れなかったので、3月までにフルマラソンを走れるようになることはないだろうと止む無くハーフマラソンに変更したのでした。

それで正解でした。変更した時点で「どうせハーフ」と高を括っていたところがあったのでしょうね。11月のハーフマラソンは調子よく楽しく走れたので、今回も大丈夫だろうと何の不安もなく走り始めました。ところが、最初から比較的ゆっくり走っていたのに、10kmを過ぎた頃から急に足が重くなり、大幅にペースを落とさなければならない破目に。完全なスタミナ不足です。ここでエナジージェルでスタミナ補給をすればよかったのかもしれないけれど、ジェルは胃がムカムカして余計につらくなることもあるので躊躇しました。10kmなんていつも普通に走っている距離なのに、ここでダウンしてしまうなんて一体何がいけなかったんだろう。それでも17kmぐらいから少し元気が戻ってきて、なんとかゴールにたどり着きましたが、納得のいかないレースでした。その日は夕方から嵐になる予定で、朝から強風が吹き、ゴールしたころには小雨が降り始めたのだけれど、フルマラソンだったらそこからまだ21kmも走らなければいけなかったのだと思うと、ハーフにしておいてよかった!

今回は散々でしたが、来年はフルマラソンを走れるように1年間頑張ろうと、モチベーションを新たにしたのでした。

来年の登録がもう始まっているのだけれど、これはまだホールド状態です。というのは、来年の東京マラソンに万が一当選したら、そちらを選ぶからです。といっても東京マラソンは超ーーーーー狭き門(いや、門どころか穴)。ちなみにNYCマラソンにも応募しましたが、余裕の落選。なんでも応募者の2-3%しか当選しなかったそうな。それでも来年また応募します。

レースの後にもらった食べ物のひとつに、パンの中にジャムとピーナッツバターが入っているものがあったのだけれど、これって似非ランチパックじゃないですか!? 私はランチパックが大好きで(特にピーナッツクリーム)、日本に帰ると必ず買ってしまいます。だから、このUncrustablesというのをちょっと期待して食べてみたのだけれど、やっぱり違う。ランチパックじゃない。同じようなものなのに、アメリカの物ってどうしてこう残念なことになってしまうのかなぁ。

 


今回のハーフマラソンでは、天気が悪かったこともあり、ほとんど写真を撮りませんでした。唯一の写真は、Finishと書かれたゲート(本物とは別)に自分のタイムを表示して写真を撮ったもので、長い行列ができていました。私はSちゃんと並んでいたのだけど、私たちの前に母娘で並んでいる人たちがいて、順番が近づいてきたら今どきの若い娘さんが私たちのほうを振り返って、「My mom is camera challenged(私のお母さんはカメラが苦手で)」といい、Sちゃんに彼女の写真を撮ってほしいとスマホを渡してきました。もちろんSちゃんは喜んで写真を撮ってあげたのだけれど、私はその女性が言った「camera challenged」という言葉に苦笑いしてしまいました。Challengedというと、なんだか「呆れるほど下手で」というニュアンスに聞こえるなぁと思ったりして。それと同時に私の娘が同じことを言う姿も目に浮かんできました。娘と旅行にでかけても、私はこれまでに何度も写真にダメ出しされています。娘も私を「camera challenged」と思っているに違いありません。どこのお家も似たようなものなのかな(笑)

2024年3月24日日曜日

シャムロック・マラソン

メキシコ旅行の5日目と6日目のことをまだ書いていないのだけれど、日常生活では次々といろいろなことが起きていて、3月に何があったのかも少し書いておこうと思います。

先週の日曜日はセントパトリックスデー (St. Patrick's Day)で、いつもならば家でコーンドビーフとキャベツの煮込み料理を食べる日なのですが、今年は何を血迷ったのか、ワタクシ、地元のフルマラソンなんぞにエントリーしてしまっていて、朝の7時半から海岸沿いの道をあっちへ行ったりこっちへ行ったりと42kmも走りまわっておりました。

このマラソンはセントパトリックスデーにちなんでシャムロック・マラソンといい、50年以上も続く地元唯一のフルマラソンなのです。前々からこのマラソンを走りたいと思っていたのだけれど、昨年はちょうどフロリダに出かけていたため出場できなかったので、フロリダから帰ってきてすぐにこのマラソンにエントリーしたのでした。

いつもなら12月にハワイから戻ってきたあとは、2か月ぐらいほとんど走らなかったりするのだけれど、今年はシャムロックがあるのでそんなことはしていられません。3か月前には大会の実行委員会(?)からトレーニングプランが送られてきたので、それに従って一応走ってはいたのだけれど、30kmぐらい走らなければいけない週にメキシコ旅行に出かけていたからスケジュールがずいぶんズレてしまい、結局30km走をしないまま当日になってしまいました。2週間前には、いつもしないストレッチをしたせいで、ひざ裏の腱が痛むようになり、走るときはそれほど痛みはないものの、不安は募るばかり。制限時間もあるので、途中で走れなくなったらどうしよう…などと最悪の事態ばかりを想像してしまいます。これは、まぁ、私の性格のせいでもあるから、しょうがないか。

でもね、思ったんです。先月、The Last Lecture最後の授業)という、がんで余命宣告を受けた大学教授が行った有名な講義についてご本人が綴った同名の本を読み、生や死や人生や諸々のことを感じたり考えさせられたりしました。そんな中で思ったのは、行動するのが不安なことや足踏みするようなことも、生きているからこそできるんだ、と。そんなことは当たり前なんだけれど、私たちは生きていること自体を当たり前のことと思って日々生活しているから、「生きているからこそ」なんて改めて考えることもないのかもしれません。でも、そう考えたら、マラソンに対しても気が楽になったし、いちばん苦しかったところで、「生きてるんだ、私」と思いました。

結果は、タイムも昨年のホノルルよりよかったし、走りも20km過ぎてからも補給ジェルのおかげでなんとか持続できたのでよしとしましょう。

あんなに「いやだ―、どうしよう」と言っていたのに、終わってしまうと「さぁ、次は何にエントリーしようかな」と探したりしているから、現金なものです。



2024年2月27日火曜日

メキシコ・シティー

2月16日から22日まで、メキシコ・シティーに行ってきました。いやー、楽しかった。

娘とH君とはメキシコ・シティーの空港で落ち合うことになっていました。娘は前日にテキサス州のヒューストンで一泊してからメキシコ入り、H君はハワイからヒューストン経由で娘と一緒にメキシコにやってきました。私の便はシカゴ経由。シカゴからのフライトは予定より1時間ほど長くなるとアナウンスがありました。なんでもメキシコ・シティーの近くの山で火山活動が活発になってるとのこと。えー、地震なんかが起きたら厭だなぁ、とちょっと不安になりました。メキシコ・シティーはもともと湖だったところの水を抜いてできた都市なんだそうで、地盤が緩いらしいのです。

滞在2日目か3日目にUberで移動中、急にどこかでサイレンのような音が鳴り出して、交通がすべて止まり、沿道に人が大勢集まり始めました。私たちは何も分からずに車の中でキョロキョロしていると、運転手さんがちょっと困ったように「Habla Espanol?(スペイン語を話しますか?)」と訊いてきました。幸い、我らがH君はスペイン語が堪能なのですよ。運転手さんが説明してくれたところによると、どこかで地震が起きて、建物の中にいる人は全員屋外に出ないといけない決まりなんだそうです。車の中だったからなのか、私たちは揺れをまったく感じませんでした。調べてみると、震源地はずいぶん遠い、カリフォルニアに近い場所で、マグニチュード4.7。日本だと日常的な地震だと思いますが、メキシコ・シティーは1980年代に大きな地震で壊滅的なダメージを受けたことがあるそうなので、警戒には慎重を期しているのかもしれませんね。

到着日と翌日は曇天でホテルの窓からの景色もどんよりしていたのだけれど、ある時ふと窓の外を見ると、冠雪の山々が出現していました。もしや、あの山のどちらかが例の火山なのでは…と調べてみると、案の定、右側の山がポポカテペトル火山でした。薄い雲のようなものが見えるけれど、噴火しているようには見えません。


 

ところが、数日後、またふと窓の外を見ると、こんなことになっていました。最初は小さいモクモクだったのが、数分後にはこんなに高くまで噴煙が上がっていました。

 

と、ここまでは日曜日(一昨日)に書いたのだけれど、例のマラソンを3週間後に控えているため、日曜日はロングランに出かけなければならず、帰ってきたら続きを書こうと思っていたのです。ところが、ランニングから帰ってきたらインターネットが使えなくなっていて(プロバイダーの過失)、接続できない状態がなんと24時間も続きました。そんなわけで、このブログも放置状態のまま、庭仕事などをしていたのでした。冬も(いや、特に冬は)庭木の剪定など、いろいろとしなければならないことが多いもので。

ということで、メキシコ・シティーの話は小出しにすることにしました。(本当に書くのか???)

ところで、ランニングといえば、メキシコ・シティーでもホテルの近くの公園で少し走りました。マラソンが近いので、1週間も走らないのは不安だったのです。同じくH君も近くハーフマラソンを走る予定があったので、日曜日の朝は二人ともランニングに出かけました。

メキシコ・シティーでは日曜日の一定時刻にレフォルマ通りという大通りを市民に開放して、歩行者やランナーや自転車のみの通行になるのだそうです。ホテルからレフォルマ通りまでは3kmぐらいの距離で往復するだけで6kmになってしまうので、私はそこまで長く走るつもりもなかったから近所の公園に向かったのだけれど、H君は20kmぐらい走る予定とのことでレフォルマ通りに出かけていきました。

近くのパルケ・メヒコ(Parque Mexico)は公園をぐるっと囲む車道の中央(分離帯)にウォーキング/ランニング用の小径があって、多くの市民や私のような観光客が歩いたり走ったりしていました。

いつものようにゆるゆると走り始めると、胸が痛くなるほど呼吸が苦しくなって、そんなに速く走っているような感じじゃないけどペースが速くなっているのかなとガーミンで確認すると、とんでもない、いつもより30秒から1分ぐらい遅いペースです。ええっ、なんでこんなに苦しいの? 旅の疲れかしら?水曜日から走ってなかったから?あ、シューズが違うからかも。いつもなら1kmも走れば呼吸は安定するのに、呼吸はちっとも楽になりません。仕方がないからさらにペースを落として、走っているのか歩いているのかわからないような感じのまま10kmほど走って、ホテルに戻りました。

シャワーを浴びて、娘とホテルの朝食に向おうとしたら、ランニングから戻ってきたH君とホテルのロビーで会いました。顔面蒼白で、「吐きそう」と言っています。H君は部屋に戻り、私たちは朝食に。

朝食後、部屋に戻ると、H君がやはりランニングがきつくて、10数kmで走れなくなったと言っていました。「標高のせいかも」というH君の言葉を聞いて、メキシコ・シティーは標高が高いことを初めて知りました。ホテルの部屋からの眺めも見渡す限り平野なので、高い所にいるという感覚がまったくなかったのです。

ガーミンのアプリに出てくるElevation(標高)を見てみたら、ひゃー、2235m-2248mになってます!これって、富士山5合目(2300m-2400m)ぐらいの高さです。5合目って下に雲海が見えるんですよ。苦しいわけだ!図らずして、高地トレーニングなんぞをしていたんですね。(ちなみに、我が家のまわりは1m-6mぐらい)

 

しかし、富士山5合目相当の盆地からあれだけ高く見えるポポカテペトル山はいったいどのくらいの高さなんだろう、と調べてみたら、5426mだそうです。あっぱれ。

2024年2月11日日曜日

忘れていた音楽

 

先週は激しい頭痛で3日ほど寝込んでおりました。

日曜の夜にテレビでグラミー賞なんぞを見ながら赤ワインを少し飲んだから、二日酔いだったのかとも思うのだけれど、グラスに数センチ程度注いだだけの量で二日酔いになるとも思えないのですよね。でも頭痛や吐き気という症状は二日酔いにそっくりで、私は寝込むと何も食べられなくなる質なので余計に衰弱するという負のスパイラル。さすがに3日目には吐き気を抑えつつ軽い食事をして少し動けるようにはなったのだけれど、頭痛は一向に治まる気配がありません。変だなぁと思いながらも、3日ぶりにコーヒーを飲んだら、ものの10分もしないうちに頭痛がスーッとひいていくのがわかりました。え“え”っ、まさかこの頭痛はカフェイン禁断症状だったの?

3日も何も食べずに寝込んでいたせいで立ち眩みがするほど弱ってしまったのだけれど、ワタクシにはそんなことをしている余裕はないのでした。何を血迷ったか、3月に地元で開催されるフルマラソンにエントリーしているのです。もう1ヵ月ちょっとしかありません。本当ならば今頃は週末に20km30kmを走り込んでいなければいけないのに、今頃になって体調は崩すは、来週は旅行に出かけるは、で不安は募るばかりです。

ハワイから帰ってきた頃に、地元のマラソン主催団体がフルマラソンの3か月トレーニングプランをメールで送ってくれました。週3日のプランで月曜と土曜はスローラン、水曜日は「プログレッシブ」ランで少し速めのペースで走ることになっています。速めのペースはなかなか自分ではコントロールできないので(すぐに苦しくなって止まってしまうから)、レクセンターのランニングマシンでペースを上げて走ることにしました。そこで最近使っているのが、こちら(↓)

 


これ、何か分かりますか? お若い方は知らないかもしれませんが、iPhoneが世に出る前にiPodというものがあったのですよ。この中に何千曲もの音楽を保存できるという、当時としては非常に画期的なアイテムでしたね。私がランニングを始めた頃はもっと安価なMP3プレーヤーを使っていましたが、いつの頃からかこのiPod Nanoになり、そのうちに走りながら音楽を聴かなくなってしまいました。このiPod、もう何年も電源を入れたことがなかったのだけれど、ずっとパソコンデスクの隅の方にちょこんと置かれていたのです。昨年、ふと思い立って充電してみたら、ちゃんと電源も入るし、音楽も聴けることがわかりました。「Running」というプレイリストもそのままで、十数年ぶりに聴く曲もたくさんあって、昔走っていた海岸沿いの道路の風景がよみがえってきました。いやー、男らしい曲ばっかりだ!(???)

ただ、このiPodはまだBluetoothがなかった時代の製品なので有線イヤフォンしか使えず、走っているときにワイヤーが邪魔になるのが難点だったのです。そこでBluetoothアダプターというものを購入して無線イヤフォンで聴けるようにしました。ランニングマシンは本当に退屈だから、これが使えるようになってよかった。スマホでSpotifyを聴いていてもいいのだけれど、ランニングを始めた頃に聴いていた曲というのが今は新鮮なんです。“I will go on until the end(Breaking Benjamin)”とか、“Falling is easy, it’s getting back up that becomes the problem(Staind)”などと、鼓舞してくれるから。これで来月のフルマラソンも少し楽しみになってきました。「Running」プレイリストには10+時間分の曲が入っているから、フルマラソンでも大丈夫。というか、マラソンの制限時間は7時間ですってば。

先日のグラミー賞でトレイシー・チャップマンが、彼女の曲をカバーした何某というカントリーシンガーと一緒に「Fast Car」を歌っていたのだけれど、その後、その曲が売れに売れているという記事をどこかで読みました。

 


この曲は80年代の終わり頃にラジオでもMTVでもヘヴィロテで流れていて、いまでもラジオで時々かかるけれど、確かに今の40歳以下の若者たちは知らないかもしれませんよね。結構カバーされていたりもして、さっきちょっと見たら、ジャスティン・ビーバー版がありました。私が好きなのは、Vertical Horizonというバンドのライブ・カバー・バージョンで、ずーっと昔にある人にシェアしてもらったMP3を持っていました。もう忘れていたのだけれど、グラミー賞を見て思い出して、iPodのリストを見たら入っていました。懐かしいなぁ。(音声のみ↓)